欧州ではフットボール、国によってフスバル、フトボルなど発音に差があり
米国ではソカー
日本ではサッカー
昔作家の馳星周がスポーツ・グラフィックナンバーの別冊で
「私はベッケンバウアーよりもヨハン・クライフに憧れた」
「そしてこの競技をサッカーではなく、フットボールと呼ぶ国に生まれたかった」
と語っていたはずです。
(もう所有していませんが、ディエゴ・マラドーナが表紙のサッカー100年の記憶、だったと思います)
僕は当時そんなものかなと考えていましたが、ワールドカップ7大会連続出場を果たし、アジアを代表する国になった今、僕らも本場欧州のように「アソシエーション・フットボール」と呼ぶべき時でししょうか。
僕は最近、サッカーを考える、サッカー雑誌を買うという発想ではなく、アソシエーション・フットボールを思うというように考えを切り替えているんですよ。
スコットランドやウエールズの関係者は
「ラグビー・フットボール」と「アソシエーション・フットボール」
前者はパブリック・スクールで偶発的に生まれ、後者は産業革命時の余暇として人気
というように、呼び名のルーツを今でも認識して読んでいるはずですからね。
確かに歴史ある「ワールド・サッカーダイジェスト」を、いきなり「ワールド・フットボールダイジェスト」に変更はできませんし、エル・ゴラッソはエル・ゴラッソです。
ただ第1号から「フットボール批評」を名乗るフットボール批評は、将来日本は欧州からより認知されるためには、サッカーではダメだと考えたのでしょうし、母体とった「季刊サッカー批評」との差別化もあったのでしょうが、僕は今後も意図してアソシエーション・フットボールと口にしたいと考えます。
米国ではソカー
日本ではサッカー
昔作家の馳星周がスポーツ・グラフィックナンバーの別冊で
「私はベッケンバウアーよりもヨハン・クライフに憧れた」
「そしてこの競技をサッカーではなく、フットボールと呼ぶ国に生まれたかった」
と語っていたはずです。
(もう所有していませんが、ディエゴ・マラドーナが表紙のサッカー100年の記憶、だったと思います)
僕は当時そんなものかなと考えていましたが、ワールドカップ7大会連続出場を果たし、アジアを代表する国になった今、僕らも本場欧州のように「アソシエーション・フットボール」と呼ぶべき時でししょうか。
僕は最近、サッカーを考える、サッカー雑誌を買うという発想ではなく、アソシエーション・フットボールを思うというように考えを切り替えているんですよ。
スコットランドやウエールズの関係者は
「ラグビー・フットボール」と「アソシエーション・フットボール」
前者はパブリック・スクールで偶発的に生まれ、後者は産業革命時の余暇として人気
というように、呼び名のルーツを今でも認識して読んでいるはずですからね。
確かに歴史ある「ワールド・サッカーダイジェスト」を、いきなり「ワールド・フットボールダイジェスト」に変更はできませんし、エル・ゴラッソはエル・ゴラッソです。
ただ第1号から「フットボール批評」を名乗るフットボール批評は、将来日本は欧州からより認知されるためには、サッカーではダメだと考えたのでしょうし、母体とった「季刊サッカー批評」との差別化もあったのでしょうが、僕は今後も意図してアソシエーション・フットボールと口にしたいと考えます。