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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

パリ・サンジェルマン、既に来季ホームモデルが確定なのか

2022-10-18 13:51:38 | 日記
 新シーズンはまだ半分の日程も消化していないにも関わらず、既に2023-24シーズンのパリ・サンジェルマンジャージの映像が明らかとなりました。

 (情報は専門サイトユニ11より)

 過去、コンバースは「ワンスター」の名で知られるレザーシューズの「セールスマン・サンプル」つまり、営業担当者に靴見本を提供し、提携先の大学へ出向き靴の説明をさせていました。

 この時は白と黒の2色でデザインされており、のちにこの形で復刻盤が登場したほどの希少価値があります。

 冒頭のパリ・サンジェルマンジャージも直営店を含む各店舗へのセールスマン・サンプルの可能性はあると思います。

 シーズンはまだ半分残っていますし、デザインが決定したとも思えませんからね。

 ちなみにこの画像では

 1・スポンサーがナイキに変更(現在はジョーダン・ブランド)
 2・胸スポンサーはカタール航空で継続
 3・デザインと配色は2003年当時をサンプリング

 と説明書きがあります。

 ジョーダンブランドではなくナイキ、つまりインテルミラノやFCバルセロナのようにスウッシュに変更になるかどうかは、現段階では考えにくいですし、この点はまだ確定ではないでしょうね。

 ちなみに2003年モデルはV首でしたが、来季は通常の丸首になる模様です。

 スポンサーが(ジョーダンを含む)ナイキであることに変わりはありませんが、まだまだ不透明な点は残されています。

 そもそも何故パリ・サンジェルマンだけが既に来季のジャージ映像が発覚したのか、その意味合いもよくわかりませんから。
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アジア杯カタール開催とFIFAバロンドール

2022-10-18 13:22:40 | 日記
 2022年のFIFAバロンドール受賞は、フランス代表のカリム・ベンゼマに決定しました。

 フランスサッカー関係者からすれば、ベンゼマの受賞は素晴らしいと思う反面、1991年のJPP(ジャン・ピエール・パパン)がオランピック・マルセイユで受賞したように、リーグ1に在籍するフランス代表選手がいたらなと思うのでしょうか。

 パリ・サンジュエルマンに在籍するフランス代表選手、それはキリアン・エムバッペになるわけですが、リーグ1の優勝とUEFAチャンピオンズ・リーグを同時に勝ち得たならば、彼の受賞はより現実き手になるでしょうね。

 ただ1998年受賞のジネディーヌ・ジダンが、ボルドーから移籍たユヴェントスで大きく成長を遂げたように、サディオ・マネがセネガル、ロベルト・レヴァンドフスキがポーランド、ケヴィン・デ・ブルイネがベルギーにととどまっていたならば、最終候補4選手には残れなかったことも確かでしょうが。

 2022シーズンのバロンドール受賞候補者に、レオ・メッシが外れたことで大きな話題となりましたが、やはり時代は変貌しつつあります。

 例えば2023年のAFCアジア杯は本来中国開催でしたが、カタールが代替国となり開催が正式決定しました。

 ワールドカップ2022の施設をそのまま利用できる
 それ以上にオイルマネーの影響が色濃い

 招致候補として敗れた韓国では日刊紙がそう報じているように、カタールが半年の間に2度も大きな大会のホストとなるのは確かに異例ですよね。

 仮に中国が開催国となっても2004年から18年と比較的短期のインターバルで開催でしたが、日本代表は1992年以来の開催になりますから、立候補してもよかったように思います。

 ワールドカップもチャンピオンズ・リーグも、よりお金の重要性が増し、西アジアの影響力は金銭面でさらに強くなるはずですが、仮にレオ・メッシが噂されるようにFCバルセロナに移籍すれば、その際報酬はどうなるのでしょうか。
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中村俊輔、正式に引退を表明する

2022-10-18 13:04:35 | 日記
 中村俊輔が正式に引退を表明しました。

 セルティック・グラスゴーは日本代表選手と縁あるクラブとなりましたが、それは中村俊輔が在籍しファンの信任を得たことが非常に大きいですね。

 2000年と2013年のJ1最優秀選手
 2000年と2004年のアジア杯制覇

 それでもワールドカップでは1度の落選と2度の体調不良というこおで、もどかしかったと思います。

 フィリップ・トルシエは

 「中村を落選させることに迷いはなかった」

 と言いましたが、仮に3-4-1-2の「1」を彼が担っていれば、2002年はどうなっていたでしょうか。

 2013年在籍する横浜F・マリノスは最後の最後でサンフレッチェ広島に優勝を譲ってしまいます。

 サンフレッチェ広島の優勝は2012年に続く2季連続優勝とこれも讃えられる優勝でしたが、F・マリノスは最終節は敵地で川崎フロンターレとの一戦でした。

 優勝を逃し、ピッチに座り込み嗚咽する背番号10。

 その中村を励ますために敵地ゴール裏のF・マリノスファンが、大声で彼をたたえるチャントを合唱したことは、中村俊輔がどれだけクラブの顔であり重責を担ってきたのかを証明した瞬間でした。

 現在の中村はジュビロ磐田を経由して、横浜FCという別のクラブで横浜に在住しています。

 日本代表クラスで横浜の2クラブに在籍する選手は非常の珍しいと思いますし、ファンの多くは

 来季昇格する横浜FCでもう一度戦ってほしかった
 J1のピッチをもう一度味わってほしい

 と考えていると思います。

 それでも中村は引退の決断を決めましたし、その決断を僕らは受け入れるしかないのですが、セルティック・グラスゴーのファンも今、背番号25のプレイを思い出しているに違いありません。
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