富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「教会の一致と交わり」使徒言行録2章37~47節

2023-06-09 19:03:43 | キリスト教

 ↑ 「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。」 

〒981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本福音教団 富 谷 教 会    週  報

聖霊降臨節第3主日 2023年6月11(日)  午後5時~5時50分

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日本福音教団 富 谷 教 会    週  報

聖霊降臨節第3主日 2023年6月11(日)  午後5時~5時50分

年間標語「キリストのからだである教会のために、おのおのは分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆく。」(エフェソ4・16)

聖 句「御父が、その霊により力をもって、あなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。」(エフェソ3・16-17)

                            礼 拝 順 序                    

                司会 齋藤 美保姉

前 奏             奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 149(わがたまたたえよ)

交読詩編    133:1-3(見よ、兄弟が共に座っている)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者の祈り

聖 書(新共同訳)  使徒言行録2章37~47節(新p.216)

説  教     「教会の一致と交わり」  辺見宗邦牧師                                          

讃美歌(21) 448(お招きに応えました)

献 金  

感謝祈祷              

頌 栄(21)  27(父・子・聖霊の)

祝 祷             

後 奏

             〇オン・ラインで礼拝に参加できます。090-3365-3019

           (辺見牧師)に、申し込み下さい。

                                  次週礼拝 6月18日(日)  午後5時~5時50分

                                 聖 書 使徒言行録4章5~12節

                                 説教題 「人間を救うのは、この人以外にない」 

                                 讃美歌(21)155 78 564 27 交読詩編 62    

  本日の聖書 

  2:37人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と言った。 38すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。 39この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」 40ペトロは、このほかにもいろいろ話をして、力強く証しをし、「邪悪なこの時代から救われなさい」と勧めていた。 41ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。 42彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。 43すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。 44信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、 45財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。 46そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、 47神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。

   本日の説教

 使徒言行録二章は、聖霊降臨の奇跡について語り(1節―13節)、次に、聖霊を受けたペトロの説教について述べ(14節―41節)、その結果として生じた最初の教会の生活についての要約を記します(42節―47節)。

 今日の聖書の箇所は、ペトロの説教を聞いた聴衆の反応(37節―41節)から始まります。「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」(36節)というペトロの説教によって、聴衆は強く心を打たれ、罪の自覚が生じました。

 ペトロの説教は霊の力によるものでした。ペトロの説教を聞くやいなや民衆は悔い改めに導かれました。そして何をすればよいのかを知ろうとしました。するとペトロは、彼らに向かって、「悔い改めなさい。イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです」と言い、このほかにもいろいろ話をして、力強く証しをし、「邪悪なこの時代から救われなさい」(38節―40節)と勧めていました。

 聴衆の問いに対する答えとして、ペトロは二つのことを勧めています。その一つは「悔い改め」です。神に立ち返る悔い改めです。もう一つの勧めは「洗礼を受けなさい」です。「イエス・キリストの名に」よる洗礼です。重要な点は、「そうすれば、賜物として聖霊を受けます」という約束です。個人の内面聖化というよりも、「イエスの救いの証人となる」霊の力(使徒1:8)を意味しています。それは教会が福音をたずさえて「民衆の場へ出て行く」力です。

 「この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです」(39節)とペトロは言います。

 今やイエス・キリストにおいて、旧約の「約束」は実現し、ユダヤ人にも異邦人にもすべて信じる者にそれは与えられているのです。

 ペテロの説教は、「このほかにもいろいろ話をして、力強く証しをし、『邪悪なこの時代から救われなさい』と勧めて」(40節)終わります。「邪悪なこの時代」とは、神の意図された秩序からはずれた不従順と反逆の時代を意味します。「救われなさい」は、神の終末的審判からの救いにあずかることができることを意味しています。

 こうして、ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に約三千人が信者に加えられたのは神の業でした(41節)。

 当時の洗礼は、全身を水に浸す仕方で行われたので、三千人の人がどこで洗礼を受けたのかを考えると、その人数には誇張があるように思われます。

 42節から49節までの箇所は、ペトロの言葉を受けて、イエス・キリストの名によってバプテスマをうけた者たちの生活を具体的に示しています。教会の人々が熱心にしていたことが四つあげられています。

 第一は、 彼らが、「使徒の教え」に熱心であったことです。使徒たちの教え、その語る福音、すなわち主イエスの十字架と復活の証言を聞くこと、それによって生じる信徒の新しい生き方を教えることでした。このような使徒たちの教えは、やがて新約聖書の文書となりました。

 第二は、信徒たち相互の交わりです。御言葉を聞き、救いにあずかる人たちは、その御言葉によって兄弟姉妹への交わりに押しだされるのです。この交わりは「聖霊の賜物」に共に与ることによって基礎づけられた信徒の交わりです。普通の人々がその財産を共有にしたのは、何か異常な、特別で重大なことがこれらの人々に起こったという具体的な証拠なのです。

 第三は、「パンを裂くこと」です。信徒たちは「パンを裂くこと」に従事しています。それは単なる会食ではなく、主にある者たちの交わりの食卓と聖餐に共にあずかることです。聖餐のパンと杯を分かちあうことは、主イエスの恵みに共にあずかり、主イエスとの交わりの中で、兄弟姉妹と共に生きることでした。食事を共にすることは、かつて人々を苦しめていた社会的な貧富による差別が打ち破られたという目に見える徴なのであり、一致と連帯と深い友情の現れなのです。彼らの喜びと真心からの共なる食事は、メシアの到来の時における溢れるばかりの喜びを示しています。

 第四は、「祈ること」です。信徒たちは祈ることに熱心でした。祈りにおいて、主イエスとの交わりに生きるのです。おそらくこの祈りは、ユダヤ教で定められた日々の祈りの時刻になされたのでしょう。彼らはイエス・キリストの名によるバプテスマを受けた集団として、「心を合わせて、ひたすら祈る」集団を形成していったものと思われます(1:14参照)。

 「すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。」(43節)

 43節には、このような教会の姿を見て、「すべての人に恐れが生じた」とあります。「すべての人」とは教会の周りにいる、一般の人々です。それは恐怖ではありません。畏敬の念のようなものです。それは「使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていた」からだとあります。

「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。」(44節)

彼らはメシア・イエスにあって一つであるという一体感から共同生活を行いました。彼らが共有した「すべての物」は、不動産と動産を意味します。動産は個人的な財産です。信者たちは個々の必要に応じてそれを分配していたと言っています。しかし使徒言行録では、このことは実際に維持されたとは記されていません。むしろアナニヤやサフィラのようにこれについていけない者が現れています(使徒言行録5:1-11)。それは強制力を伴った財産の共有性ではなく、あくまでも、信仰の喜びを共にする自発的な行為とみなされます。

「そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。」(45節―47節)

 最初の信者たちは神殿での礼拝を続けていました。彼らこそ真のイスラエルであるという主張を意味していました。その場所は「ソロモンの廊」とされています(3:11、5:12)。

 また彼ら自身の家々で彼らは共同の食事をし、共にパンをさきました。パン裂きは、主の晩餐を含む共同の食事と結合しています。彼らは喜びとまごころをもってこれに参加しました。信者たちは神を賛美していたので、民衆全体から好意をもたれていました。こうして主は救われる人々をに日々仲間に加え一つにされたのです。救われる人々を加えてくださり、一つにされたのは主イエスによるものでした。

 私たちも御言葉の教えをしっかり聞き、聖餐に共にあずかることを大切にし、互いに主イエス・キリストの恵みを分かち合い、支えあい、日々の生活でキリストの愛を証しし、周囲の人々から好意を寄せられる教会を形作っていきましょう。

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