塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

サッカーには不条理がいっぱい

2019-10-15 00:15:37 | 日記
 稲盛和夫名誉会長は、京セラを日本を飛び越え世界屈指の企業へと発展させたことで良く知られています。

 過去、ボルシア・メンヘングランドバッハ、ドイツ代表のマルコ・ロイスが在籍し、ロットがスポンサーだったころでしょうか。

 彼らの胸ス本sナーは京セラでした。

 京都サンガへの出資も同様ですね。

 しかし、この名経営者でもサッカーに関する経営は摩訶不思議のようですよ。

 岡田武史氏が会長と会話をする機会があった際、こんな質問を投げかけられたと聞きます。

 「岡田君、僕は京セラとKDDIを独り立ちさせ、仏門に入って更に人生を学んできた」
 「でも、サッカーだけは本当に思い通りにならないものだね」

 チェルシーのように、金をかけることがすべてではない
 リバプールのように、過去の栄光が重石のように重圧となる
 ユヴェントスのように、国内は制圧できでも外で勝つことができない

 簡単に言いますと、サッカーはいつの時代でも「不条理」で成り立っていると考えられます。

 日本代表が2次予選の段階で、ここまで欧州から選手を呼ぶ必要はないと僕も思います。

 首位を狙うFC東京、アントラーズ
 ポステコクルー監督の意図が根付くF・マリノス

 など、J1の上位クラブからもっと代表選手が生まれても良いと思いますし、リーグ・カップ決勝に進出したコンサドーレ、と言う手もあるでしょう。

 しかし、森保監督はきっと予選の段階から徹底して

 「サッカーにおける不条理」

 を外すことを目的に含めているのでしょう。

 それや野球のように攻撃と守備が明確に生まれ変わることがなく、バレーボールのように天候と風向きを気にしなくても良い競技と、性質が異なるためがありますね。

 タジキスタン戦の采配を、皆で注目してみましょう。
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選手は監督次第ではなかろうか

2019-10-15 00:03:55 | 日記
 「女は男次第でございます」

 と長谷川久栄は夫、長谷川平蔵に強く語ります。

 池波正太郎先生の代表作である鬼平犯科帳は、今も文春文庫の看板作品の一つとして刊行されています。

 読者の方ならご存知ですが

 1・鬼の平蔵様は過去、放蕩無頼を地でゆく生活を送っていた
 2・平蔵の生家の隣家に生まれた久栄は、過去手籠めにされたことがあり、平蔵はその点を理解した上で妻に迎える

 という背景があります。

 つまり、久栄から見て夫の長谷川平蔵は、泣く子も黙る「鬼」ではなく、消せない過去を受け入れ、何より自分を尊重し、愛する夫というわけです。

 実際長谷川平蔵の所作には、池波先生が

 「男ならこのようなふるまいが出来ないといけないよ」
 「人間はひとりで生きていけない」

 という気持ちを投影していることは間違いなく、それは作品の多くで確認できます。

 もし僕が「粋」と言う物を学ぶとすれば、題材に池波作品を選ぶことは間違いないと思います。

 それは映画「カラブランカ」「007」のような、西欧的価値観も大事だけれど、日本古来の意見も見過ごしてはいけないと思うためです。

 サッカーでも業務でも

 部下は上司次第
 選手は監督次第

 ではないでしょうか。

 例えばリバプール。

 アストン・ビラからブレンダン・ロジャースの希望で加入したベルギー代表のベンテケ。

 彼はシーズン半ばでロジャースから現在まで続くユルゲン・クロップ体制のあおりを受け、リバプールでの居場所を無くします。

 しかし彼はクロップを恨むことなく、ベンチの決断を受け入れるわけですが、ここにクロップの持つ人徳、度量が確認できます。

 JALはエスパルスの大口スポンサーでもスポンサーですが、2012年に経営破たんします。

 その際に招聘されたのは、京セラの稲盛和夫名誉会長ですが、当初JALの社員は稲盛さんに懐疑的な視線を送っていたんですね。

 しかし、稲盛さんは本社到着後すぐにあらゆる部署を巡回し、社員に温かい声をかけ続け、彼らが感激してしまったという話があります。

 上司は部下を選べない
 部下は「更に」上司を選べない

 のは勤務でもサッカーでも変わりませんがね。

 (参考資料 プレジデント・ムック 超一流に学ぶ最強のマナー)
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