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富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「預言者エリシャ、ナアマンの皮膚病を癒す」 列王記下5章1-19節

2014-06-29 20:51:34 | 礼拝説教

    ↑ 預言者エリシャの記事に出てくる地名や町名は、赤線で示しています。

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12                     TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本キリスト教 富谷教会 週報

 聖霊降臨節第四主日    2014年6月29日(日) 5時~5時50分 

礼   拝 

前 奏           奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 497(この世のつとめ)

交読詩編   86(主よ、わたしに耳を傾け) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書  列王記下5章1~19節

説 教 「エリシャ、ナアマンの皮膚病を癒す」   辺見宗邦牧師

賛美歌(21)579(主を仰ぎ見れば)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)    24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

     次週礼拝 7月6日(日)夕礼拝の予告

     説教題   「アモスの預言―イスラエルの三つ、四つのとが」

     聖 書 アモス書2章6~8節

     交読詩篇 98  讃美歌(21)78 510 24

本日の聖書 列王記下、5章1~19節

 1アラムの王の軍司令官ナアマンは、主君に重んじられ、気に入られていた。主がかつて彼を用いてアラムに勝利を与えられたからである。この人は勇士であったが、重い皮膚病を患っていた。 2アラム人がかつて部隊を編成して出動したとき、彼らはイスラエルの地から一人の少女を捕虜として連れて来て、ナアマンの妻の召し使いにしていた。 3少女は女主人に言った。「御主人様がサマリアの預言者のところにおいでになれば、その重い皮膚病をいやしてもらえるでしょうに。」 4ナアマンが主君のもとに行き、「イスラエルの地から来た娘がこのようなことを言っています」と伝えると、 5アラムの王は言った。「行くがよい。わたしもイスラエルの王に手紙を送ろう。」こうしてナアマンは銀十キカル、金六千シェケル、着替えの服十着を携えて出かけた。 6彼はイスラエルの王に手紙を持って行った。そこには、こうしたためられていた。

  「今、この手紙をお届けするとともに、家臣ナアマンを送り、あなたに託します。彼の重い皮膚病をいやしてくださいますように。」 7イスラエルの王はこの手紙を読むと、衣を裂いて言った。「わたしが人を殺したり生かしたりする神だとでも言うのか。この人は皮膚病の男を送りつけていやせと言う。よく考えてみよ。彼はわたしに言いがかりをつけようとしているのだ。」

  8神の人エリシャはイスラエルの王が衣を裂いたことを聞き、王のもとに人を遣わして言った。「なぜあなたは衣を裂いたりしたのですか。その男をわたしのところによこしてください。彼はイスラエルに預言者がいることを知るでしょう。」

  9ナアマンは数頭の馬と共に戦車に乗ってエリシャの家に来て、その入り口に立った。 10エリシャは使いの者をやってこう言わせた。「ヨルダン川に行って七度身を洗いなさい。そうすれば、あなたの体は元に戻り、清くなります。」 11ナアマンは怒ってそこを去り、こう言った。「彼が自ら出て来て、わたしの前に立ち、彼の神、主の名を呼び、患部の上で手を動かし、皮膚病をいやしてくれるものと思っていた。 12イスラエルのどの流れの水よりもダマスコの川アバナやパルパルの方が良いではないか。これらの川で洗って清くなれないというのか。」彼は身を翻して、憤慨しながら去って行った。 13しかし、彼の家来たちが近づいて来ていさめた。「わが父よ、あの預言者が大変なことをあなたに命じたとしても、あなたはそのとおりなさったにちがいありません。あの預言者は、『身を洗え、そうすれば清くなる』と言っただけではありませんか。」 14ナアマンは神の人の言葉どおりに下って行って、ヨルダンに七度身を浸した。彼の体は元に戻り、小さい子供の体のようになり、清くなった。

  15彼は随員全員を連れて神の人のところに引き返し、その前に来て立った。「イスラエルのほか、この世界のどこにも神はおられないことが分かりました。今この僕からの贈り物をお受け取りください。」 16神の人は、「わたしの仕えている主は生きておられる。わたしは受け取らない」と辞退した。ナアマンは彼に強いて受け取らせようとしたが、彼は断った。 17ナアマンは言った。「それなら、らば二頭に負わせることができるほどの土をこの僕にください。僕は今後、主以外の他の神々に焼き尽くす献げ物やその他のいけにえをささげることはしません。 18ただし、この事については主が僕を赦してくださいますように。わたしの主君がリモンの神殿に行ってひれ伏すとき、わたしは介添えをさせられます。そのとき、わたしもリモンの神殿でひれ伏さねばなりません。わたしがリモンの神殿でひれ伏すとき、主がその事についてこの僕を赦してくださいますように。」 19エリシャは彼に、「安心して行きなさい」と言った。

  本日の説教

 エリシャは、紀元前9世紀に北イスラエル王国で活躍した預言者です。エリシャについての記事は、列王記上19章19~21節に最初に出てきます。「アベル・メホラのシャファトの子エリシャ」として紹介され、エリヤの後を継ぐ預言者として、エリヤによって油を注がれました。「アベル・メホラ」は、サマリアの西、ヨルダン川の西岸に近い農村です。ヨルダン川の東にあるエリヤの出身地ティシュベとは、それほど隔たってはいない距離にあります。

 エリヤはホレブの山で、ダマスコに行くように神に命じられましたが、その途中、「アベル・メホラ」で、畑を耕している牛飼いの若者エリシャを見出します。エリヤは自分の毛皮の衣を彼に投げかけ、彼を跡継ぎに指名しました。エリシャはエリヤの弟子として従いました。それからおよそ八年間、エリヤの昇天の際に、彼から預言者としての霊を受け継いで独り立ちするに至るまで、エリシャは忠実な僕としてエリヤに同伴し、養育者でもある師に仕えました。

 列王記下2章~7章、8章1~15節、9章1節~13節、13章14~21節と、エリシャの関する記事が続きます。

 列王記下2章1~18節は、アハブ王の子、アハズヤの時代に、エリシャがエリヤの昇天に立ち会った場面です。エリヤの昇天は、エリコに近い、ヨルダン川を渡った東岸で起こりました。エリヤの昇天の直後、師の象徴であった毛皮の衣が落ちてきたので、エリシャはそれを拾いました。衣を受け継ぐことは、職務の継承を象徴しています。エリシャはそれを使って、師エリヤのように、ヨルダン川を二つに分け、エリコに戻りました。これがエリシャの行った最初の奇跡でした。また、この行為によって、他の預言者の仲間からエリヤの正統な後継者として認められたのです。この後、エリシャは二つの奇跡を行いました。

 エリコの町で塩を投げ込んで水源を清めました(2:19~2:22)。そこからベテルに上ったとき、町の子供たちから「はげ頭、上って行け」と罵られ、エリシャが呪うと、森から熊が現れ、四十二人の子供が引き裂かれました。惨い事件でした。彼はそこからカルメル山に行き、サマリアに帰りました。

 それから彼は約六十年の間、預言活動と奇跡の業を絶やすことがありませんでした。彼は、イスラエルを代表する預言者として確固たる地位を確立するに至りました。

  列王記下4章1節から、6章7節までは、エリシャの奇跡物語が記されています。彼の活動期間中、北イスラエル王国ではアハズヤ、ヨラム、イエフ、ヨアハズ、ヨアシュと国王が変わりました。彼は預言者エリヤの弟子として有名で、師の遺志を受け継いで国内に蔓延していた偶像崇拝との戦いに邁進しました。

 彼は様々な奇蹟を行ったことで知られていますが、以下が彼の行った主な奇蹟です。

1)シュムネの婦人の子供が死んだ際、その子を生き返らせました(4:18~37)。

2)油を増やして寡婦とその子供たちを貧困から救いました(4:1~7)。

3)毒物の混入した煮物を麦粉で清めました(4:38~41 )。

4)パン二十個と一袋の穀物を百人の人間が食べきれないまで増やしました(4:42~44)。

5)アラムの軍司令官ナアマンの皮膚病をヨルダン川の水で癒しました(5:1~14)。

6)水の中に沈んだ斧を浮き上がらせました(6:1~7)。

  6章8節から,7章20節までは、アラム軍の三度にわたる攻撃を、いかにして撃退に成功したか、そのためにエリシャがどのように貢献したかが語られています。

8章1節から6節までは、エリシャの死後、エリシャの従者ゲハジとの関連で語られた、エリシャの後日譚です。

  エリシャが、かつてシュネムの婦人に、飢餓が七年も続くから、ぺリシテに避難するようにすすめました。長期にわたる飢饉と戦乱が終わり、帰国したこの婦人が、失われていた家と畑の返還を王に申し出ました。エリシャの従者ゲハジが口添えしたので、ヨアシュ王が宦官に命じて、この婦人のために可能な限り有利な解決を命じました。

  8章7節から15節は、「ハザエルに油を注いでアラムの王とせよ」と、ホレブの山で神に言われたエリヤの任務を、エリシャが果たした話しです。

  9章1節から13節は、「ニムシの子イエフにも油を注いでイスラエルの王とせよ」と命じられたエリヤの任務をエリシャが果たした話しです。

  このようにエリヤの任務はエリシャに引き継がれたのです。アラムの王ハザエルと、イスラエルの王ニムシの二人の王は、エリシャと力を合わせ、ユダの王アハブと彼に従う悪の仲間全員と、そしてバアルを礼拝する者たち全員を滅ぼしたのです。

  列王記下13章14節から21節までには、ほぼ五十年ぶりに、エリシャが登場します。9章1節のイエフ(在位期間28年)の時から、続くヨアハズ(在位期間17年)を経て、ヨハシュ王の時代のことになります。ヨアシュ王は死の病を患っているエリシャを訪ねました。ヨアシュ王は、エリシャがエリヤの昇天の際に口にした「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」という称号を、エリシャに語りました。この言葉の意味は、アラムからの圧迫の中で、対処の仕方を教えてくれる者を失う悲しみを表していると思われています。嘆くヨアシュに対して、エリシャは弓と矢を取るように指示し、矢を射るように命じました。それは「主の勝利の矢、アラムに対する勝利の矢だ」と言い、その後、何度も地を射るように命じました。しかし、ヨアシュが三度で止めてしまったので、神の人エリシャは怒って王に言いました。「五度、六度と射るべきであった。そうすればあなたはアラムを撃って、滅ぼし尽くしたであろう。」エリシャの怒りは、勇気と決断力、そして信仰心の欠けている王に対する怒りでした。エリシャは、アラムとの戦におけるイスラエルの三度の勝利を預言したのを最後に、死んで葬られました。

  主イエスは、故郷ナザレで、「預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ」と話され、「預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった」という話しをしておられます。このナアマンの話しは、列王記下5章に記されています。

 アラム軍の司令官ナアマンは、王に重んじられる勇士でしたが、思い皮膚病(悪性皮膚病)を患いました。妻の召使いをしていたイスラエル人の少女が、女主人に、「サマリアの預言者のところに行けば、その重い皮膚病をいやしてもらえるでしょう」と言ったことから、ナンマンは王にそのことを伝えると、王は承諾して、自らイスラエル王に当てた手紙を書き、ナアマンに託しました。ナアマンは銀十キカル、金六千シュケル、着替えの服十着を携えて出かけました。ナアマンはイスラエル王に会った後、数頭の馬と共に戦車に乗ってエリシャの家に来て、その入口に立ちました。エリシャは使いの者をやってこう言わせました。

 「ヨルダンの川に行って七度身を洗いなさい。そうすれば、あなたの体は元に戻り、清くなります。」

  それを聞いて、患者の自分を診ることもしないで、ヨルダン川で身を洗えという、エリシャの指示に憤慨しました。しかし、ナアマンを家来たちがいさめたので、ナアマンは預言者の言葉どおりに下って行って、その通りにしました。すると、彼の体は完全に元に戻り、清らかになりました。エリシャは、治療が呪術によるのではなく、全能の神への信頼によることを明らかにしたのです。

  ナアマン一行は、ヨルダン川から引き上げてきて、「イスラエルのほか、この世界のどこにも神はおられないことが分かりました。」と言って、イスラエルの神への信仰を告白し、謝礼を差し出しました。しかし、エリシャはこれをはっきり拒絶しました。神の特別な働きは、無償の行為によって実現されることを身をもって示したのです。今日の新興宗教の教祖たちのように、奇跡のよる治癒を、金儲けの手段にはしませんでした。エリシャの従者ゲハジは、欲にかられてナアマンの後を追いかけ、サマリアの中にあるオフェルの丘で、ナアマンから贈り物の一部を受け取り、家にしまいこみ、彼らを帰しました。それに気付いたエリシャは言いました。「今は銀を受け、衣服、オリーブの木やぶどう畑、羊や牛、男女の奴隷を受け取る時であろうか。ナアマンの重い皮膚病がお前とお前の子孫にいつまでもまといつくことになるのに。」ゲハジは重い皮膚病にかかり、エリシャの前から立ち去りました。

  列王記下4章には、預言者の仲間の妻の一人が、夫を亡くし、債権者から子供二人を奴隷として連れ去られようとしたとき、エリシャに助けを求めた話しが記されていますエリシャは、彼女の唯一の持ち物であった油の壷と、手に入るだけ集めさせた器に、油を注げと命じました。すべての器を満たした油を売った金で、負債を返し、残りで生活しなさいと言ったのです。彼女は借金を払うことができ、生活費も得ることが出来ました。この話は、金銭的な問題も神に祈って、解決させてもらいなさいという、今日に私たちにとっても、力づけられる奇跡の逸話です。

  また、同じ4章の5節以下には、シュネムの裕福な婦人についての感動的な話しがあります。シュネムはイズレエル平野の中にある小さな町です。彼女のすばらしいもてなしに、エリシャはどう報いようかと案じました。何不足なく暮らしている彼女でしたが、彼女には子供がなく、夫が年を取っているのを知ったエリシャは、彼女に男の子が産まれることを約束しました。預言の通り彼女に男の子が授かりました。彼女らが最も望んでいたものを与えたのです。しかし、この子が「頭が、頭が」と言って、急病にかかり、死んだのです。夫人は従者を連れ、ろばに乗ってカルメル山にいるエリシャのもとに来て、助けを求めました。エリシャは彼女の家に行き、その子を生き返らせ、「あなたの子を受け取りなさい」と言って渡しました。彼女はエリシャの足もとに身をかがめ、地にひれ伏して、自分の子供を受け取りました。その後、エリシャはギルガルに帰りました。

  このように、エリシャは常に民衆の中で生き、助けて手として愛の働きをしました。こういったさまざまの援助によって、神御自身が助け手であることを民衆に信じさせました。「エリシャは、彼らの生活している家庭の中に、彼らの心配、争い、悲しみ、喜び、希望、恐れのただ中に、神をもたらしました。」(F・ジェィムズ著、山本七兵訳「旧約聖書の人びと」Ⅱp.53)

 

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「静かにささやく主の声」 列王記上19章1~18節

2014-06-22 21:57:06 | 礼拝説教

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12                                                 TEL:022-358-1380      FAX:022-358-1403

日本キリスト教 富谷教会 週報

年間標語『主はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない。』

聖句「神は神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」(ロマ8:28)

 

聖霊降臨節第三主日    2014年6月22日(日)     5時~5時50分 

礼   拝 

              司会 星野  宗台師

前 奏           奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 214(わが魂(たま)のひかり)

交読詩編   27(主はわたしの光、わたしの救い) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書  列王記上19章1~18節

説 教 「静かにささやく主の声辺見宗邦牧師

賛美歌(21)464(ほめたたえよう)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)    24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

 本日の聖書 列王記上19章1~18節

 1アハブは、エリヤの行ったすべての事、預言者を剣で皆殺しにした次第をすべてイゼベルに告げた。2イゼベルは、エリヤに使者を送ってこう言わせた。「わたしが明日のこの時刻までに、あなたの命をあの預言者たちの一人の命のようにしていなければ、神々が幾重にもわたしを罰してくださるように。」

 3それを聞いたエリヤは恐れ、直ちに逃げた。ユダのベエル・シェバに来て、自分の従者をそこに残し、4彼自身は荒れ野に入り、更に一日の道のりを歩き続けた。彼は一本のえにしだの木の下に来て座り、自分の命が絶えるのを願って言った。「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません。」5彼はえにしだの木の下で横になって眠ってしまった。御使いが彼に触れて言った。「起きて食べよ。」6見ると、枕もとに焼き石で焼いたパン菓子と水の入った瓶があったので、エリヤはそのパン菓子を食べ、水を飲んで、また横になった。7主の御使いはもう一度戻って来てエリヤに触れ、「起きて食べよ。この旅は長く、あなたには耐え難いからだ」と言った。8エリヤは起きて食べ、飲んだ。その食べ物に力づけられた彼は、四十日四十夜歩き続け、ついに神の山ホレブに着いた。9エリヤはそこにあった洞穴に入り、夜を過ごした。見よ、そのとき、主の言葉があった。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」10エリヤは答えた。「わたしは万軍の神、主に情熱を傾けて仕えてきました。ところが、イスラエルの人々はあなたとの契約を捨て、祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したのです。わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうとねらっています。」11主は、「そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい」と言われた。見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を/裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。12地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。13それを聞くと、エリヤは外套で顔を覆い、出て来て、洞穴の入り口に立った。そのとき、声はエリヤにこう告げた。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」     14エリヤは答えた。「わたしは万軍の神、主に情熱を傾けて仕えてきました。ところが、イスラエルの人々はあなたとの契約を捨て、祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したのです。わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうとねらっています。」15主はエリヤに言われた。「行け、あなたの来た道を引き返し、ダマスコの荒れ野に向かえ。そこに着いたなら、ハザエルに油を注いで彼をアラムの王とせよ。16ニムシの子イエフにも油を注いでイスラエルの王とせよ。またアベル・メホラのシャファトの子エリシャにも油を注ぎ、あなたに代わる預言者とせよ。17ハザエルの剣を逃れた者をイエフが殺し、イエフの剣を逃れた者をエリシャが殺すであろう。18しかし、わたしはイスラエルに七千人を残す。これは皆、バアルにひざまずかず、これに口づけしなかった者である。」

本日の説教

 ソロモン王の後、イスラエル統一王国は二つに分裂しました。ソロモンの息子レハブアムは、南ユダ王国の王位につきました。ソロモンの家臣であったヤロブアムは北イスラエル王国を樹立し、王位につきました。

         

  北王国のヤロブアムは、南王国の首都エルサレムに対抗し、シケムを首都とし、ベテルとダン(ヘルモン山の麓)とに神殿を設け、二つの金の子牛を造ってそれを拝ませました。以来、北王国には、よい政治を行う王は一人も起こらず、殺害の相次ぐ暗黒な歴史を繰り返し、王国の滅亡を早めました。その中でも、最悪の王は七番目の王、アハブでした。アハブは、「彼以前のだれよりも主の目に悪とされることを行った」(列王上16:30)とあります。このアハブの治世(在位・紀元前871~852年)に、預言者エリヤが現れました。

  「ギレアドの住民である、ティシュベ人エリヤ」(列王17:1)と、エリヤは紹介されています。ギレアドはヨルダン川の東側の山岳地帯を指し、イスラエルがカナンに入植する際、ガド族に分割された地です。エリヤは、ティシュベというヤボク川の北16キロにある山あいの小さな村の出身者です。エリヤは、「毛衣を着て、腰には革帯を締めていた」(列王下1:8)、と野性的な外観が記されています。

 エリヤ(「主こそ神」の意)が登場した舞台は、北イスラエル王国の中でも最も最悪な王として非難されているオムリ王朝の二代目の王アハズの治世中です(BC864頃)。アハブの父オムリ王は海沿いの国フェニキアとの同盟を強化し、シドン人の王エトバアルの娘イゼベルを息子アハブの妻に迎えたことで一層同盟を強固としました。アハブ王の時代は、サマリアでもバアル礼拝が公然と行われるようになりました。アハブは妻イゼべルの言うがままとなり、アシュラ像を造り、主の怒りを招くことを行いました。

 バアルは、土地に豊かな実りをもたらす農業の男性神であり、アシュラはその配偶者の女性神で、農産物はこの両者の性的交渉によって豊かに実ると考えられました。そのため、バアル礼拝には不道徳な儀式が伴い、礼拝には、人間の姿をした偶像が用いられました。

  このようなイスラエルの神でない神々が祭られていた時代、アハズのもとに突如として現れたのが預言者エリヤです。エリヤは、「わたしの仕えるイスラエルの神、主は生きておられる」と宣言し、エリヤが告げるまで、神の罰として、数年間干ばつが続くと予言したのです。

 預言者の大切な使命は、士師時代の先見者サムエルのように、将来を見通す特別な存在ではなく、「神のことば」をそのまま人々に語り伝え、イスラエルが本来の信仰に立ち帰ることを叫び続けることにありました。

 エリヤ活動は、列王上17~19章、21章、列王下1~2章にわたって記されています。この6章に及ぶエリヤ伝の内容を、かいつまんで述べると、次のようになります。

 エリヤはアハブ王に、神の裁きとしての干ばつを予言しました。話は前後しますが、列王上21章に記されているナポトのぶどう畑を、アハブとイゼベルが偽証と殺人という不当な手段によって奪い取ったことに対する神の罰として、干ばつを予言したものと推定されています。エリヤがアハブと対決したのは、イズレエル平野の中心部にあるイズレエルの町でした(王上21:18)。エリヤは神に命じられ、王の迫害を避けるため、郷里ティシュベに近い、ヨルダン川の東にあるケリト川のほとりに身を隠し、川の水が涸れるまでそこにいました。神がからすに命じて、朝に、夕に食事を運ばせて、エリヤを養いました。

  川の水が涸れた後、神に命じられて、遠くのイゼベルの出身地シドンに近い、地中海に面するフェニキアのサレプタに行って住みました。そこに住む貧しいやもめがエリヤを養いました。このやもめは、一握りの小麦粉とわずかの油が残っているだけで、それでパンを焼いて食べた後は、死ぬことを覚悟していました。「再び雨の降るときまで、壷の粉は尽きず、瓶(かめ)の油はなくならない」とイスラエルの神は言われると、エリヤは女に預言しました。そしてそのとおりになりました。

  この女の息子が病気になって死んでしまったとき、嘆き悲しむこのやもめのために、エリヤは神に祈って、その息子を生き返らせました。

  三年目、神の言葉がエリヤに臨んで、「行って、アハブの前に姿を現せ。わたしはこの地に雨を降らせる」と告げられました。エリヤはアハブの前に姿を現すために出かけました。サマリアはひどい飢饉に襲われていました。アハブ王と宮廷長オバドヤは、手分けして、水を求めて各地の泉と川を見回りに出ました。そのオバドヤにエリヤは出会って、アハブに会うことを告げました。オバドヤからの報告をうけて、アハブはエリヤに会いにきました。アハブは、エリヤの求めに応じて、カルメル山にバアルの預言四百五十人とアシュラの預言者四百人を集めました。このハ百五十名の大勢の預言者たちに対して、エリヤは一人で対決することにしたのです。カルメル山は、フェニキアとイスラエルの国境の地点にあります。ここに両者の祭壇が置かれました。

  エリヤは集まったすべての民に、「あなたたちは、いつまでどっちつかずに迷っているのか。もし主が神であるなら、主に従え。もしバアルが神であるなら、バアルに従え。」と言いました。対決の方法について、エリヤは、「それぞれの祭壇に雄牛をささげ、天から火が下されるように、それぞれの神に祈り、火をもって答える神こそ神であるはずだ。」、民に向かって説明しました。民は皆、「それがいい」と答えました。

 エリヤは、先にバアルの預言者たちに実行させました。彼らは朝から昼過ぎまで、バアルの名を呼んで、跳び回り、体に傷をつけて叫んだが、何の兆候もありません。エリヤは、彼らを嘲り、壊されていた主の祭壇を築き、祭壇の周りに水を注ぎ、静かに、しかし激しく祈りました。「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ、……わたしに答えて下さい。主よ、わたしに答えてください。…」と。ついに、主の火が降り、捧げ物を焼き尽くしました。これを見たすべての民はひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です。』(列王上18:39)と言いました。イスラエルの民は、この対決をまのあたりにして、イスラエルの神こそが真実の神であることを知り、本来の信仰に立ち帰ったのです。エリヤは、バアルの預言者ども捕えよ、と民に命じ、キション川に連れて行って殺しました。

  エリヤはアハブに、「上って行って飲み食いしなさい。激しい雨の音が聞こえる」と告げました。そうするうちに、激しい雨になりました。アハブは車に乗ってイズレエルに向かいました。エリヤも雨の中をイズレエルの境まで、アハブの先を走って行きました。

  ここからが、今日の聖書の個所、列王記上19章です。

 アハブ王から、エリヤの行ったすべての事を聞いた妃イゼベルは激怒して、翌日までエリヤを殺害すると予告しました。それを聞いたエリヤは恐れ、直ちに逃げました。エリヤも、一人の人間としては決して強い人ではありませんでした。エリヤは、ベエル・シェバまで従者と共に来ましたが、そこからはただ一人になり、さらに一日の道のりを歩いて、一本のえにしだの木の下に座りました。彼は、自分に課せられた任務とイスラエルの将来に希望を失い、迫害を恐れ、もうこれまでと、自分の命が絶えるのを願って、主に言いました。 「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません。」

 彼はその木の下で横になって眠ってしまいました。そこえ天使が現れて、パン菓子と水の入った瓶(かめ)を運んでくれました。彼は力づけられて、ホレブへ向かいました。四十日四十夜歩き続けました。

 エリヤがホレブの洞穴で夜を過ごすと、神が語りかけました。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」

 エリヤは答えました。「わたしは万軍の神、主に情熱を傾けて仕えてきました。ところが、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したのです。わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうとねらっています。」

 主は、「そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい。」と言われました。そのとき、主が通り過ぎて行かれました。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕きました。しかし、風の中には主はおられませんでした。風の後に地震が起こりました。しかし、地震の中にも主はおられませんでした。地震の後に火が起こりました。しかし、火の中にも主はおられませんでした。風も地震も火も神顕現のしるしです。神はそれらをはるかに越えた、超越的な力をおびた方でした。火の後に、静かにささやく声が聞こえました。

  それを聞くと、エリヤは、罪ある者が神を直視すれば死ぬことになるので、外套で顔を覆い、出て来て、洞穴の入り口に立ちました。そのとき、主はエリヤにこう告げました。「行け、あなたの来た道を引き返し、ダマスコの荒れ野に向かえ。そこに着いたなら、ハザエルに油を注いで彼をアラムの王とせよ。ニムシの子イエフにも油を注いでイスラエルの王とせよ、またアベル・メホラのシャファットの子エリシャにも油を注ぎ、あなたに代わる預言者とせよ。」と命じました。この三人に悪い者たちを殺してもらうためです。そして主は、「わたしはイスラエルに七千人を残す。これは皆、バアルにひざまずかず、これに口づけしなかった者である。」と、語りました。たった一人で主のために戦っていると思い、孤独であったエリヤに、七千人もの味方を残すと主は約束し、エリヤを力づけまました。

 エリヤは、打ちひしがれ、最も意気阻喪した時に、むかし、ホレブの山上で、モーセに自己を現した神は、エリヤにも現れたのです。エリヤは「静かにささやく主の声」を、聖霊によって敏感にされた魂の内奥で聞き取りました。そして、人格の芯まで神に捕えられる体験をしました。エリヤは再び力を得、新しい使命を果たすべく立ち上がることができました。エリヤは、その後の数世紀間に現れた預言者たちの先駆者となりました。ついには、その人物像は超自然的なものにまで高められ、その最後は、伝説によれば、エノクのように(創世記5:24)、自然的な死にかたをせず、後継者エリシャの目の前で、火の馬と火の車に乗って、嵐の中を天に上って行きました(列王下2章11節)。イエスの時代には、エリヤは、イスラエルの人々の心の中に、メシアが現れるとき、エリヤが先駆者として現れる、と思われるようになりました。

 私たちも、聖霊によって心の深みまで新たにされて、主イエスの静かなささやく声を聞き分けうる心を与えられるように祈りましょう。「主よ、さわがしき 世の巷(ちまた)に、われをわすれて いそしむまも、細きみこえを ききわけうる ずけきこころ あたえたまえ。」(讃美歌21、497番3節)と歌いましょう。

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 「栄華を極めたソロモン王の背信」 列王記上11章1~13節

2014-06-15 15:19:19 | 礼拝説教

             ↑ ソロモンの神殿と宮殿

 

 

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12                                                    TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本キリスト教 富谷教会 週報

年間標語『主はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない。』

聖句「神は神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」(ロマ8:28)

 

聖霊降臨節第二主日    2014年6月15日(日)  5時~5時50分 

礼   拝               司会 永井慎一兄

前 奏           奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 204(よろこびの日よ)

交読詩編   72(神よ、あなたによる裁きを、王に) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書  列王記上11章1~13節

説 教 「栄華を極めたソロモン王の背信」  辺見宗邦牧師

賛美歌(21)459(飼い主わが主よ)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)    24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

 

次週礼拝 6月22日(日)夕礼拝 午後5時~5時50分

 説教題 「神の人エリヤ、やもめの息子を癒す」

 聖 書 列王記上17章1~24節

 交読詩篇 27  讃美歌(21)214、 464、 24

 

本日の聖書 列王記上11章1~13節

 1ソロモン王はファラオの娘のほかにもモアブ人、アンモン人、エドム人、シドン人、ヘト人など多くの外国の女を愛した。 2これらの諸国の民については、主がかつてイスラエルの人々に、「あなたたちは彼らの中に入って行ってはならない。彼らをあなたたちの中に入れてはならない。彼らは必ずあなたたちの心を迷わせ、彼らの神々に向かわせる」と仰せになったが、ソロモンは彼女たちを愛してそのとりことなった。

3彼には妻たち、すなわち七百人の王妃と三百人の側室がいた。この妻たちが彼の心を迷わせた。 4ソロモンが老境に入ったとき、彼女たちは王の心を迷わせ、他の神々に向かわせた。こうして彼の心は、父ダビデの心とは異なり、自分の神、主と一つではなかった。5ソロモンは、シドン人の女神アシュトレト、アンモン人の憎むべき神ミルコムに従った。6ソロモンは主の目に悪とされることを行い、父ダビデのようには主に従い通さなかった。7そのころ、ソロモンは、モアブ人の憎むべき神ケモシュのために、エルサレムの東の山に聖なる高台を築いた。アンモン人の憎むべき神モレクのためにもそうした。8また、外国生まれの妻たちすべてのためにも同様に行ったので、彼女らは、自分たちの神々に香をたき、いけにえをささげた。

9ソロモンの心は迷い、イスラエルの神、主から離れたので、主は彼に対してお怒りになった。主は二度も彼に現れ、10他の神々に従ってはならないと戒められたが、ソロモンは主の戒めを守らなかった。11そこで、主は仰せになった。「あなたがこのようにふるまい、わたしがあなたに授けた契約と掟を守らなかったゆえに、わたしはあなたから王国を裂いて取り上げ、あなたの家臣に渡す。12あなたが生きている間は父ダビデのゆえにそうしないでおくが、あなたの息子の時代にはその手から王国を裂いて取り上げる。13ただし、王国全部を裂いて取り上げることはしない。わが僕ダビデのゆえに、わたしが選んだ都エルサレムのゆえに、あなたの息子に一つの部族を与える。」  

 

本日の説教

 ソロモンは、ダビデ王の妻バト・シェバから生まれた子で、ダビデはその子をソロモン(「平和な」の意)と名付けました。ダビデがバト・シェバを妻とした事件は、サムエル記下11章に記されています。

  ダビデはある日見初めた水浴する美しい女バト・シェバを、自分の家来であるヘト人ウリアの妻と知りながら、召しかかえ、妊娠させただけでなく、ウリアを戦死させ、バト・シェバを奪って自分の妻としました。この王の悪行を、神は預言者ナタンを通して激しく戒めました。詩編51篇は、このナタンの言葉によって、自らの罪を知り、神の前に悔い改めたダビデの心情が歌われています。生まれた子は、姦淫の罰として、七日目に死にました。その後に、バト・シェバから生まれたのがソロモンです。ヘブロンで生まれたダビデの息子の名前がサムエル下3:2~5に、エルサレムで生まれたダビデの子供が、5:13~16に記されています。

  ダビデには多くの妻たちの間に、多くの異母兄弟たちがいたので、王位の継承をめぐる混乱がありました。兄アドニヤとの王位継承争いに勝って、ソロモンは第3代のイスラエル王となりました。

  列王記上の1章から12章までに、ソロモンの即位(紀元前961年頃)から王国の分裂(922頃)までの約40年間が記されています(平行記事:歴代誌上29章21節~歴代誌下9:31節)。

  ソロモンは即位した頃は、「主を愛し、父ダビデの授けた掟に従って歩んだが、彼も聖なる高台でいけにえをささげ、香をたいていた(列王3:3)」とあります。王はいけにえをささげるためにギブオン(エルサレムから約9キロ離れている地)へ行った夜、神はソロモンの夢枕に立ち、「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われました。ソロモンは、「どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください」(列王記上3:9)と、答えたのです。神はソロモンのこの願いを喜ばれ、「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。」と言われ、その願いを聞き届けられたばかりか、求めなかったもの、富と栄光も与えると約束されたのです。「もしあなたが父ダビデの歩んだように、わたしの掟と戒めを守って、わたしの道を歩むなら」と言う条件で、神はソロモンに長寿をも恵もうと約束されました。

  ソロモンは、知恵に満ち、数多くの箴言を語り、詩を詠み、その名声は諸外国まで伝わりました。シェバの女王が、多くの難問を携えてソロモンを試しに訪れました。シェバは、アラビア半島南西部、現在のイエーメンの山岳地帯にあった地名と推定されています。この地に移住したセム族のサベア人が、現在のマリブやシルワを中心に住み王国を築きました。彼らは高価な香料や黄金をもった商人として知られていました(詩編72:15)。シェバの女王は、多くの従者を連れ、香料とたくさんの金と宝石をらくだに負わせてエルサレムにやってきました。ソロモンは彼女の出したすべての難問に見事に答えたので、感心し、ソロモンの建てた宮殿などにも感嘆して帰って行きました(列王記10:1~13)。

  ソロモン王は全国に十二人の知事を置き、組織を整え、その支配が国中に及びました。ソロモンは、ユーフラテス川からペリシテ人の地方、更にエジプトとの国境に至るまで、すべての国を支配し、平和が続いたので、イスラエルの国は繁栄しました。

  ソロモンの最大の事業は、エルサレムに「神殿」と宮殿を建造したことです。神殿建造の詳細は、5章15節以下と、6章に記されています。神殿の建築には7年を要し、宮殿を築くには13年、合わせて20年をかけて完成させました。「契約の箱」は、ダビデの治世中は、簡素な幕屋の中におさめられていたが、神殿の至聖所におさめられました。

  「契約の箱」を安置した後、全会衆の前で、主の祭壇の前でソロモンは長い祈りを神に捧げました(列王記上8:23~53)。この祈りに中で、次のような祈りをしています。

  「あなたはこう仰せになりました。『あなたがわたしの前を歩んだように、あなたの子孫もその道を守り、わたしの前を歩むなら、わたしはイスラエルの王座につく者を断たず、わたしの前から消し去ることはない』と。イスラエルの神よ、あなたの僕、わたしの父ダビデになさった約束が、今後も確かに実現されますように。(8:25~26)」

  このソロモンの祈りに応えて主なる神がソロモンに現れ、こう仰せになりました。

   「もしあなたが、父ダビデが歩んだように、無垢な心で正しくわたしの前を歩み、わたしがあなたに命じたことをことごとく行い、掟と法を守るなら、あなたの父ダビデに、…約束したとおり、わたしはイスラエルを支配するあなたの王座をとこしえに存続させる。もしあなたたちとその子孫がわたしに背を向けて離れ去り、わたしが授けた戒めと掟を守らず、他の神々のもとに行って仕え、それにひれ伏すなら、わたしは与えた土地からイスラエルを断ち、わたしの名のために聖別した神殿もわたしの前から捨て去る(9:4~7)。」

   しかし、やがてソロモンは老境に入ったとき、この「神への信仰」をないがしろにし、まことに愚かな王となってしまうのです。ソロモンの背信とその結果が、今日の聖書の個所11章に記されています。

  ソロモンの背信の原因は、主としてエジプトの王女をはじめ、モアブ、アンモン、エドム、シドン、ヘトなどの外国人の女を愛したことにあります。彼は貿易で利益を得るために諸外国の王の娘たちと結婚しました。この妻たちが彼の心を迷わせ、他の神々に心を向けさせたのです。

 七百人の王妃、三百人の側室などの外国人の王妃が王宮の中に他の神々を持ち込むのを、ソロモンは止めることはせず、シドン人の女神アシュトレト、アンモン人の神ミルコム、モアブ人の神ケモシュ、アンモン人の神モレクなどの礼拝所を、エルサレムの東のオリーブ山に、造って与えました。ソロモンは主の目に悪とされることを行いました。

  そのことに対して神はお怒りになりました。主は二度も彼に現れ、他の神々に従ってはならないと戒めらえたのに、ソロモンは主の戒めを守らなかったので、やがて王国を二つに分裂させると主は仰せになりました。

  壮大な建築事業のために、莫大な財源を必要としました。また、豪華な宮廷生活にも大変なお金がかかりました。王国の維持のために、必然的に人間の力や知恵に大きく依存しなければならなくなりました。「ソロモンの繁栄」と言われた輝かしい時代でしたが、そのかげで、王は財力を得るために人民に苦しみと犠牲を求めました。ソロモンの出身のユダ族を除く他の部族の人々は、強制労働に駆り出され、徴兵制度、徴税制度などが課せられたので、国内に不満が増大しました。

   エフライム族のヤロブアムは、ソロモンの有能な家来でありながら、やがて王に対して反旗を翻すに至りました。ヤロブアムは一時敗れてエジプトに亡命したが、ソロモンの死後民に迎えられ、北部10部族を率いる北王国イスラエルを建国し、初代の王となりました。南部では、ユダ族とベニヤミンの小部族だけが、ソロモンの息子のレハブアムの支配領域として残り、南ユダ王国となりました。ソロモンがエルサレムで全イスラエルを治めたのは四十年でした。こうして、サウル、ダビデ、ソロモンと三代続いた統一王国も、100年にして、北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂してしまうのです。

  旧約聖書において最も知恵ある人は誰かと問われれば、多くの人がソロモン王と答えるでしょう。また、イスラエルが最も繁栄した時代はいつかと問われれば、やはりソロモン王の時代と答えるでありましょう。最も知恵があり、最も富を得た人、それがソロモン王でありました。ダビデ王によって領土を広げたイスラエルは、次のソロモン王の時代に、その繁栄の頂点に達しました。栄華を極めたソロモンでしたが、老年になってからは、神よりも人からの賞賛や栄誉を求め、財力や権力におごりました。天に富を積むことよりも、地上に富を積むことに夢中になりました。

  主イエスは、「栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった」(マタイ6:19、ルカ12:27)と、ソロモンの贅沢のかぎりをつくした豪華な服を風刺し、野の花の美しさをたたえています。この栄華を極めたときのソロモンよりも野の花のほうが美しい、とおっしゃったイエス様のおことばは、私たちに必要なものはいつも必ず神様が供えてくださるから、何も心配しなくていい、という教えであり、同時に、私たちが必要以上のものを、自分の欲を満たすために追い求めようとすることへの厳しい戒めでもあります。ソロモンの老境に入ってからの神への背信を教訓とし、神様から与えられているものに感謝し、満足することを知り、たとえ生活は貧しくとも、心は富んで豊かでありたいものです。生涯も最後まで、無垢な心で、ひたすら正しく神の前に歩む者でありたいと願います。

 

 

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「聖霊降臨日の出来事と、私たちが聖霊に満たされるには」使徒言行録2章1~13節

2014-06-08 22:44:22 | 礼拝説教

               ↑ 離散したユダヤ人の地図

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

       日本キリスト教 富谷教会 週報

年間標語『主はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない。』

聖句「神は神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」(ロマ8:28)

 聖霊降臨節第一主日(聖霊降臨日)    2014年6月8日(日)   5時~5時50分 

                   礼   拝 

前 奏           奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 343(聖霊よ、降りて)

交読詩編   19(天は神の栄光を物語り) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書  使徒言行録2章1~13節

説 教 「聖霊降臨日の出来事と、私たちが聖霊に満たされるには 辺見宗邦牧師

賛美歌(21)521(とらえたまえ、われらを)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)    24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

     本日の聖書 使徒言行録2章1~13節

  1五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、2突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。3そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。4すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。

  5さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、6この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。7人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。8どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。 9わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、10フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、11ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」

 12人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。13しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。

     本日の説教

 「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると」(使徒言行録2章1節)とあります。

  聖霊降臨は、ユダヤ教の祭りの<五旬祭>の日に起こりました。<五旬祭>は、「七週祭(シャブホット)」とも言われ、初夏の収穫感謝祭です。申命記16章には、ユダヤ教の三大祝祭日(除酵祭[過越祭]、七週祭[五旬祭]、仮庵祭)について記されていますが、9節以下に、「七週祭」の規定があります。また、レビ記23章15節以下によると、過越の祭の安息日の翌日(日曜日)から七週間を経た翌日までの50日を数えたら、五旬祭とする定めが記されています。<五旬祭>は「刈入れの祭」(出エジプト記23:16)とも呼ばれた小麦の収穫の初穂を神にささげる日でした。

 その後、ギリシア語で50にあたる<ペンテーコステー>が、ユダヤ教の<五旬祭>を表す言葉として用いられるようになりました。聖霊降臨は、大勢の人たちが集まる意義深い祭りの日に起きたのです。 

 この五旬祭の日に起こった聖霊降臨を、キリスト教では、<ペンテコステ>と言う名称で祝うようになりました。

 使徒言行録2章に書かれている聖霊降臨は、旧約における神の預言、「その後、わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。」(ヨエル書3:1)の成就した日です。新約聖書では復活の主の預言が成就(使徒行伝1:4~6)した出来事です。主の復活から50日目に当たり、主の昇天から数えると10日目に当たります。

  復活された主イエスは、昇天される前、「エルサエムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。…あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。…地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使徒言行録1章4、8節)と使徒たちに語り、約束された聖霊を待つようにと命じていました。

  十一人の使徒たちは、復活の主とお会いし、天に上げられるイエスを伏し拝んだあと、大喜びでエルサレムに帰り、泊まっていた家の上の部屋に上がりました。彼らは、約束された聖霊が与えられることを信じて、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていました。

 そのころ、百二十人ほどの人々が一つになり、ペトロの提案で、ユダの代わりにマティアを選び、十一人の使徒の仲間に加えました。しかし、主の証人となって福音を宣教するには、まだ恐れや不安がありました。

 そんな彼らが集まっているとき、神さまの霊が彼らの上に降ったのです。聖霊の働きを表す象徴的な出来事が記されています。

 「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。」(2章2~3節)

  「風が吹いて来るような音が天から聞こえ」、とは聖霊が天から下って来たことを表しています。「炎のような」とは聖霊を表しています。「舌」とは、福音のことばを語る聖霊の賜物を指しています。その聖霊が一人一人、みんなに与えられたのです。旧時代には、聖霊は預言者や王といった限られた人にしか与えられませんでした。

  「すると一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」(2章4節)

 一同は聖霊に満たされ、霊の働きにより、他国の異なった言語で語る賜物が与えられ、「神の偉大な業」(11節)を語り出したのです。

 「エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まってきた。」とあります。かつては離散したユダヤ人の出身で、現在はエルサレムに住んでいる信心深いユダヤ人と改宗者たちと思われます。巡礼者の人たちも多数いたことでしょう。「天下のあらゆる国」とは、地中海沿岸15地域の名が示されています。(離散したユダヤ人の地図参照)

 「人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。」(2章12~13節)のです。

  物音に集まった大勢の人々は驚き、戸惑いました。なかにはあざける者もいました。弟子たちの中には聖霊に満たされて恍惚状態の者もいたからです。ペトロは、この後に語る説教で、預言者ヨエルが預言したことが起こったからだと説明しています。(2章14~21節)。

 五旬祭は、教会の誕生日としてよく語られてます。しかし、キリストの昇天と五旬祭の聖霊降臨は共に、復活祭の奇跡のさらに詳細な説明であるという事実を見落としてはなりません。五旬祭の日に、キリストの復活と昇天によって現された神の力が、神の民に与えられたのです。教会の誕生日としては、五旬祭以上に復活祭について語る方がもっと正確であると言えるのです。(現代聖書注解、使徒言行録W.H.ウィリモン/中村博武訳・日本基督教団出版局・P.58参照)

 聖霊降臨の出来事は、霊の力強い働きによって教会が福音を持って「民衆の場へ出て行く」力を与えられた日であり、教会に民衆を引き付ける力を与えられた日であります。

  最初に聖霊を受けた弟子たちは、何を語り、何を福音として伝えたのでしょうか。彼らが伝えたもの、それはイエス・キリストの教えであり、イエス・キリストの十字架と復活の出来事でした。その内容は使徒言行録によって知ることができます。弟子たちが語った言葉、それは、神の偉大な業についてでした。神の偉大な業、それは父なる神さまが御子を救い主としてお遣わしになり、私たちの罪の贖いとしてくださったこと、主イエスが私たちのために命を捨ててまで、私たちを愛してくださったという福音です。

  では、聖霊に満たされるために、私たちはどうすれば良いのでしょうか?

  ローマ8章9節とエフェソ1章13-14節には、すべての信者のうちに聖霊が宿っていると言っています。けれども、「神の聖霊を悲しませてはいけません」(エフェソ4章30節)とあるように、聖霊を悲しませることもあるのです。 それから、「霊の火を消してはいけません。」テサロニケ一、5章19節)とあります私たちが聖霊の働きを自分から消してしまうこともあるのです。御霊に満たされるということは、わたし達の生活のすべての部分に御霊が入り込み、わたし達を導き、支配する自由をもっておられるということを示しています。聖霊に満たされるために、自分を聖霊に完全に明け渡さなければなりません。「わたしの力は弱いところに現われる」とイエスはパウロに語りました。私たちは、すべてを主に委ね、いっさいの力を主に求めなければなりません。

 エペソ5章18節に「聖霊に満たされなさい」という勧めめがあります。私達は罪深い者だから、いつでも御霊に満たされているというのは不可能なことです。私達の生活の中で犯している罪の気付いたら悔い改め、御霊に導かれて歩むことに心を集中すべきです。次のエフェソの信徒への手紙一、5:15~20節の勧めは、聖霊の満たされるための秘訣が示されていると思います。

  「愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い主に向かって心からほめ歌いなさい。そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。

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「キリストの昇天と、私たちが天国に行くことについて」 使徒言行録1章1~13節

2014-06-01 08:38:18 | 礼拝説教

                                     ↑ キリストの昇天

〒981-3302宮城県黒川郡富谷町三ノ関字坂ノ下120番地12                                                                                                      TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本キリスト教 富谷教会 週報

年間標語『主はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない。』

聖句「神は神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」(ロマ8:28)

 復活節節第七主日     2014年6月1日(日)   5時~5時50分 

礼   拝 

前 奏           奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21) 287(ナザレの村里)

交読詩編   63(神よ、あなたはわたしの神) 

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

聖 書  使徒言行録1章1~13節

説 教   キリストの昇天ー私たちが天国にいくことについて」    辺見宗邦牧師

賛美歌(21)475(あめなるよろこび)

献 金

感謝祈祷          

頌 栄(21)    24(たたえよ、主の民)

祝 祷

後 奏

 

次週礼拝 6月8日(日)夕礼拝 午後5時~5時50分

 「聖霊降臨」使徒言行録2章 1~13節

  交読詩篇 94 讃美歌(21)343 521 24

 

本日の聖書 使徒言行録1章1~13節

  1-2 テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。

  3イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。 4そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。 5ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」

  6さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。 7イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。 8あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」 9こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。10イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、 11言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」

  12使徒たちは、「オリーブ畑」と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た。この山はエルサレムに近く、安息日にも歩くことが許される距離の所にある。 13彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった。それは、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子ユダであった。

本日の説教

   「テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。」(使徒言行録1章1,2節)

   この最初の1,2節は、使徒言行録を書いた著者が、テオフィロ様にこの書物を献呈する言葉です。

   <テオフィロ>(「神の友、神を愛する人」の意)については全く分かりませんが、富裕な異邦人の信者か、あるいは改宗していないまでも、キリスト教について聞いていたローマの一役人を指しているとも考えられています。

    <わたし>と言っている著者についても、誰であるのかは正確には分かりません。伝承では、コロサイ人への手紙4章14節で「医者ルカ」と記され、フィレモンへの手紙24節や、テモテへの手紙二,14節でも言及されているパウロの協力者の異邦人ルカと見做されています。また、使徒言行録16章10~17節、20章5~21章18節、27章1~28章16節に出てくる「わたしたち」という言葉は、著者ルカを含む「わたしたち」と見做されています。

    <先に第一巻を著し>とは、ルカによる福音書を書いたことを言っています。ルカによる福音書も、<敬愛するテオフィロさま>に献呈されています。

    ルカによる福音書は紀元80年頃、使徒言行録は紀元90年頃に、同じ著者によって、パレスチナ以外の地中海世界のどこかで執筆されました。著者はパレスチナについてあまり詳しくありません。

    「イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。」(1章3節)

    <イエスの苦難>の頂点は、十字架刑によって殺されたことを指します。イエスは死んで陰府(よみ)にくだりました。

    <御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し>とは、イエスは三日目に復活して、弟子たちに会い、生きていることを示し、神の国について弟子たちに教えました。

   <四十日にわたって彼らに現れ>とは、イエスの復活後の顕現が四十日間続いたということです。これは使徒言行録だけが記している記述です。

   <「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。>とイエスが弟子たちに命じました。ルカ福音書では、「高い所からの力で覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」(24:49)とあります。マタイやマルコ福音書にはありません。弟子たちがガリラヤで復活の主に会うことを、省いています。

   9節以下にイエスの昇天を記しています。「こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、 言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」(9~11節)

    使徒言行録が一番詳しく昇天について記しています。昇天は、復活後40日にわたって弟子たちに現れた後に起こったと記しています。

    マタイによる福音書ではガリラヤの山での弟子たちに派遣で終わっており、ヨハネによる福音書にも記されていません。

    マルコによる福音書では、後代に加えられた「結び」の16章19節で、イエスは派遣の言葉を「弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた」とあります。

    ルカによる福音書では、復活した日に、イエスはエマオで二人の弟子に現れ、その日エルサレムにいた弟子たちに現れ、「イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。」(ルカ24:50~52)とあります。イエスの昇天が、復活された日の出来事であるかのように圧縮されて書かれています。これは、ルカの24章全体が、復活祭の礼拝に用いられるために概略化されたからだという説があります。

     ルカによる福音書と使徒言行録では、イエスの復活後の顕現は、エルサレムを中心とする周囲(エマオ)に限られています。マタイやマルコによる福音書では、復活されたイエスはガリラヤで弟子たちに会っています(マタイ28:16~20、マルコ16:14~18)。

     ルカ福音書と使徒言行録の著者ルカは、復活の主の顕現がガリラヤで起こったことを知りながら(マルコ16:7、ルカ24:6参照)、あえて「エルサレムを離れず」(使徒言行録1:4)とイエスの命令を伝えています。これは、使徒たちの宣教がエルサレムから始まることを強調するため、エルサレムを中心に書き記し、イエスのガリラヤ出現を省略したものと考えられています。(新共同訳新約聖書注解I,p.382、p.546参照)

   実際に起こった歴史的事実としては、弟子たちは過越祭と除酵祭の期間中は律法の規定に従いエルサレムに留まり、その後、弟子たちはガリラヤに行くようにと言う指示に従い、ガリラヤに行き、ガリラヤの山で復活されたイエスに会っています。イエスが弟子たちにガリラヤへ行くようにとの指示したのは、新たな神の働きのための周到な備えを弟子たちにさせるためでした。弟子たちはガリラヤで復活されたイエスの顕現を体験し、決定的な召命を体験し、船や網など家業を捨ててエルサレムに再び移住し、オリーブ山でイエスの昇天のときを迎えたものと思われます。ルカ福音書ではイエスの昇天が<ベタニア辺り>(24:50)となっています。ベタニアはオリーブ山を越えたエルサレムの反対側の山裾にあります。オリーブ山はエルサレム南東3キロのところにある山です。

    イエスの昇天の後、11人の弟子たちは、<「オリーブ畑」と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た。>とあります。この記事から、イエスの昇天は、オリーブ山で起こったと推測されたのです。

    「(主は)天に昇り神の右に座したまえり」と使徒信条にあります。昇天の意味するところは何でしょうか。河合裕志著「わたしたちの信仰(日本キリスト教団信仰告白による)」を参考にして、お話しいたします。

   1.天への帰還を示しています。永遠の昔から父なる神と共におられた主イエスは、罪と死に苦しむ人間を救うために人間となってこの世に来られ、すべてのわざを成し遂げて、再び父なる神のももとに帰られた、ということです。「天」とは、神御自身を指す言葉であり、神のおられる所を表します。

   2.主イエスは罪と死に打ち勝ち、克服して勝利されたことを意味します。そして、私たちを天へ導くための道備えをしてくださいました。私たちもいずれその時が来たら安心して天に昇り、帰って行くのです。

   3.主の昇天は私たちに聖霊がつかわされるために必要なことでした(ヨハネ16:7)。教会はこの世にあって宣教の使命を与えられたことを自覚させることになりました。

   4.「神の右に座したまえり」とは、主イエスが私たちのために執り成してくださっていることを意味します(ローマ8:34)。私たちを罪ありと訴える者から弁護して下さり、また私たちの祈りを天の父に取り次いで下さいます(ヨハネ16:23)。

   5.主が全てのものを支配されていることを示しています(エフェソ1:20~21)。全世界を支配し、また教会の頭として全教会に君臨されます。全能の父より委任されて主は天地を支配します(マタイ28:18)。今も主キリストは生きて働き、人を救い、守り、教会と世界を導いておられるのです。

    私たちも、やがてこの命尽きる時を迎えます。また、こうして生きている間に、家族や友人を天におくる時があります。
 「天国でまた会いましょう」という言葉は、葬儀の弔辞の中でも良く聞く言葉です。信じる者は、死後すぐに天にあげられるのでしょうか。

   聖書は、主にあって死んだ者を「眠りについた人たち」と表現しています。どこで眠っているのでしょうか。天国でないことは確かです。なぜなら、「眠りについた人たち」は、世の終わりに、キリストが再臨されるとき復活するとあります(コリント一、15:20~24)。

    「わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを待っています。キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです(フィリピ3:20~21)。」とあります。

   私たちの復活は、主の再臨の時まで、待たなければなりません。それまで、「眠りについた人たち」はどこで眠っているのでしょうか。死者は陰府(よみ)に下って最後の審判の日を待ちます。その時、救われて天国に入る者と、永遠の滅びに落とされる者に分けられます。陰府は地獄ではなく、地下の薄暗い所、死者の住みかと考えられています。そこに主イエスが下られたことは、「主の完全な死、父なる神との断絶」を意味します。しかし、主はそこから、父なる神によってよみがえらされました。主は死に打ち勝たれて復活されたのです。主は私たちのために、死者の中から復活して、「眠りについた人たち」のために初穂となられました。私たちも主と同じように復活の恵みにあずかる希望と恵みが与えられたのです。ですから、主にあって死んだ人たちにとって、陰府は、復活の日まで「眠りについている所」となったのです。天国は死んだ者の行先ではなく、罪が赦された人間が神と共にいる場所です。

    十字架上のキリストが、犯罪人の一人に、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われました。「楽園にいる」の「いるは未来形で語られています。イエスによる救いが、今日という日から始まっているといことです。これは死者からの復活ということをも含んだ約束であることを、先週の説教で学びました。

     「天国に行く」、「天国で会う」ということは、イエスの再臨を待たなければなりませんが、死のとき、すでにその救いに入れられているのです。永遠の命とは父なる神とイエス・キリストとの交わりの中にある命のことです。それは死んでからというよりは、この現世から始まります。わが身は死を迎えるとしても、霊の体、栄光の体によみがえり、永遠のみ国に生きるにふさわしい者とされることを信じる私たちは、死ぬとき、「イエス様に迎えられて天国に行くのだから心配しないでください」と言えるのではないでしょうか。言わば天国を先取りした表現として用いてよいのではないでしょうか。

 

 

 

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