goo blog サービス終了のお知らせ 

塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

コパ・アメリカについて考える(2)

2011-04-07 20:08:39 | 日記
 僕は前回のブログで、日本代表がコパ・アメリカに参戦すべきだとお話しましたが、
仮に参戦するなら、召集選手は何も海外リーグの選手だけに固執する必要はないと思い
ます。

 復興への意欲に皆が胸を打たれたアントラーズの小笠原やベガルタの関口のように、

 「意図的」

 に東北や北関東のクラブから選手を招集し、アルゼンチンに連れて行く。

 当然彼らには試合への抱負だけでなく、震災の内容や救援活動に対しても質問がでるで
しょうから、率直に現在の様子を伝えてもらう。

 やはり当事者にしかわからない心境があるでしょうし、彼らの肉声はきっと世界に届く
はずです。

 忘れてはならないのは、日本代表はコパ・アメリカで勝つことで、被災の現状と支援へ
の感謝を伝えにいくわけではありません。

 しかし今僕が例に出したふたりは前者が2009シーズンのJ1MVP、後者もザッケ
ローニ監督が代表に選出するなど、選手としての資質に問題があるわけではありません。

 もちろん代表選手の選出の権限はザッケローニ監督にありますし、その決定を僕たちは
尊重しないといけません。

 今現在日本がコパ・アメリカに参戦する見通しはたっていませんが、参戦するのであれば
日本には世界に向けて感謝する最高の舞台を与えられます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コパ・アメリカについて考える

2011-04-07 19:53:02 | 日記
 皆さんは日本代表がコパ・アメリカに参加すべきだと思いますか?

 それともサッカー協会と同様に、参加を辞退すべきだと考えますか?

 僕自身は

 「代表はコパ・アメリカに参加すべき」

 と考えています。協会はイタリア、スペインを対戦相手にチャリティーの企画を進めて
いるようですが、コパ・アメリカでも開催国アルゼンチンと交渉しだいでは

 「日本が戦う予選グループ3試合の収益の1部を、今回の震災のために寄付をする」

 形が実現すると思うんです。

 確かにJ1から代表選手を選ぶのは困難だと思います。コパ・アメリカ開催時はJ1の
日程が非常に詰まった時期と重なりますし、選手もリーグ戦の消化を最優先に考える形に
なるはずです。

 では欧州でプレイしている選手を全て(フィテッセの安田、VVVのカレン・ロバート
など、ザッケローニ監督就任後、未招集の選手も含める)と、極端な話MLSやその他の
海外に活躍の場を求めた選手達で代表を構成する。

 そんな方法もあると思っています。

 今回のコパ・アメリカ参戦の背景には、日本側の強い希望があったと聞きました。

 つまり震災の状況を考慮しても、日本はアルゼンチンに遠征する義務があると思います。

 加えて今回の機会を逃せば、コパ・アメリカを含む南米への遠征が次回いつ実現できるか。
まったく定かではないのも、僕が今考慮している点です。

 ワールドカップ本戦を考えれば、参加数は欧州の方が多いですから南米勢と戦う機会は
確かに多くないでしょうが、それでも多様なサッカースタイルを肌で感じる事は、今の日本
にかけがえのない刺激を与えてくれると思います。

 日本が出場を辞退しなければ、

 「日本は元気だ!!」

 という一面の他、選手達が代表して各国の支援に感謝することもできます。

 日本代表が日本という国を代表して、手を差し伸べてくれた世界へ感謝と敬意を表す。

 コパ・アメリカは代表だけでなく、今の日本に無視できない大会になるような気がします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サッカーで遊ぶと言う事

2011-04-07 15:54:23 | 日記
 今「節電」の重要性が叫ばれていますが、子供達ができる最高の節電と言えば

 「外で遊ぶ」

 事でしょう。

 僕が子供の頃は、サッカーボールひとつで皆夢中になって遊べましたし、キャプテン翼
を真似てドライブシュートの練習や、両親に手袋をねだる時は、若林や若島津を連想させ
る手袋を買ってもらいました。

 もちろん外でボールを蹴ることは、子供ながらの

 「リスク」

 を背負います。

 僕も家の前の道路でボールを蹴飛ばしていて、お隣のお爺さんの鉢植えを壊してしま
い、母が一升瓶を持って謝罪に訪れたことがありますし、弟もご近所の家のガラスを
割ったことがあります。

 でも子供達はそうした失敗から、近所付き合いやルールを学んでいくんですね。

 僕は小学校の時そろばん塾に通っていましたが、本当はそんなの無視してサッカーを
していたかった。

 でも遅刻は厳禁ですから、塾に遅れないように気遣ったものです。

 「サッカーをしていて遅刻した」

 は欠勤の理由にならないと、子供ながらに感じていたのです。

 確かに今は外で遊べるような環境は学校の校庭しかありませんが、泥んこになって帰宅
するのを、母や祖母は怒りませんでした。

 母の世代も僕の子供の頃と同様、外で遊ぶことが基本だった為です。

 確かに靴下にこびりついた汚れを落とすのは大変ですし、母親が子供が怪我をするのを
心配するのは当然ですが、外でサッカーをすることは、今も昔も男の子にとって非常に

 「贅沢」

 な時間だと僕は思うのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダービーという名前のスパイス(2)

2011-04-07 15:43:52 | 日記
 極端な例ですが、バルセロナ出身の男性がマドリード出身の女性を妻に迎えようと
すると、家族が怪訝な表情を浮かべると聞いたことがあります。

 それはもちろんかつてのスペイン内戦とフランコの政策が頭をよぎるのでしょうが、
それ以上に

 「レアル」

 を連想させる存在が、非常に疎ましいのだと言えます。

 まだエスパニョールファンの方が、バルセロナのファンからすれば

 「可愛げ」

 があるかもしれません。

 基本バルセロナとレアルの力関係は拮抗していますし、ハイライトで放映される過去の
名勝負は今見ても凄いと思いますが、エスパニョールとバルサの力関係は、過去も現在も
明らかに

 「後者」

 の方に分がありますから、まだ落ち着いて対処できるのではないでしょうか。

 日本でも今以上にサッカーが浸透してゆけば

 「東京ヴェルディのファンである以上、FC東京のファンとは結婚できない」
 「僕は長野パルセイロファンですから、山雅の本拠地松本に転勤がしたくありません。」
 「ガンバとセレッソ、大阪を代表するクラブはどちらだ?」

 というような押し問答や意見が、今以上に活発になるかもしれません。

 宿敵を連想させる存在が目の前にあると、人間は冷静な判断が下せないなくなるのでしょう
か?

 どちらにしてもダービーの場合、暴動や警官の負傷など、どうしても血生臭い事件が起きて
しまいがちですから、日本のダービーマッチがどうか負傷者がでないように、その対策を練る
必要があります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダービーという名前のスパイス

2011-04-07 15:33:40 | 日記
 先日、新婚の友人夫婦の家に招待されました。

 彼らに会うのは6ヶ月前の結婚式以来でしたが、仲むつましく僕を迎えてくれて

 「結婚して夫婦になるのは結構なことだ。」

 と痛感しました。

 でも彼らのように仲がよくても、サッカーというスパイスがその関係を引き裂く事が
あります。

 そう、「ダービー」

 がそうですね。

 光文社新書から発売されている

 「サッカーとイタリア人 小川光生著」

 の第一章「カルチョの首都ミラン」の中で、夫と子供がミラン、奥さんがインテルのファ
ンという家族が紹介されますが、本場欧州では家族ぐるみで同じクラブを応援している例も
あれば、互いが互いの宿敵を応援している場合もあります。

 「レンジャーズかセルティックか」
 「ミランかインテルか」
 「シティがユナイテッドか」

 これらの問題は僕らが思う以上に彼らにとって由々しき問題でしょうし、何よりダービー
で負けた瞬間、

 「家族」

 という一番身近な存在から、次のダービーに勝利するまで常にからかわれながら過ごさな
といけません。

 先日のミラノダービーのように、どちらかが一方的な形で勝利すれば、からかいの度合い
は更に増しますし、第一職場の関係とは異なり、毎日顔を会わせているわけですから、この
状況を踏まえれば、

 「ダービーだけは負けないで!!」

 そう考えるファンが欧州に多いのは、至極当然の結果ですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする