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↑ レンブラント・ファン・レイン制作 「イサクの犠牲」
1635年~1635年制作、エルミタージュ美術館(ロシヤ)所蔵
〒981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403
日本福音教団 富 谷 教 会 週 報
降誕節第8主日 2023年2月12日(日) 午後5時~5時50分
礼 拝 順 序
司会 斎藤 美保姉
前 奏 奏楽 辺見トモ子姉
讃美歌(21) 356(インマヌエルの主イェスこそ)
交読詩編 103(わたしの魂よ、主をたたえよ)
主の祈り 93-5、A
使徒信条 93-4、A
司会者の祈り
聖 書(新共同訳) 創世記22章1~14節(旧p.31)
説 教 「主の山に備えあり」辺見宗邦牧師
祈 祷
讃美歌(21) 227(主の真理は)
献 金
感謝祈祷
頌 栄(21) 27(父・子・聖霊の)
祝 祷
後 奏
〇 ブログ(毎週の説教・他)は、富谷教会ホームぺージで、検索ください。
〇オン・ラインで礼拝に参加できます。090-3365-3019
(辺見牧師)に、申し込み下さい。
次週礼拝 2月19日(日) 午後5時~5時50分
聖 書 ペトロの手紙一、5章6~11節
説教題 「思い煩いは、神に任せなさい」
讃美歌(21)464 493 27 交読詩編 71
本日の聖書 創世記22章1~14節
22:1これらのことの後で、神はアブラハムを試された。神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、「はい」と答えると、 2神は命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」 3次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。 4三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、 5アブラハムは若者に言った。「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」 6アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った。 7イサクは父アブラハムに、「わたしのお父さん」と呼びかけた。彼が、「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」 8アブラハムは答えた。「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。 9神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。 10そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。 11そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、 12御使いは言った。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」 13アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。 14アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。
本日の説教
「これらのことの後で」、神はアブラハムに試練を与えます。「これらのことの後」とは、21章の33~34節にのべられたことを指します。アブラハムが、ベエル・シェバに一本のぎょりゅうの木を植え、永遠の神、主の御名を呼んだ。アブラハムは、長い間、ペリシテの国に寄留した、とあります。
ぎょりゅうの木
アブラハムは百歳、妻のサラは九十歳で、神が約束された子であるイサクが与えられました。また、約束の土地カナンでの最初の土地がベエル・シェバで与えられたのです。長い間異教の地に寄留したため、「寄留の旅人」として本質を失う危険があったのでしょう。
信仰の人アブラハムは、ある日のこと、呼びかける神の声を聞きました。それはおそろしい命令でした。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」
「モリヤの地」のモリヤは、エルサレムを指します(歴代下3:1)。「命じる山の一つ」とは、神殿の丘と言われています。
アブラハムの移動ルート
「焼き尽くす献げ物」とは、「燔祭(はんさい)」のことで、旧約時代の礼拝儀式のひとつの型で、人間が神に対して、罪を悔い改め、服従してすべてをささげつくすことを表すために、自分自身の身代わりとして、雄牛や羊や鳩のような動物を犠牲として殺し、火に焼くことでした。アブラハムとサラの老夫婦にとって、独り子イサクは、喜びであり、神の祝福のしるしでした。ところが、そのイサクを燔祭としてささげよ、と神は言われたのです。
アブラハムは悩んだと思いますが、聖書はこのアブラハムの心の痛みにはふれずに、彼が黙って神のみことばに服従しようとしたことを記しています。この命令が、アブラハムにとって大きな試練であったことは、間違いありません。ここにアブラハムの信仰の神への信頼、みことばへの服従の態度が出ています。
次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行きました。ベエル・シェバからエルサレムまでの道のりです。その一歩一歩の歩みは、せつない祈りであったと思われます。
三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、アブラハムは若者に、「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」と言いました。
アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持ちました。イサクは薪を背負うほど成長していました。二人は一緒に歩いて行きました。イサクは父アブラハムに、「お父さん」と呼びかけました。彼が、「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言いました。「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」 アブラハムは、「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」と答えました。アブラハムの神への希望と確信のことばです。神の備えを信じた二人は一緒に歩いていきました。
神が命じられた場所に着くと、アブラハムは石を並べて祭壇を築き、その上にたきぎを置きました。そして息子イサクをしばり、たきぎの上にのせました。そしてアブラハムは手をのばして刃物を取り、息子を献げ物として殺そうとしました。アブラハムは神の命令を最後の瞬間まで忠実に実行しようとしました。そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけました。彼が、「はい」と答えると、御使いは、「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」と言いました。
アブラハムは目を凝らして見回しました。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていました。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげました。アブラハムはその場所を、「ヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)」と名付けました。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っています。
今わたしたちは、「そのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった」(ヨハネ3:16)、神の深いみこころを思います。神の愛する独り子・御子イエス・キリストは、わたしたちのために「あがないの供え物」となって、命を捨て、血を流されたのです。まさに「ヤーウェ・イルエ」は、イェス・キリストの十字架の死において、わたしたちのために成就しました。主イエスは、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1:29)となられたのです。
アブラハムは決して完全無欠な人ではありませんでした。弱さや破れのある人です。しかしそのアブラハムがこの大きな試練に耐えることが出来たのは、試練の中でも、神に目を向け、神により頼んだからです。試練を乗り越えたアブラハムは「ヤ-ウェ・イルエ」(主は備えてくださる)の信仰に導かれました。この地名は元来「エル・イエラエ(神は見られる=現われる)だったと考えられています。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っています。
↑ 書:栢沼(かえぬま)将夫 教会員 メッセージ:浜田進 〃教会員 掲載:「聖書一言メッセージ8」
埼玉県所沢市北秋津キリスト教会発行
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