熟年夫婦

2006年08月25日 04時27分51秒 | Weblog
渡辺淳一「あとの祭り」2006.8.10より

定年後、突然、妻より離婚を言われないため、
1.こんなことはつまらない・時間の浪費だと思わず、まず話す。
2.一日一度は火事を手伝う。
3.月に一度は妻を食事や映画などに誘い出す。
4.ときどき妻を褒める。
  「おまえきれいだね」
  「いつもありがとう」
  と、それほど思ってなくても、すぐに言葉出るように口癖にする。

暮らしの中の宗教:/2 愛知県・西居院 不登校児を預かる 命懸けで守る住職

2006年08月25日 03時01分03秒 | Weblog
 愛知県岡崎市の中心部から車で15分。山沿いに建つ浄土宗の西居院(さいきょういん)で、全国から来た15人の小中高生が暮らしている。親元にいたころ、家出や自傷行為を繰り返したり、引きこもり、不登校といった“問題のある”子どもたちが、この寺の廣中邦充住職(55)と寝起きを共にし、立ち直っていくという。寺での生活を待つ子どもは全国で約990人。ここでの暮らしの何が子どもたちを変えるのだろうか。

 「ごはん、できたよー」。午後7時過ぎ、住職の妻、待子さん(56)の声で子どもたちが集まり、ジャージー姿の住職がビールを飲み始めた。勉強のこと、学校での出来事……それぞれが勝手に話し出す。「運動部の合宿所」に似た一コマ。試験前には徹夜で勉強する子もいる。

 廣中住職は「子どもが問題を起こすのは100%、親が悪い」と言い切る。子どもの成育歴を1年ずつさかのぼり、問題を起こした時の家庭の様子、環境の変化を詳しく聞き出し、子どもが問題を起こした原因を探る。

 「親が変わらなくてはならない」と言い、両親がいるのに、親がそろって相談に来ない時は預かることを断る。「親が中途半端な気持ちでは子は立ち直れない。子どもは十代になっても赤ちゃんの時と何も変わっていない。親は原点に返れ」と説く。一度、家庭を解体し再生させる必要があるのだ。

 ◇握手し「親子」に

 子どもと初めて会った時、廣中住職が必ずするのが握手。その瞬間から、子どもは「お寺の子」に、住職は「親」になる。

 中学時代、教師を殴るなど暴れたカズ君(17)=仮名=は昨年、高校に入学したが、しばらくして不登校になった。昨年11月から寺で暮らし、今はプレス工場で働き、通信制高校で学ぶ。「今までは中途半端だった。ここから逃げたって、もう他に行く所はない」と話す。

 「寺にいる間、子どものことは、ぼくが全責任を負う」。そう言う廣中住職は「門限を守る」「外泊しない」といった寺の決まりを子どもが破った時、容赦なく怒鳴りつける。暴走族が連れ出そうとすれば、体を張って追い払い、暴力団との関係を断ち切るために、組長に直談判する。子どもたちは、住職が命懸けで自分たちを守っていることを身に染みて感じており、徐々に自立し始める。

 中学生のころ、友人宅に泊まり続け、午後から登校するのが当たり前の生活になっていた、高校1年のアケミさん(15)=仮名=が初めて寺に来たのは2年前の夏。その年の冬に2カ月ほど寺で暮らし、今年4月からまたここで生活している。

 「両親も、おじさん(住職)と会ってから変わった。自分の意見を言わなかったお母さんは、意見を言うようになり、強くなった。お父さんは優しくなった」と言い、「夫婦げんかをしなくなった」と話す。母親(40)は「よく見ている」と驚き、「私も親のエゴがあった。以前は、子どもの気持ちを分かってやれなかった」としんみり話す。

 ◇寝食共に…無償の愛

 廣中住職は、親から食費などの費用は一切、受け取らない。看護師の待子さんの給料と、檀家(だんか)からの差し入れ、住職の講演料が、ここでの全生活費。「親」が「子」の食費などの面倒を見るのは、当たり前のことなのだ。

 塾経営者だった廣中住職が父親の跡を継いで西居院の住職になったのは90年。長男の高校のPTA会長となり、不登校や退学者の多さに驚き、そうした子どもたちの多くが一人で夕食を済ませていることを知った。「お寺で一緒にご飯を食べよう」と誘ったのをきっかけに、95年から、問題行動のある子どもを預かるようになった。

 「宗教者とはボランティアそのもの。死後の供養ではなく、生きるための手助けをするのが寺の役目。子どもたちを預かるのもその手助け。家庭の平和の構築のため、『坊主よ、目を覚ませ』と言いたい」。そう話す廣中住職の顔が「宗教者」の顔に変わった。【中村美奈子】=つづく

毎日新聞 2006年8月24日 東京朝刊

http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/katei/news/20060824ddm013100112000c.html

暮らしの中の宗教:/1 横浜市・善了寺 寺でデイサービス、「生老病死」と向き合う

2006年08月25日 03時00分20秒 | Weblog
 ◇離郷の老親、安らぐ場

 ◇住職がヘルパー資格取り庫裏を改修

 ゆったり流れる節に合わせ、明かりのともる金灯籠(かなとうろう)を頭に載せた踊り手が優雅に舞う--熊本県山鹿市の山鹿灯籠まつりは今年も、15、16日に行われた。「夜通し祭りとも言いましてね。いろんな神社の灯籠が一晩中ともるんです。懐かしいですねえ」。故郷を思い出したのか、横浜市戸塚区の浄土真宗本願寺派・善了寺で西山マツさん(91)=仮名=は、テーブルの上の灯籠に、念珠(数珠)を持つ手を合わせ、か細い声で話し始めた。

 善了寺が、介護保険を使って利用できる高齢者デイサービスセンター「還る家ともに」を始めたのは昨年4月。成田智信住職(38)はヘルパー2級の資格を取り、寝起きする庫裏の1階を改修してお年寄りが過ごす場所を整えた。成田住職の妻が所長を務め、定員は10人の小さな施設だ。西山さんも通所者の一人。

 7月上旬の昼過ぎ、住職の法話を聞くために本堂に集まった檀家に交じり、西山さんの姿があった。「一切善悪凡夫人(いっさいぜんまくぼんぶにん) 問信如来弘誓願(もんしんにょらいぐぜいがん)……」。認知症と診断され、要介護度3の西山さんだが、経文を指さしてもらいながら唱和した。

 熱心な檀家だった西山さんは、出身地の山鹿市では法話会にもよく通った。だが、40年ほど前に上京すると毎日が忙しく、寺に足を運ぶ余裕がなくなった。高齢となった今、「母に、またお寺参りをさせてやりたい」と同居する娘が善了寺を探した。

 仏教は「生老病死」の四つの苦悩から逃れられないと説き、成田住職は「寺はこの苦悩と向かい合う場。仏教の教えの中に、高齢化社会が抱える問題を解決する手立てが隠されている」と言う。

 地方に残した老親が病気になり、介護が必要になると、呼び寄せて同居する子ども世代も多い。だが、見知らぬ街で、お年寄りは知人もおらず、家に閉じこもりがちになる。こうしたお年寄りにとって、寺は懐かしい場所であり、安心できる所。かつて地域の人たちは特別な用事がなくても、寺に立ち寄ったという。西山さんのように元々熱心な檀家であれば、寺は、なおさら安らぎを与えてくれる場になる。

 ◇技術より「縁起」の介護

 ◇人とかかわり、意欲持ち生活できるように

 施設でお年寄りは、カラオケやちぎり絵をして過ごす。流しそうめん、花祭りなど、季節を感じさせる催しも楽しみの一つ。お年寄りたちの話題は生まれ故郷のことや、子どものころの話が中心だ。

 西山さんは部屋に置かれた仏壇に向かって、何かを思い出したように、1日に何度か合掌する。近くで、忙しく昼食の用意をするのは檀家の女性たち。元気なお年寄りは炊きあがったご飯を盛りつけ、後片づけを手伝う。住職の妻、ヘルパーらと、1日の中で一番にぎやかな時間を過ごす。

 「縁起」。「物事はすべてかかわりの中で成り立っている」ことを意味する仏教の教えで、「かかわりが豊かになることは悟りにつながる」という。成田住職は「人と人のかかわりを豊かにすることが大切。縁起と介護の考え方は同じ。介護で大事なのは入浴や食事の介助のテクニックではなく、お年寄りが、さまざまな人とかかわり、意欲を持って生活ができるようにすることです」と言う。

 昨年7月から通っている矢部トシさん(81)=仮名=は要介護度1。2年前に夫を亡くし、「まだ寂しい」と漏らす。心配したケアマネジャーに紹介されて通い始めた。「独りで、テレビを見ててもつまらない。歌が好きだから、みんなと一緒にカラオケをやるんだよ。ここにいると、体のあちこちが痛いのも忘れちゃう。すごく楽しい」と声を弾ませた。

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 仏教、キリスト教、イスラム教など世界にはさまざまな宗教があり、多くの人が救いを求め信仰している。日本社会も少子高齢化、ニート、ドメスティックバイオレンスといった問題を抱えるが、その解決策はなかなか見つからない。そして、伝統仏教の寺の住職も「寺はもっと社会と向き合い、身近な存在にならなければならない」と口にする。暮らしの中で宗教は、どのような役割を果たそうとしているのだろうか。各地の寺を訪ねた。【中村美奈子】=つづく

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毎日新聞 2006年8月23日 東京朝刊

http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/katei/archive/news/2006/08/20060823ddm013100121000c.html