塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

日本、2015年コパ・アメリカは辞退なのか

2013-12-25 23:00:37 | 日記
 日本サッカー協会には両立を求めたいものだが。

 日本サッカー協会は招待されている2015年のコパ・アメリカを辞退する形で調整を進めており、不参加となれば2011
年に続く2度目となります。

 2011年は震災の影響もあり、Jリーグも含めてサッカーがどのような形で寄与、もしくは事を進めるべきか模索していた
為、辞退は致し方ないものでした。

 今回の不参加表明は

 「日程に過密化」

 になるのですが、2015年はオーストラリアでアジアカップが開催されることも、その理由に含まれます。

 聞いたところによると、代表は基本同じ年に複数の選手権を戦う事が出来ない決まりらしく、日本はアジア王者としてオース
トラリアに向かう義務があるというわけです。

 確かにアジア王者としての面子もありますし、最低でも3位に入ることは確実なノルマであり、ワールドカップ予選とアジア
カップ予選を並行して戦うことは避けねばなりません。

 その2重苦を味わったのが、2009年の岡田前政権でした。

 僕は五輪代表とA代表をそれぞれ送り込むことはできないか、そう思います。

 アジア王者として相応しい顔ぶれを揃えるならば、アジアカップにはA代表を向かわせ、リオ五輪に向けての恰好の材料を得る
機会になるならば、コパ・アメリカには手倉森監督と五輪代表が挑む。

 こうした形は出来ないものでしょうか?

 2012年では4位に入った五輪代表。

 しかし直前の親善試合はニュージーランド戦しかなくう、基本アジア内での戦いに終始して海外遠征の頻度が低かった点は確か
です。

 皮肉にも、さほど期待されていなかったことが、むしろスペイン戦での勝利で

 「ひっくり返る形」

 になったわけです。

 僕はコパ・アメリカ、潰すのは忍びないと思うのですが。
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オランダ代表が奏でるサッカー

2013-12-25 02:10:08 | 日記
 ワールドカップ3度の準優勝。

 クラブで永遠の2番手ならば、代表ではオランダがまっ先にその名が上がります。

 3度の準優勝は言い換えれば3度の優勝になった可能性があり、もし優勝していれば宿敵ドイツ代表との評価は完全に覆ります。

 2010年のオランダはそのラフプレイが大きな批判となりましたが、指揮官ファン・マルバイクはその批判を承知の上で、彼
らに欠けている

 「勝利の味」

 を皆で味わい、その味を肥やしにして更なる発展を遂げたいと感じたと思うのですが、その観点も2012年で崩壊してしまう
わけです。

 オランダは伝統の4-3-3を国民皆が望むと言います。

 ですから4-4-2、4-3-2-1など異なる布陣で戦うだけで、ファンは代表を拒絶しがちという、マイナス感情が渦巻く
形になります。

 例外は3-4-3、3-3-3-1でしょうが、1970年代からこれらは希少価値であり、その現象は今も変わることはあり
ません。

 オランダは

 「記憶に残る代表」
 「愛すべき敗者」

 というような、本人たちは到底満足できない評価が下されます。

 それはオランダが描く両翼を活用したサッカーがファンの好みであり、ブラジルと真正面から打ち合う度胸を兼ね備えている点
もあります。

 ワールドカップでブラジル対オランダが実現すれば全世界が興奮しますが、それは1974年、1994年、1998年とその
戦いぶりが感銘を呼ぶ、密度の濃いものだったせいですね。

 4-3-3に固執することを頑固と見るか、芯が通っているかと考えるのは個人によって異なります。

 それでも敗者でありながらも、オランダ贔屓が多い事もまだ事実なのです。
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永遠の2番手は実在するのだろうか

2013-12-25 02:01:25 | 日記
永遠の2番手、それは実在する存在なのか

 ぬるま湯につかると言う言葉がしばしばサッカーで用いられます。

 つまり安穏としていて危機意識が無いことを指摘していますが、でもぬるま湯に実際つかっても全く気持ちの良いものでは
ありませんし、語彙として不適切ではないでしょうか。

 通常お湯がぬるければ皆温めますし、第一どんどんお湯が下がっていくのにそのまま入浴していては風邪を引く要因にさえ
なります。

 ぬるま湯というのは、2番手と言う意味で用いられたのでしょうか。

 ブンデスリーガで言えばレヴァークーゼンでしょうが、確かにファンも選手も優勝経験が無い事を指摘されては返す言葉は
ありません。

 キースリングはブンデスリーガの得点王ですし、韓国代表のソン・フンミンはホ・ミョンボ代表監督が最も注視している選手
でしょう。

 つまり選手の質が悪いわけでは無く、かといって知名度が無いわけではない。

 だからこそ捉えどころがなく、メディアからはぬるま湯、ぬるま湯と痛烈に皮肉られてしまうのでしょうね。

 特に2002年、バラックとバシュトゥルクを擁して3冠を目指したにもかかわらず、そのすべてで準優勝という形に終わっ
た事は、その点を如実に示しています。

 バラックがアンチから

 「皇帝ではなく小皇帝」
 「シルバーコレクター」

 と揶揄されるのは、チェルシーとバイエルンで優勝しても、代表を含めた国際舞台での優勝が無い為でしたが、もし2002
年のチャンピオンズ・リーグでレアルに勝利していたならば。

 バラックの評価はジダン同様、非常にい物になったはずです。

 あのジダンのボレーは史上稀にみる美しさと評価されましたが、レヴァークーゼンは皮肉にもその対戦相手として、レアル同様
永遠に語られる事となっています。
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僕が思う、ペップの本当の凄さ

2013-12-25 00:18:39 | 日記
 理論と感性 矛盾するこの意識の両立は可能なのか

 最新号のワールド・サッカーダイジェストにフランク・リベリのインタビューが掲載されています。

 「ムッシュ・グアルディオラとの関係は最高」

 と彼は述べているのですが、グアルディオラの凄い所は理論と感性、相反するふたつの意識をいとも簡単に両立させている
事でしょうか。

 僕は自分を感性の人間だと思います。

 例えば商品陳列で大幅な変更を強いられても、設計図を描くことなくやりながら微調整するという形が自分の型になってい
るためです。

 別の理由として設計図を書いてもと

 「これ何なの?もう意味ないよ」

 と簡単に切り捨てられてしまうので、そんなに何度も書き直すこと自体が時間の無駄で、しゃらくせえ!と憤りすら感じて
しまう為です。

 グアルディオラはポゼッションを絶対的に信じていますが、ドイツで多く見られるカウンターも戦術に取り入れていると聞
きます。

 つまり、切り捨てる、言い換えれば相手が「シュン」となりやる気を失う事よりも、本人の型を尊重しながらも(感性)そ
こに有利になるであろう点(理論)を挟むのが、抜群にうまいわけです。

 僕なんて何度も書き直して

 「どうせ何度書いても、結果は同じさ!」

 と見せるのも嫌、言い換えればひどく傷ついて作業をしているわけですが、グアルディオラの方針は決して選手を蔑ろにし
ていない点で本当に凄いと言わざるを得ません。

 グアルディオラ自身は長期政権を嫌うようですが、それは自分が監督でなければきっと重用されるであろう選手もいる事
を理解している為でしょう。

 バイエルンとバルサだけでなく、彼が描く種は世界中で大きな華を咲かせる気さえしてきます。
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