塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

僕が思う、ペップの本当の凄さ

2013-12-25 00:18:39 | 日記
 理論と感性 矛盾するこの意識の両立は可能なのか

 最新号のワールド・サッカーダイジェストにフランク・リベリのインタビューが掲載されています。

 「ムッシュ・グアルディオラとの関係は最高」

 と彼は述べているのですが、グアルディオラの凄い所は理論と感性、相反するふたつの意識をいとも簡単に両立させている
事でしょうか。

 僕は自分を感性の人間だと思います。

 例えば商品陳列で大幅な変更を強いられても、設計図を描くことなくやりながら微調整するという形が自分の型になってい
るためです。

 別の理由として設計図を書いてもと

 「これ何なの?もう意味ないよ」

 と簡単に切り捨てられてしまうので、そんなに何度も書き直すこと自体が時間の無駄で、しゃらくせえ!と憤りすら感じて
しまう為です。

 グアルディオラはポゼッションを絶対的に信じていますが、ドイツで多く見られるカウンターも戦術に取り入れていると聞
きます。

 つまり、切り捨てる、言い換えれば相手が「シュン」となりやる気を失う事よりも、本人の型を尊重しながらも(感性)そ
こに有利になるであろう点(理論)を挟むのが、抜群にうまいわけです。

 僕なんて何度も書き直して

 「どうせ何度書いても、結果は同じさ!」

 と見せるのも嫌、言い換えればひどく傷ついて作業をしているわけですが、グアルディオラの方針は決して選手を蔑ろにし
ていない点で本当に凄いと言わざるを得ません。

 グアルディオラ自身は長期政権を嫌うようですが、それは自分が監督でなければきっと重用されるであろう選手もいる事
を理解している為でしょう。

 バイエルンとバルサだけでなく、彼が描く種は世界中で大きな華を咲かせる気さえしてきます。
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