◇離郷の老親、安らぐ場
◇住職がヘルパー資格取り庫裏を改修
ゆったり流れる節に合わせ、明かりのともる金灯籠(かなとうろう)を頭に載せた踊り手が優雅に舞う--熊本県山鹿市の山鹿灯籠まつりは今年も、15、16日に行われた。「夜通し祭りとも言いましてね。いろんな神社の灯籠が一晩中ともるんです。懐かしいですねえ」。故郷を思い出したのか、横浜市戸塚区の浄土真宗本願寺派・善了寺で西山マツさん(91)=仮名=は、テーブルの上の灯籠に、念珠(数珠)を持つ手を合わせ、か細い声で話し始めた。
善了寺が、介護保険を使って利用できる高齢者デイサービスセンター「還る家ともに」を始めたのは昨年4月。成田智信住職(38)はヘルパー2級の資格を取り、寝起きする庫裏の1階を改修してお年寄りが過ごす場所を整えた。成田住職の妻が所長を務め、定員は10人の小さな施設だ。西山さんも通所者の一人。
7月上旬の昼過ぎ、住職の法話を聞くために本堂に集まった檀家に交じり、西山さんの姿があった。「一切善悪凡夫人(いっさいぜんまくぼんぶにん) 問信如来弘誓願(もんしんにょらいぐぜいがん)……」。認知症と診断され、要介護度3の西山さんだが、経文を指さしてもらいながら唱和した。
熱心な檀家だった西山さんは、出身地の山鹿市では法話会にもよく通った。だが、40年ほど前に上京すると毎日が忙しく、寺に足を運ぶ余裕がなくなった。高齢となった今、「母に、またお寺参りをさせてやりたい」と同居する娘が善了寺を探した。
仏教は「生老病死」の四つの苦悩から逃れられないと説き、成田住職は「寺はこの苦悩と向かい合う場。仏教の教えの中に、高齢化社会が抱える問題を解決する手立てが隠されている」と言う。
地方に残した老親が病気になり、介護が必要になると、呼び寄せて同居する子ども世代も多い。だが、見知らぬ街で、お年寄りは知人もおらず、家に閉じこもりがちになる。こうしたお年寄りにとって、寺は懐かしい場所であり、安心できる所。かつて地域の人たちは特別な用事がなくても、寺に立ち寄ったという。西山さんのように元々熱心な檀家であれば、寺は、なおさら安らぎを与えてくれる場になる。
◇技術より「縁起」の介護
◇人とかかわり、意欲持ち生活できるように
施設でお年寄りは、カラオケやちぎり絵をして過ごす。流しそうめん、花祭りなど、季節を感じさせる催しも楽しみの一つ。お年寄りたちの話題は生まれ故郷のことや、子どものころの話が中心だ。
西山さんは部屋に置かれた仏壇に向かって、何かを思い出したように、1日に何度か合掌する。近くで、忙しく昼食の用意をするのは檀家の女性たち。元気なお年寄りは炊きあがったご飯を盛りつけ、後片づけを手伝う。住職の妻、ヘルパーらと、1日の中で一番にぎやかな時間を過ごす。
「縁起」。「物事はすべてかかわりの中で成り立っている」ことを意味する仏教の教えで、「かかわりが豊かになることは悟りにつながる」という。成田住職は「人と人のかかわりを豊かにすることが大切。縁起と介護の考え方は同じ。介護で大事なのは入浴や食事の介助のテクニックではなく、お年寄りが、さまざまな人とかかわり、意欲を持って生活ができるようにすることです」と言う。
昨年7月から通っている矢部トシさん(81)=仮名=は要介護度1。2年前に夫を亡くし、「まだ寂しい」と漏らす。心配したケアマネジャーに紹介されて通い始めた。「独りで、テレビを見ててもつまらない。歌が好きだから、みんなと一緒にカラオケをやるんだよ。ここにいると、体のあちこちが痛いのも忘れちゃう。すごく楽しい」と声を弾ませた。
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仏教、キリスト教、イスラム教など世界にはさまざまな宗教があり、多くの人が救いを求め信仰している。日本社会も少子高齢化、ニート、ドメスティックバイオレンスといった問題を抱えるが、その解決策はなかなか見つからない。そして、伝統仏教の寺の住職も「寺はもっと社会と向き合い、身近な存在にならなければならない」と口にする。暮らしの中で宗教は、どのような役割を果たそうとしているのだろうか。各地の寺を訪ねた。【中村美奈子】=つづく
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毎日新聞 2006年8月23日 東京朝刊
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