↑ エレミヤ 涙の預言者。「わたし(主)は、あなたを、鉄の柱、青銅の城壁とする(エレミヤ1:18)」
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日本福音教団 富 谷 教 会 週 報
降誕前第5主日(収穫感謝日)2023年11月26日(日) 午後5時~5時50分
礼 拝 順 序
司会 邉見 順子姉
前 奏 奏楽 辺見トモ子姉
讃美歌(21) 17(聖なる主の美しさと)
交読詩編 17(主よ、正しい訴えを聞き)
主の祈り 93-5
使徒信条 93-4
司会者の祈り
聖 書(新共同訳) エレミヤ書23章1~6節 (旧p.1218)
説教題 「ユダ王国の回復の預言」 辺見宗邦牧師
祈 祷
讃美歌(21) 214(わが魂のひかり)
献 金
感謝祈祷
頌 栄(21) 27(父、子、聖霊の)
祝 祷
後 奏
〇オン・ラインで礼拝に参加できます。 090-3365-3019に
連絡下さい。
お知らせ 次週12月3日(日)から、礼拝時刻は、午後2時~2時50分 になります。
次週礼拝 12 月3日(日) 午後2時~2時50分
聖 書 イザヤ書52章1~10節
説教題 「主の来臨の希望」
讃美歌(21) 17 231 27 詩編 47:1~17
本日の聖書 エレミヤ書23章1~6節
1「災いだ、わたしの牧場の羊の群れを滅ぼし散らす牧者たちは」と主は言われる。 2それゆえ、イスラエルの神、主はわたしの民を牧する牧者たちについて、こう言われる。
「あなたたちは、わたしの羊の群れを散らし、追い払うばかりで、顧みることをしなかった。わたしはあなたたちの悪い行いを罰する」と主は言われる。
3「このわたしが、群れの残った羊を、追いやったあらゆる国々から集め、もとの牧場に帰らせる。群れは子を産み、数を増やす。4 彼らを牧する牧者をわたしは立てる。群れはもはや恐れることも、おびえることもなく、また迷い出ることもない」と主は言われる。
5 見よ、このような日が来る、と主は言われる。
わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。
王は治め、栄え
この国に正義と恵みの業を行う。
6 彼の代にユダは救われ
イスラエルは安らかに住む。
彼の名は、「主は我らの救い」と呼ばれる。
本日の説教
先週は「モーセの誕生とエジプト脱出」という題の説教でした。モーセは紀元前1280頃の人物です。今日はエレミヤの預言について学びます。
エレミヤは紀元前650年頃に生まれたとされている、イスラエルのユダ王国で活躍した預言者です。モーセからエレミヤの時代までの間には、およそ630年の時が過ぎています。その間、次のような時代が経過しました。
40年間の出エジプト時代、50年間のカナン進入時代、180年間の士師時代、サウル王、ダビデ王、ソロモン王と98年続いた統一王国時代、そして統一王国は、紀元前922年に、北と南の二つに分裂しました。
北のイスラエル王国は198年続きましたが、アッシリア帝国に攻められ、紀元前721年に滅亡しました。南のユダ王国はアッシリアの属国として存続しました。
エレミヤが生まれたのは、バビロニア帝国が世界制覇を成し遂げたバビロニア時代(前626~539年)です。エレミヤが53歳頃の紀元前597年に、エルサレムは陥落し、ヨヤキン王は重要人物らと共に、バビロンに連行されました。
エルサレムではゼデキヤが王として任命されたのですが、バビロニヤに反逆したので、エルサレムは包囲され、陥落し、336続いたユダ王国は、紀元前586年に滅亡しました。エレミヤの最晩年64歳の頃です。王とその家族、側近たちは処刑され、民はバビロンへ連行されました。この時代は、イスラエルの長い歴史の中で、最も激しく危険な、悲劇的な時代だったのです。
エレミヤの出身地はエルサレムの北東4.5キロの地点にあるベニヤミン族に属するアナトテです。アナトテはレビ人の町の一つです。ベニヤミン族は、北イスラエル王国に属する部族でしたが、エルサレムに近かったのでアッシリアの占領を免れました。
北王国の滅亡期の預言者はホセアや、イザヤですが、南王国の滅亡期の預言者はエレミヤです。エレミヤが預言者として召されたのはヨシヤ王の時代の治世13年(紀元前627年)、彼が22、3歳の頃です。
【 <時代年表は紀元前>
1 モーセ 1280頃、40年間の出エジプト時代
50年間のカナン進入時代
180年間の士師時代
2 サウロ王 98年間の統一王国時代(1020~922)
3 ダビデ王
4 ソロモン王
王国分裂時代
北のイスラエル王国(922~721、198年続く)
アッシリア帝国に滅ぼされる。
南王国ユダ(922~586)、336年続く)
バビロニヤ帝国に滅ぼされる。
5 エレミヤ(650頃~586年)バビロニヤ時代(626~539)】
エレミヤの預言活動は、バビロニアの占領に抵抗したグループによって、エジプトへ連行されるまで(紀元前585年頃)、およそ42年間続きました。
エレミヤは召命体験を、彼が46歳の頃に、弟子バルクに命じて記述させ、これをユダのすべての人に語らせました(36:1~10)。召命の記事は、エレミヤ記1章の4~19節に記されています。
エレミヤの召命は、神の御言葉を真実に選民イスラエルの滅亡期に身をもって語ることでした。エレミヤは、主の言葉を、文字通り命がけで伝えた預言者です。彼はどんなに烈しい言葉であっても妥協なく語らざるを得なかったのです。
エレミヤはエルサレム神殿で、「主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない」(7:4)と厳しく非難し、このまま形ばかりの礼拝を続けるなら、エルサレムは滅亡するであろうと預言したので、人々の反感をかい、迫害されます(26:8)。エレミヤの生涯のうちで、最も苦悩に満ちた時期でした。
「エレミヤの告白」が、20章7b~8節にあります。「わたしは一日中、笑い者にされ、人が皆、わたしを嘲ります。わたしが語ろうとすれば、それは嘆きとなり『不法だ、暴力だ』と叫ばずにはいられません。主の言葉のゆえに、わたしは一日中恥とそしりを受けねばなりません。」
神に対する嘆きの訴えです。エルサレムの滅亡が近づき、国の危機を預言する真の預言者エレミヤと、泰平を預言する、宗教的に最高の地位にあり、大きな権力を握っていた偽りの預言者の対立がいよいよ激しくなった時の告白です。エレミヤは、神の都の平安をみだす危険人物とされ、その宮を冒涜する反逆者として打たれ、捕らえられ、足かせをもってつながれました(20:2)。エレミヤは「涙の預言者」と呼ばれていますが、それは彼の味わった苦悩の深さを示す表現です。
エレミヤ記1章1~3節には、エレミヤが活躍した時の王の名が3人記されています。しかし治世の短い王は略されています。1.ヨシヤ王(治世31年)、[ヨアハズ(治世3か月)]、2.ヨヤキム(治世11年)、[ヨヤキン(治世3か月)]、3.ゼデキヤ(治世11年)です。
今日の聖書の箇所23章は、バビロン捕囚期中の回復の預言です。第一は、1~4節で、牧者と羊の比喩を用いて、災いの叫びと悪しき牧者に対する叱責と威嚇のことばとが、民の「残り」のための救済の預言と結びつけて語られています。
第二は、5~6節で、メシアの約束が語られています。この予言は、バビロニア帝国によってエルサレムが陥落し、イエスラエルの国家は滅び、民は敵地バビロンに捕らわれていった後の預言です。
「災いだ、わたしの牧場の羊の群れを滅ぼし散らす牧者たちは」と主は言われる。それゆえ、イスラエルの神、主はわたしの民を牧する牧者たちについて、こう言われる。」(23:1、2節)
ここで言っている牧者たちとは、支配者たちであり、ユダの王たちのことです。牧者である彼らはかえって狼の如く、神の羊の群れを散らします。この牧者たちは、国を滅ぼし、バビロンへの捕囚に導いたからです。
【ユダの王たちとは、22章10節以下にその名が記されています。宗教改革を行ったヨシヤ王の悲運について述べたあと、22章11節には、ヨシヤの子シャルム(=ヨアハズの幼名)、18節には、ヨシヤの子ヨヤキム、34節では、ヨヤキムの子コンヤ(エコンヤの表記もある=ヨヤキン)の三人の王の名があげられ、彼らが申命記に記されたような神の律法を守らなかったことを厳しく批判し、ユダの王であった者たちに対する罰を告げています。
<正義と恵みの業を行い、搾取されている者を虐げる者の手から救え。寄留の外国人、孤児、寡婦を苦しめ、虐げてはならない。またこの地で、無実の人の血を流してはならない(22:3)>。これが律法の要約です。ヨヤキムは、<不当な利益を求め、無実の人の血を流し、虐げて圧制を行っている>とエレミヤに批判されています。】
「このわたしが、群れの残った羊を、追いやったあらゆる国々から集め、もとの牧場に帰らせる。群れは子を産み、数を増やす。彼らを牧する牧者をわたしは立てる。群れはもはや恐れることも、おびえることもなく、また迷い出ることもない」と主は言われる。」(23:3、4節)
エレミヤの預言は、バビロニアによってイスラエルが滅亡し、国を失ったのを境にして、その調子が一変します。エレミヤは、真実の預言者として、ただ祖国の災いと滅亡を預言するだけでなく、救済と回復とを予告します。
<群れの残った羊>とは、ここでは捕囚として散らされた民のことです。神が自ら牧者として、散らされた民を集め、もとの牧場であるユダの地に帰らせ、新しい牧者を立てると言います。
「見よ、このような日が来る、と主は言われる。わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。王は治め、栄え、この国に正義と恵みの業を行う。彼(ダビデ)の代にユダは救われイスラエルは安らかに住む。彼の名は、『主は我らの救い』と呼ばれる。」(23:5,6節)
<ダビデ>の名は、新約聖書の良い羊飼いとしてのイエスを表しています。バビロンで召命を受けたエゼキエルの書34章にも「イスラエルの牧者」についての長い回復の預言が見られます。
<枝>とは、メシアを象徴する言葉です。一度切り倒されたダビデの木の株から一つの若枝が生じるとして、イザヤ書の4:2、11:1などの預言と対応しています。
「その日には、イスラエルの生き残った者にとって、主の若枝は麗しさとなり、栄光となる。この地の結んだ実は誇りとなり、輝きとなる。」(イザヤ4:2)
エレミヤ書のこの箇所は詩文であり、本来の預言としての格調を持っています。この王は、詩編72:2~4で歌われているような王の理想を実行します。<王は治め、栄え、この国に正義と恵みの業を行う。>彼は神の意志を行うので、<主は我らの救い>と呼ばれます。エレミヤもまた新しい理想的な新しい王がダビデの家に生まれることを期待したのです。
イザヤと共に、エレミヤも「最大の預言者」と言われています。エレミヤは祖国の罪に対する神の審判だけを叫んだ滅亡の預言者ではありません。彼は次のように預言しています。エレミヤ書31章27,28節では新し時代と到来を告げ、<わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となると主は言われる(31章33節)>という新しい契約が結ばれます。
エレミヤの最後は明らかではありませんが、エジプトで石で打たれて殉教したと言われています。彼の預言者生活は、主が共にいてくださった(1章19b)、闘争と緊張の連続でした。
マリアの受胎告知の場面で、主の使いはマリアに言います「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい」(ルカ1:31)。このイエスとはヘブル語イェシュアで、「主は救い」を意味しています。エレミヤの待望した「主はわれらの救い」こそイエス・キリストなのだ、イエスはダビデの若枝としてお生まれになった、イスラエルに救いが来たとルカは信仰を告白しています。
来週、12月3日(日)は、待降節(アドベント)を迎えます。私たちと共にいてくださる救い主イエス・キリストの降誕を感謝いたしましょう。