↑ エル・グレコ 聖霊降臨 (Pentecostes) 1605-1610年頃
275×127cm | 油彩・画布 | プラド美術館(マドリッド)
〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403
日本キリスト教 富谷教会 週報
年間標語 『いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝しましょう。』
聖句「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝をこめて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」 (フィリピ4:6)
聖霊降臨節第1主日 2015年5月24日(日) 5時~5時50分 (聖霊降臨日)
礼 拝
前 奏 奏楽 辺見トモ子姉
讃美歌(21) 343(聖霊よ、降りて )
交読詩編 104(わたしの魂よ、主をたたえよ)
主の祈り 93-5、A
使徒信条 93-4、A
聖 書 使徒行伝2章1~11節
説 教 「聖霊降臨による教会創設と世界宣教」 辺見宗邦牧師
讃美歌(21) 390(主は教会の基となり)
献 金
感謝祈祷
頌 栄(21) 24(たたえよ、主の民)
祝 祷
後 奏
次週礼拝 5月31日(日)午後5時~5時50分
聖 書 使徒行伝2章14~36節
説 教 「教会の使信」
讃美歌(21) 411 390 24
本日の聖書 使徒行伝2章1~11節
1五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、2突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。 3そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。 4すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。 5さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、 6この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。 7人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。 8どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。 9わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、 10フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、 11ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」
本日の説教
教会暦では、今日が聖霊降臨日(ペンテコステ)の日です。使徒言行録二章によると、ユダヤ教の五旬祭(ペンテコステ)の日に主イエスの弟子たちの上に聖霊が降り、初代教会が創設され、宣教活動が始まったと伝えられています。「ペンテコステ」という言葉は、もと「五十番目」を意味するギリシア語です。キリスト教の場合、主イエス・キリストの復活を祝うイースターから数えて五十日目にあたることから、この五旬節の日を、ペンテコステ(聖霊降臨祭)として祝うようになりました。今日がその聖霊降臨日に当たります。
初代教会(原始教会)が五旬祭の日に創設されまで、五十日の準備の期間がありました。
復活された日の夕方、イエスが、エルサレムで集まっている十一人の弟子とその仲間がいるところに現れて、次のように言われました。「罪の赦しを得させる悔い改めが、その名(メシア)によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。わたしは、父が約束されたもの(聖霊)をあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」(ルカによる福音書24・46~49)
復活したイエスは四十日にわたって彼らに現れ、こう命じられました。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた父の約束されたもの(聖霊)を待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」(使徒言行録1・4~5)
オリーブ山で昇天するときも、使徒たちに、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサエムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒言行録1・8)と言われました。
イエスの昇天後、使徒たちはすぐに、最後の晩餐が行われた家と思われる、泊まっていた家の上の部屋に上がりました。(使徒言行録1・13)。十一使徒は、婦人たちや、イエスの母、兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていました。欠けたユダの代わりに、マティヤを使徒に選びました。その場所には百二十人ほどの人々が集まっていました(使徒言行録1・15)。
このようにして、五十日間、主イエスが約束された聖霊の到来を待っていたことが、初代教会設立のための準備の期間となり、原動力となったのです。
「五(ご)旬(じゅん)祭(さい)の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」(使徒言行録2・1~4)
ユダヤ教の五旬祭とは、春の祭りである「過越の祭り(ペサハ)」の安息日の翌日から数えて七週間目のその翌日、すなわち五十日目に祝われる「七週祭(シャーブオート)」(レビ記23・15~16、出エジプト記34・24)を、ギリシア語が共通語の時代に、ペンテコステ(五旬祭)と呼びました。この祭りはもともと初夏の小麦の収穫の初穂を神に捧げる日だったのですが、後期ユダヤ教時代(B.C.5~3世紀)になると、モーセがシナイ山で律法を授かったことを記念する日とされ、ユダヤ教の三大祝祭(過越祭、五旬祭、仮庵祭)の一つとして大切に守られていました。
この五旬祭の日に、<一同>が一つになって集まっていました。<一同>とは、明らかでありませんが、最後の晩餐が行われた家で祈っていた人たちで、2・14に「すると、ペトロは十一人と共に立ち上がって」とあるので、マティヤが加わった十二使徒を示唆しているようです。
すると突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響きました。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまりました。
使徒言行録を書いたルカは、聖霊降臨の出来事を象徴的に伝えようとしています。
<風><炎>は、神が現れたことを示します。<天から聞こえ>の<天>は、主イエスが昇天しておられるところです。<風>は同義語の<霊>が降ったことを表し、<舌>は同義語の<言葉>を表しています。
すると<一同は聖霊に満たされ>、<ほかの国々の言葉で>話しだしました。他の国々の人たちの<故郷の言葉>で話し出したのです(2・6,8,10)。
聖霊は一同、一人一人に、異なった国々の言葉を語る賜物として与えられたのです。そして<神の偉大な業>について語り、神を賛美したのです。
「さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。」( 2・5、6)
<あらゆる国から帰って来たユダヤ人>とは、祭りを祝うために帰ってきた巡礼者達ではなく、もとは国外に離散していたユダヤ人が、現在は祖国に帰り、エルサレムに住んでいる人達です。エルサレムには外国生まれのユダヤ人たちや、ユダヤ教に改宗した異邦人たちが数多く住んでいました。エルサレムに住むこのような大勢の人が、この聖霊降臨の出来事の物音に集まって来ました。そしてだれもかれもが、自分たちが生まれた故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまいました。
「 人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。」(2・7、8) 人々は、ガリラヤ出身の使徒たちが、自分たちの生まれ故郷の言葉を話すのを聞いて驚いたのです。それは聖霊のなす奇跡でした。ペンテコステの日に見られたこの現象は、あくまでも聖霊降臨に伴う一つのしるしとして起こったものです。
「わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」(2・9~11)
これらの民族の地名は、ユダヤを中心にして東方から( パルティア、メディア、エラム、メソポタミア)、北西へ(カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア)、またそこから南西へ(エジプト、キレネ、リビア)円を描くように記され、その円から遠く離れた最果てにローマがあります。
<クレタ、アラビアから来た者>は、西方の海洋民と東方の内陸民です。
ペンテコステの日、エルサレムに住んでいた帰国者の出身国(当時、国外へ離散していたユダヤ人の数は4~5百万で、パレスチナに住むユダヤ人の数はわずか50万ほどでした。下線は、使徒2・9~11に出てくる地名。)
当時、ユダヤを含むシリア地方、メソポタミアの共通語はアラム語でした。(アラム語はヘブライ語と同じ語族で、方言程度の差しかなく、イエスもアラム語(のガリラヤ地方方言)を話していたと推定されています。また、その他の地域、ヘレニズム世界では、古代ギリシ語(コイネー)が共通語でした。ユダヤやガリラヤもその影響を受けていました。しかし、聖霊降臨の時、使徒たちはこれらの共通語であるアラム語やギリシア語で話したのではなく、十五の地域の、それぞれの言葉で語ったと言うのです。十五の地域から来た人達は、自分たちの故郷の言葉で神の偉大な業を語っているのを聞いたのは、全世界の人々がやがて、自分たちの国語で、イエスの福音を聞く日が来ることを、象徴する出来事でした。
彼らは<ユダヤ人>と<ユダヤ教への改宗者>です。バビロン捕囚やアレクサンダー大王の世界征服以来、世界各地に散らされていたユダヤ人の子孫や、ユダヤ教へ改宗した信心深い人達がエルサレムに移り住んでいたのです。
使徒たちが、外国の言葉で賛美しているのを聞いた人達は、寛容的・好意的グループと、批判的・敵対的グループに分かれます。批判グループは、使徒たちが<新しいぶどう酒に酔っているのだ>と言い、この奇跡を泥酔だと判断しました。しかし、泥酔のような恍惚状態が、聖霊に満たされたからだと説明するのが、2・14以下のペトロの説教です。
この聖霊降臨の物語は二つの意味をもっています。
その一つは、主イエスが約束した聖霊がイエスに従う使徒たちに降ったということであり、この聖霊降臨によって、初代教会が設立したということです。この日、ペトロの説教の後、三千人ほどの人が洗礼を受け、仲間に加わり、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心は人たちの教会が誕生しました(使徒言行録2・41,42)。このように、キリストの御霊を受けて、キリストを頭とするキリストの体である教会が誕生が創設されたのです。(コロサイ書1・22、23)
そして、もう一つは、聖霊降臨が世界宣教の発端となったということです。臆病だった弟子たちに、語るための力が与えられ、他国の言葉が与えられたことです。これはすべての国に福音が届けられることを示しています。弟子たちはキリストの福音を伝える使徒され、エルサレムに住むユダヤ人や改宗した異邦人に、聖霊に満たされて神の偉大な業を語ることから、世界宣教は始まったのです。
私たちも、聖霊の力、すなわちキリストの御霊を受けて、復活の主の証人とされ、<偉大な救いの業>を宣べ伝え、キリストのからだなる教会をこの地に建てていく使命を与えられているのです。