クラブ、代表問わず指揮官は自らの口で試合の反省(勝利、敗北、引き分け関係なく)、選手起用と交代選手の役割、そして進退問題などを語らねばなりません。
ペップ・グアルディオラのように独占を好まない代わりに、定例会見を設けて最後の最後まで質問に答える人物もいれば、ジョゼ・モウリーニョがインテル時代、副官であったジュゼッペ・バレージにダ代読させるなどの事例もありますが、基本は指揮官は記者を前にして説明をします。
日本代表監督でこの不文律を無視した(本人には意図があったのでしょうが)のがフィリップ・トルシエです。
アシスタント・コーチである山本昌邦に招集選手23名を読まさせるという行為は、当然様々な反発が起きますが、その背景には
中村俊輔を落としたこと
秋田豊と中山雅史を招集したこと
もありました。
彼は「中村を落とすことは簡単だった」と豪語しますが、3-5-2の5の左という中村俊輔からみてどう見てもって適性ではないポジションを与え続け、最後に召集しない、そしてその説明を目前に控えた記者の前で行わない、ということであれば、不満が持ち上がることが当然なんですがね。
ちなみに日本サッカー協会がフィリップ・トルシエを代表監督に指名したプロセス、今もよくわかりませんよね。
ジーコの時もイビチャ・オシムの時も川渕三郎が絡んでいたこと
「ジーコには聞いたのか」
「オシム、あっ言っちゃった」
というこの一文で代表監督就任がほぼ決定(したように見える)わけですが、これではいけません。
アルベルト・ザッケローニの場合は当時の原博美技術院長が、日本代表に相応しい戦術と人格的にうってつけの人物、と綿密に調査した上での指名であり、ヴァイド・ハリルホジッチも2015年初頭でフリーの代表監督経験者という形でいえば、霜田技術院長はよくやったと思います。
トルシエは選手発表から逃避したといわれて腹が立ったと思いますが、あのような形で選手が読み上げられることは、やはり不味いでしょうね。
ペップ・グアルディオラのように独占を好まない代わりに、定例会見を設けて最後の最後まで質問に答える人物もいれば、ジョゼ・モウリーニョがインテル時代、副官であったジュゼッペ・バレージにダ代読させるなどの事例もありますが、基本は指揮官は記者を前にして説明をします。
日本代表監督でこの不文律を無視した(本人には意図があったのでしょうが)のがフィリップ・トルシエです。
アシスタント・コーチである山本昌邦に招集選手23名を読まさせるという行為は、当然様々な反発が起きますが、その背景には
中村俊輔を落としたこと
秋田豊と中山雅史を招集したこと
もありました。
彼は「中村を落とすことは簡単だった」と豪語しますが、3-5-2の5の左という中村俊輔からみてどう見てもって適性ではないポジションを与え続け、最後に召集しない、そしてその説明を目前に控えた記者の前で行わない、ということであれば、不満が持ち上がることが当然なんですがね。
ちなみに日本サッカー協会がフィリップ・トルシエを代表監督に指名したプロセス、今もよくわかりませんよね。
ジーコの時もイビチャ・オシムの時も川渕三郎が絡んでいたこと
「ジーコには聞いたのか」
「オシム、あっ言っちゃった」
というこの一文で代表監督就任がほぼ決定(したように見える)わけですが、これではいけません。
アルベルト・ザッケローニの場合は当時の原博美技術院長が、日本代表に相応しい戦術と人格的にうってつけの人物、と綿密に調査した上での指名であり、ヴァイド・ハリルホジッチも2015年初頭でフリーの代表監督経験者という形でいえば、霜田技術院長はよくやったと思います。
トルシエは選手発表から逃避したといわれて腹が立ったと思いますが、あのような形で選手が読み上げられることは、やはり不味いでしょうね。