ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



いろんな健康法ってあると思うんだけど、健康になるためには、ほんとはどうしたらいいの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『超・絶対健康法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 結局、「この世に生きている人間というものは、川のように変化・変転する存在であり、自分を変えていくことができる存在でもある」ということなのです。
 そのため、もし、自分を変えようとする力が、意識的に、自覚的に働き、その力を応援する力までが加わってきたならば、通常は起きえないようなことも起きてくるのです。
 それが私の言いたいことです。
 実は、みなさんには、まだまだ、“隠された力”があるのです。本当は、すごい力が眠っているのですが、まだ、その力の開発に成功していないわけです。
 もし、人間を、「肉体に宿っているだけの有限の力しかないものだ」と考えて、「単に、食べ物を食べて、それをガソリン代わりにして生きており、脳もしくは神経で判断して生きているだけの存在だ」と思っていたら、それ以上のものにはなれません。
 しかし、前述したユングの「集合的無意識」でもよいのですが、「人間は、肉体を超えた偉大な世界のなかの存在であり、そして、偉大な可能性を持った、精神的な部分のある存在なのだ」と考えることができたならば、そこから無限の可能性が開かれてきます。
 例えば、ある人が、個人で、「経営者として成功しよう」と強く強く念じ、その強い強い思いを、一日中、また、一年中、発信し続けていると、その念波を誰かが感知します。身近にいる人、日本にいる人、世界にいる人のなかで、縁のある誰かが、その念波を感知して寄ってくるのです。このようにして協力者が寄ってくると、事業が立ち上がり、大きくなってきます。
 これが、「思いが実現する」という姿なのです。
 そのように、事業一つを取っても、本人に「実現したい」という強い思いがあれば、小さな会社が大きな会社に成長していき、非常に体質のよい姿になります。
 黒字の会社というものは健康体ですが、赤字の会社というものは病気です。それと同じように、人間の肉体も、健康体になるか、あるいは病気がちの体になるか、それを選ぶことは可能なのです。
 どうすれば、それを可能にすることができるでしょうか。
 まず、「どういうことを思っているか」ということ、そういう原点が非常に大事です。
 「立派な会社をつくろう」と思わなければ、立派な会社には、なかなかなっていきません。また、会社は偶然にはできません。会社をつくるときには、何人かが同意し、資本金を出して、ビルの一部を借り、人を集めなければならないのです。そのように、「やろう」と思って決意し、実行しなければ、会社はできません。
 肉体の健康も、やはり同じです。「健康な体をつくろう」と思えば、自分自身の肉体のなかからも、協力する力が現れてくるのです。
(170~173ページ)

この世に生きている人間は、川のように変化・変転する存在であり、自分を変えていくことができる存在でもある。

したがって、自分を変えようとする力が、自覚的に働き、その力を応援する力までが加わってきたら、通常は起きないようなことも起きてくる。

実は、人間には、まだまだ“隠された力”があるが、その力の開発に成功していないだけである──。

「思い」の力で人間は健康になることが可能だ、ということを、大川隆法先生は、手を変え品を変えて、教えて下さっています。

強く強く、健康になろう、健康になっていこう、と決意すること。

それこそが健康な人生への出発点だということを、今日は改めて確認することができたと私は思っているのです。

『超・絶対健康法』

 大川隆法著

 

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レムリアって古代文明があったんじゃないの。幸福の科学では、そう教えられてないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『神々が語る レムリアの真実』(幸福の科学出版)で、九次元霊にして、ラムディア文明では大聖エレマリアとして生まれた、ゼウスの言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 世間では、一般に、今あなたが言ったラムディア文明は、「レムリア文明」という名前で呼ばれております。
 しかし、大多数の方がご存じないようですが、この「レムリア」という名前を付けたのは、現代人というか、おそらく、ここ百年ぐらいの人だと思うのです。
 「レムリア」という言葉の起源は「レムール」であり、レムールとはキツネザルのことです。これは、現在、アフリカの東側にある、マダガスカルという島に棲んでいる、希少種のサルなのです。
 このレムールというキツネザルが、海を隔てて点々と存在する幾つかの島に棲んでいるんですね。しかし、キツネザルが海を泳いでいけるはずはありませんし、まったく偶然に、別の島で自然発生したとも思えません。
 そのため、「海を隔てた幾つかの島に、レムールというキツネザルがいるのだから、昔、それらの島々をつなぐものがあったのではないか。その辺に大陸があったに違いない」という仮説を立てた人がいるのです。
 そして、その大陸を、レムールの名を取って、「レムリア大陸」と名付けたんですね。
 ですから、私がその時代に生きていたとき、そこが「レムリア」と呼ばれた事実はありません。それで、大川隆法総裁は、『太陽の法』の改訂版を書かれたときに、「ラムディア」という名前に変更されました。これが、当時の本当の名前に、かなり近い発音の仕方です。
 したがって、「レムリアという大陸、あるいは文明があって、そのレムリア人です」と言っているものは、だいたい、嘘だと思って間違いありません。それは嘘です。レムリアとは、キツネザルの名前から来た、仮想の大陸名なのです。(中略)
 今、西洋のほうでは、そのレムリア大陸とムー大陸を混同する学説もあります。レムリアとムーの区別がつかなくて、「レムリア即ムー」と考えているのです。
 その場合、ムーの位置を南インド洋のほうに持ってくる説もあれば、レムリアを太平洋のほうに持ってくる説もありますし、「レムリアはハワイのほうにあった」とする説などもあり、いろいろな説が出ているようです。
 ただ、先ほど言いましたように、「レムール」という言葉は、当時の言葉ではなく、れっきとした英語です(lemur(リーマー))。「レムール」という、キツネザルを意味する英語があって、そこから、「レムリア」という大陸名が出てきているわけです。
 そのキツネザルの分布を見ると、アフリカ大陸のなかにはいません。ところが、アフリカ大陸から離れた島、「古代動物の宝庫」とも言われるマダガスカル島にはいます。そして、インドなどのユーラシア大陸にもいないのですが、インド洋上の島にはいるのです。
 だから、キツネザルのいる所を結んでいけば、「アフリカの東からインドの南のほうにかけて、地続きの巨大な大陸があった」ということが推定されるんですね。
 これは、いわゆる「ムー文明」とは違う文明なのです。混同されることがあるのですが、ムーとは違う文明です。ムーはムーとしてありました。
(20~25ページ)

この問題については、すでに、九次元大霊マヌ神の言葉をご紹介したことがありました。

マヌ神のほうが、今回のゼウス神の霊言(本書の第1章に収録)を引用してますので、ちょっとご紹介の順番があとさきになってしまっています。

いずれにしても、ここで語られているのが「レムリアの真実」であることは、とても重要な情報だと改めて私は思っているのです。

神々が語るレムリアの真実―ゼウス・マヌが明かす古代文明の秘密 (OR books)

『神々が語る レムリアの真実』

 大川隆法著

 

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宇宙人と対話って、できるものなのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『宇宙人との対話』(幸福の科学出版)のまえがきとあとがきで、次のように説いておられます。

 まえがき
 先般、『「宇宙の法」入門』を出版したところ、予想を超えての大反響であった。硬派をもって自認する、当会のオピニオン誌、『ザ・リバティ』にも関連特集を組んだところ、「実は……」「今まで黙っていたのですが……」といった読者の反響投稿が相次いだ。
 宇宙人が多数飛来し、その円盤などの乗り物を誇示し始め、地球人との直接コンタクトを開始し始めたのは、実は、日本と深い関係がある。一九四五年に広島と長崎に原爆が投下されてより、地球人自身の手によって、地球文明が滅亡する危機が始まったのである。
 そこで一九四七年のアメリカ合衆国のロズウェル事件(UFO墜落事故、宇宙人との接触)以降、多数のUFOが目撃されるようになった。地球文明不介入の宇宙協定の例外と判断されたからである。
 宇宙人とのコンタクトとは、地球人類の魂の起源の探究でもある。まずはご一読願いたい。

あとがき
  すでに現時点では、地球人として生活している者の、表面意識の下に潜んでいる宇宙人の魂を招き出し、あるいは、ウォーク・イン(共生)という形で人間の体に宿っている宇宙人の魂を探り当て、元いた星について語らせ、地球飛来の目的を探るという試みが本書である。
 宇宙人は、これから接触するどころか、すでに地球文明の一部に多数潜入し、共存しているのである。
 本書はプレアデス星人、ウンモ星人、レプタリアン、ベガ星人、金星人、ケンタウルス座α(アルファ)星人などとの対話記録である。
 神秘のベールの一部は、すでにはがされた。しかしまだ、十分ではあるまい。宇宙人シリーズ第三弾も検討中である。私たちは、真実の前に謙虚でありたいと願うものである。
(1~2、246~247ページ)

1947年のロズウェル事件以降、多数のUFOが目撃されるようになったのは、1945年に広島と長崎の原爆がきっかけだった。

地球人自身の手によって地球文明が滅亡する危機が始まり、地球文明不介入の宇宙協定の例外と判断されたからであった。

宇宙人とのコンタクトとは、地球人類の魂の起源の探究でもある──。

今日ご紹介したのは、2010年5月に刊行された本書のまえがきとあとがきです。

宇宙人が、すでに地球文明の一部に多数潜入し、共存しているって。

この驚くべき事実が明らかにされた本書は、宇宙人ものに興味があるすべての人がまず手に取るべき書物であると改めて私は思っているのです。

宇宙人との対話 (OR books)

『宇宙人との対話』

 大川隆法著

 

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もうこんなトシなのにさ、挫折しちゃったよ。まだ若かったら、立ち直ろうって気にもなるけど、もうどうしようもないよね? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『成功の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 たとえば、六十歳を過ぎて、自分が会社を定年退職する時期が来たとしましょう。「いまさら、何の人生の希望があるか」と思うでしょう。そして、若い人を見ては、「あのように若ければ、何でもできたのに。残念だけれども、もう、こんな年齢になってしまったので、何もできない」というように考えがちでしょう。
 しかし、これについても逆発想は可能であると思うのです。つまり、「六十歳から青年をやってみる」ということでもよいはずです。「六十歳から青年をやって、何がいけないのか。定年退職したときこそ、第二の青年期の始まりである。青年がやるようなことをやってみたい」と、理想に燃えて生きるときに、その人は、ほんとうに青年のごとく、はつらつとなるのではないかと私は思うのです。
「常に高い目標を掲げ、常に新たな目標を掲げて生きている人にとっては、年齢は関係がない」と言えるのではないでしょうか。
 また、中堅どころのサラリーマンが、左遷をされたり、降格をされたりすることもあるでしょう。それは人生の試練のときではありますが、「こういうときこそ、自分をいちばん磨いてくれているときである」と考えてもよいと思います。
 暇なセクションに回されたときには、充電期だと思って、思い切り勉強することです。忙しいところに回されたのならば、期待に応えるべく、一生懸命に頑張ってみるべきです。(中略)
 要は、それぞれの苦難、困難のなかにおいて、「自分の魂を光らせるために、いちばんよいことは何であるか。いちばんよい方法は、いったい何であるか」ということを考えつづける姿勢、態度を持っていることです。そういう姿勢を持っていればこそ、どのような所にあっても、立派に漕ぎきっていくことができるのです。
 したがって、いま、困難のなかにあって、「にっちもさっちもいかない」と思っている人に、私は言いたいのです。「あなたは、その問題に対して、いったい幾つ解決案を考えましたか。自分は、『これしか方法がない。これで行き止まりだ』と思っているかもしれないけれども、それ以外の方法は、ほんとうにありませんか。それ以外の発想はありませんか」と。
 実は、あるのではないでしょうか。それ以外の発想がありうるにもかかわらず、「それは常識に合致していない」とか、「それは他の人が反対するであろう」とか、「それは自信がない」とか、いろいろな理由をつけ、自分で選択肢を外して、狭めているのではありませんか。おそらく、そうであろうと思います。
 問題が起きたときには、「それに関して、自分は幾つ発想をつくることができるか。そして、どの発想が、いちばんスマートに、いちばん効率よく、いちばん早く成果をあげることができるか」ということを研究してみることです。
 このような研究を怠らなかった人は、やがて、他の人の人生の問題に対しても、快刀乱麻を断つがごとく、解決をつけていくことができるようになるのです。
(103~107ページ)

会社を定年退職する時期が来たとしても、常に高い目標、新たな目標を掲げ、理想に燃えて生きるならば、年齢に関係なく青年のごとくはつらつと生きることができる。

左遷されたり、降格されたとしても、こういうときこそ自分が磨かれるときだと考え、充電期だと思って、思い切り勉強することである。

要は、苦難困難のなかで、「自分の魂を光らせるために、いちばんよいことは何か。いちばんよい方法は何であるか」を考えつづける姿勢、態度を持っていることである──。

なるほど、なるほど、です。

大川隆法先生の説かれる仏法真理は、青年たちにとってはもちろんのこと、壮年や中年、シルバー世代の方にとっても、ほんとうに学びの宝庫だと、改めて私は思っているのです。

成功の法―真のエリートを目指して (OR books)

『成功の法』

  大川隆法著


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あの車椅子物理学者として有名なホーキング博士の意識のなかに宿った宇宙人の魂が、前回、霊言したよね。最初はたどたどしかったのに、だんだんなめらかに日本語をしゃべりはじめて、宇宙がどうしたといい始めたところで終わっちゃったけど、その先はどうなったの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『宇宙人による地球侵略はあるのか──ホーキング博士「宇宙人脅威説」の真相』で、肉体としてはイギリスにいるはずのホーキング博士の意識のなかに宿った宇宙人の魂を探りあて、遠く東京の幸福の科学総合本部に呼出し、自らの体に入れて言葉を語らせるという秘儀を、司会と公開対話する形で、前回に続いて、次のように行なっておられます。

博士の宇宙の魂 窓に映っている自分の姿は何だろうか。
司会 顔とか、体とか。
博士の宇宙の魂 うーん……。(約十秒間の沈黙)なんか宇宙人に似ている。
司会 どのような宇宙人でしょうか。
博士の宇宙の魂 足は特によく見える。足は見えるなあ。
司会 何本ですか。
博士の宇宙の魂 二本だよ。二本だけど、なんか、スーパーマンのような足をしている。
司会 ブーツか何かをはいておられるのでしょうか。
博士の宇宙の魂 うん。そうそう。
司会 タイツか何か、ピシッとフィットするものをはいておられるんですね。
博士の宇宙の魂 そうそう。スーパーマンのような足をしているねえ。下はそんな感じに見えるけど、上は何だろう?
 上のほうは、これ、何て言うの? 上はちょっと違う。上は、スーパーマンとちょっと違って、人間じゃないみたい。
司会 人間ではないですか。
博士の宇宙の魂 うん。人間じゃないなあ。
司会 動物ですか。
博士の宇宙の魂 うーん。胸幅は広い。胸幅が広くて、手はあるけど、顔は人間じゃない。顔は人間じゃなくて、うーん……。
 手は二本、足は二本。スーパーマンのように立っているけど、顔は人間じゃない。人間じゃなくて、なんか、大きな目で、うーん。何だろうか。蜂のようでもあるし、昆虫の何かのようでもあるし、フクロウのようでもある。
 大きな縦長の目があるんだけど、その目が、小さな光の細胞のようなもので、できているように見えるねえ。
司会 目に特徴があるのでしょうか。
博士の宇宙の魂 うん。で、頭から触角が二本出ているような感じがする。
司会 背中には何か生えていますか。
博士の宇宙の魂 背中?
司会 ええ。羽とか。
博士の宇宙の魂 (約五秒間の沈黙)
 うーん。背中には……、マントのようなものを着ているような気がする。
司会 どのようなマントですか。
博士の宇宙の魂 あのねえ、大学の卒業式のときに着るマントみたい。
司会 羽ではないわけですね。
博士の宇宙の魂 羽じゃないね。マントだね。
司会 髪の毛もあるのですか。
博士の宇宙の魂 髪の毛はないね。髪の毛ではなくて、何だろう、これ? 髪の毛じゃない。髪の毛じゃなくて……。(約十秒間の沈黙)
 うーん。いちおう、つるつるしてるかなあ。つるつるした感じ。
司会 肌の色は何色でしょうか。
博士の宇宙の魂 肌の色はねえ……、グリーンとグレイの混ざったような色をしている。
 それで、目はねえ、ライトのように光っているね。これ、ほんとに自前のものなのか、何かが付いているのか、それは分からない。
司会 機械ですか。
博士の宇宙の魂 いや。機械じゃないと思うなあ。うーん。なんか、特殊なあれなのかなあ。
司会 背丈は、どのくらいあるのでしょうか。
博士の宇宙の魂 背? うーん……。六フィートぐらい(約一八〇センチ)。
(41~50ページ)

・・・という展開で、いやはやなんとも不思議な話が続いているわけですが、この続きは、またに機会に!

宇宙人による地球侵略はあるのか (OR books)

『宇宙人による地球侵略はあるのか』

 大川隆法著

 


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前回、「空間領域での無我の思想」について、教えてもらったと思うよ。でも、それ以外の無我の思想があるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『大悟の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 この無我の思想は、言葉を換えて言うならば、当然ながら、利他、愛他の思想とつながっていくものであったのです。
 「自分は、孤立して独りで生きているものではない」ということを悟ったとき、利他、愛他の行為とは、元なる自分自身を知ること、元なる自分自身を生かすことであり、利他、愛他の思いとは、同時代の同期生として生きている魂たちを、共に愛し、慈しむ心なのです(拙著『愛の原点』〔幸福の科学出版刊〕第1章、第2章参照)。
 したがって、愛他、利他の思いそのものもまた、一つの無我なのです。「この世的なる自我のみならず。孤立した我のみならず」ということを知ったがゆえに、愛他、利他の思いが開け、そういう行動観が生まれてくるわけです。
 釈尊の無我の思想には、「自分の心の内なる広大無辺な領域を知り、その法則に精通する」ということと同時に、人間の生きていく意味として、「他の者、同じく魂修行をしている多くの人々を、慈しみの眼でもって見、そして、はぐくみ、導いていき、共に幸福になっていこう」という悟りがあったのです。この点を忘れてはいけないと思います。
 宗教の世界、あるいは超能力の世界において、霊的な感覚を持っている人は数多くいますが、愛他、利他の思いにまで届かずに、霊的なもののみに関心を示しているうちは、まだ、魂的には、仙人界や天狗界と呼ばれる裏側の世界に属していると言わざるをえないのです。
 菩薩や如来といわれる人たちのいる、本来の表側の魂系団に入るためには、「真実の自己を知る」ということと共に、「その真実の自己を知る行為が、利他、愛他へとつながっていく」ということが必要です。そういう悟りが必要なのです。
 これは、共に社会を発展させていく力とつながる宗教であることを意味します。
(200~202ページ)

愛他、利他の思いもまた、一つの無我である。

ここまで思い至らない教えは、じつは裏側の世界(仙人界や天狗界)に属しているのであって、菩薩や如来たちの表側の世界の教えではない。

そういう悟りを教えるのは、共に社会を発展させていく力とつながる宗教であることを意味しているのである──。

ちょっとむずかしかったでしょうか。

でも今日は、「空間領域での無我の思想」を超えて高度な、そしてとても大事な無我の思想について教えていただいたのだと私は理解しているのです。

大悟の法―常に仏陀と共に歩め (OR books)

『大悟の法』

  大川隆法著

 

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努力なんて、面倒だよね。いいんじゃないの、そんなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『真のエリートを目指して』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 私は英語のテキスト以外にも大量の本を書いています。この二十数年間で五百冊以上の著書を出しました(説法当時。二〇一一年三月の段階で七百冊を突破)。これは、通常、なかなか書ける量ではありません。
 また、説法も、現在までに、千三百回ぐらい行っていますが(説法当時。二〇一一年五月の段階で千五百回を突破)、今のところ、私は三千回の説法を目標にしています。
 大切なのは「継続」「積み重ね」です。努力を積み重ねていくうちに、普通ではなくなってきます。途中までなら誰にでもできる領域があるのですが、努力を積み重ねていくうちに、普通ではなくなってくるときがあるのです。
 「三千回の説法を目標にする」と述べましたが、これは、プロ野球で言えば、安打(ヒット)を数百本ではなく三千本も打つことと同じでしょう。したがって、それなりに難しいのです。
 しかし、努力の積み重ねによって非凡な実績が出てきます。世間の人は、それを知らずに、結果だけを見て判断しますが、本当は水面下の努力が人間をつくっていくのです。
 「生まれつき頭がよいから、結果的に勉強や仕事がよくできるのだ」と単純に考える人もいますが、その説を私は信じません。やはり、「努力に応じた結果が出てくる」と見ています。
 努力した結果の現れ方には、人によって、早い遅いが当然ありますが、努力を継続すれば、いずれ実を結ぶのです。
 「ウサギとカメ」という有名な話があります。「足の速いウサギは、速く走っていったが、途中で昼寝をしてしまったため、あとから来たカメがウサギを追い抜いていった」という話ですが、これは人生の真実なのです。
 今は「大きな差がある」と思っていても、コツコツと努力しているうちに、意外なところまで進んでいくものです。それを知っていただきたいと思います。
 これは、仏教的に言えば「縁起の理法」です。(中略)
 「縁起の理法」とは、「原因があり、それに努力・精進という条件が加わって、結果が出てくる」という考え方です。結果が出てくるのにかかる時間は、人によって多少の差がありますが、「努力は、何らかのかたちで、必ず報いられるようになる」ということを信じていただきたいと思います。
 これは重要な考え方なので、繰り返し述べておきます。
(33~36ページ)

大川隆法先生は、この二十数年間で700冊以上の書籍を出し、説法も1500回以上行なっている(2011年5月当時)。

大切なのは「継続」「積み重ね」であり、努力を積み重ねていくうちに普通ではなくなり、非凡な実績が出てくる。

これは、仏教的に言えば「縁起の理法」である。努力は、何らかのかたちで必ず報いられることを信じていただきたい──。

これはちょうど10年ほど前に刊行された書籍である。

2021年の今は、2800冊を超える書籍を出しておられ、ご説法も3300回を超えておられると聞きます。

これは、10年間に、ご説法が1800回以上、ご著書も2000冊を超えて出され続けた計算になるわけで、もう人間ワザでないことは言うまでもありません。

大川隆法先生は、しばしば努力の大切さを説かれますが、そのお言葉の背景には、この間、ご自身が積み重ねて来られた、そんな巨大な実績があるわけです。

ちなみに、大川隆法先生のご著書にまったく目を通すこともなく、「疑」の心で、あたかもこれらが作り話や偽作であるかのように言う人がいたりします。

しかし、この10年間の私たち信者の経験では、大川隆法先生は毎週いくつも新たな御法話や公開霊言などを発表しておられ、私たちはこれを支部や精舎で実際に拝聴できるわけで、それが活字に起こされ編集されて書籍になっているプロセスを、リアルタイムで経験し続けています。

それが年間を通してみると、年に200冊を超えるご著書として結晶化しているわけで、それが毎年毎年、間違いなく続けられることで、着々とご著書の数は増え続けています。

そこに作り話や偽作など入る余地がないことは、きちんとフォローしていさえすれば、誰もが客観的に理解できる事実として示され続けているのは、本当に間違いないのです。

ということで、大川隆法先生にはとうてい足元にも及ばないにしても、でも、師の背を追いかけて、コツコツと日々の努力を積み重ねていくことをいとわない自分になっていきたいものだと、改めて私は思っているのです。

真のエリートを目指して―努力に勝る天才なし (OR books)


『真のエリートを目指して』

 大川隆法著

 

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悪魔っていっても、やっぱり、仏性もってるんでしょ。仏の子なんだから、誠実に対応してあげるべきなんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『エクソシスト入門──実録・悪魔との対話』(幸福の科学出版)で、次のように説いておられます。

 通常の不成仏霊の場合は、説得が可能です。一時間ぐらいでは、なかなか分からないことも多いのですが、説得すると少しずつ分かってきます。
 しかし、悪魔のたぐいになると難しいのです。
 悪魔というのは、千年、二千年、あるいは、それ以上の長い年月、地獄にいて、歴史上のさまざまな宗教に入って惑わしてきた者なので、宗教について、ものすごくよく知っています。
 そのため、説得されて分かったようなふりをしたり、恭順の意を表したり、「弟子にしてくれ」と言ったり、涙を流したりすることもありますが、彼らは、演技で嘘をつくことができるのです。こちらに慢心があると、嘘を見抜けず、完全に騙されてしまいます。
 彼らは、態度がコロッと変わって、そのときだけ、説得されたように見せますが、実は、まったく改心などしていません。積極的に妨害するつもりで狙っているのです。
 悪魔のたぐいを説得することは本当に難しいので、悪魔とは、あまり積極的にかかわることは勧めません。かかわらないのがいちばんです。
 悪魔はヤクザや暴力団と同じです。例えば、この世でも、「○○組の本部に乗り込んでいって、彼らを説教する」などと言ったら、普通の人は、「やめておいたほうがよい」と言うでしょう。「いや、おれは、空手、柔道、剣道を合わせて十段だから、大丈夫だ」と言って乗り込んでいっても、生きて出てこられる可能性は低いので、好んで行くようなものではありません。やはり、“敵地”には、それなりに厳しいものがあります。
 悟りのよすが、悟りのチャンスが与えられた者を一人ひとり救っていくことは比較的易しいのですが、敵地で相手を丸ごと折伏するのは、そう簡単なことではないのです。
(55~57ページ)

悪魔は、長い年月、地獄にいて、さまざまな宗教に入って惑わしてきた者なので、宗教についてものすごくよく知っており、演技で嘘をつくし、積極的に妨害するつもりで狙っている。

こちらに慢心があると、嘘を見抜けず、完全に騙されてしまう。

その説得は本当に難しいので、積極的にかかわることは勧めない。かかわらないのがいちばんである──。

私たち普通の人間が、悪魔を説得して救おうとしたりするのは、ほんとに危険なことなんですね。

できるだけ縁ができないようにしたいものですが、どうしても縁ができてしまった場合には、幸福の科学の三帰者が与えられている「悪霊撃退の祈り」などを用いて撃退していくのが、基本なんでしょうね。

もちろん、幸福の科学の支部や精舎で実施されている各種の祈願も超オススメできると私は確信しているのです。

エクソシスト入門 (OR books)

『エクソシスト入門』

 大川隆法著

 

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社会人としては、やっぱり経験も必要だよね。経験が少ない若いときに、ちゃんとした仕事って、できるものなのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『大隈重信が語る「政治の心 学問の心」』(幸福の科学出版)で、早稲田大学を創立者し、総理大臣まで務めた大隈重信の言葉(霊言)を、次のように伝えておられます。

 パークスか。(中略)確かに、わしは若かったし、小役人と言やあ、小役人だっただろうとは思う。下っ端だよな。それで、向こうは、ものすごく傲岸不遜で有名な男だからな。「こんな下っ端を出してきた」っちゅうんで、最初から「もう相手にならん」と言いよるから、昼飯も食わさず、夕方までぶち抜きで交渉をやったのを覚えとるけどなあ。
 それで、名が上がって、自信がついたんだけどな。「あの傲岸なパークスに飯も食わさず、夕方まで押し込んだ」っていうので、有名になったんだ。
 あのときの原因は、キリスト教の弾圧だったかな。江戸時代の、異教の禁止がまだ残ってたんじゃないかな。それで、何か事件があって、向こうとしては、ほんの一捻りで潰すつもりで来たような案件だったと思うね。
 たまたま、「あいつは交渉力があるようだ」ということで私を紛れ込ませてくれて、それで、やり合ったんだと思うけど、向こうとしては、どんな感じかね。まあ、「窮鼠猫を噛む」かな。「ネズミかと思ってたら、けっこう歯向かってきたので、びっくりした」っちゅうとこかなあ。「日本人を舐めるんじゃねえよ」っていうとこだな。「自分たちのほうが先進国だ」と思って舐めてたけど、日本人の能力はけっこう高いんだよ。
 当時、塾形式ではあったかもしらんけど、勉強熱はけっこうあったしね。東洋の伝統的な学問もやってたし、外国語として蘭学や英語もやってたし、それから武士道もあったからね。決して、彼らと渡り合って負けるような、われらではなかったんだ。(中略)そういう武士がいないといかんと思うね。
 だから、私の名を上げたのは、たぶんパークスとの交渉だと思う。向こうが、日本を後進国と思って、ねじ込んできて、踏み潰そうとしてたところを、私が切り返した。あれは、やっぱり、語学的な知識があったことと、宗教論ができたことが大きかったと思う。
 向こうは、「信教の自由を守らなきゃいけない」と言ってきたんだけど、わしが、「キリスト教のおかげで、世界がどれだけ迷惑したか」っていうキリスト教の害をいっぱい並べ立てて攻撃したんだよ。それで、ちょっと、たまげたみたいなんだ。
 実際そうだろう? 重商主義の時代から、帝国主義、植民地主義の時代にかけて、キリスト教のおかげで、どれだけ植民地にされて奴隷がつくられたか。ねえ? 「『宣教師が侵略の先兵と化して、国を乗っ取っていく』ということを、ずっとやってきているわけだから、キリスト教について一定の制限をかけるのには、合理性がある」っていうことを言ったのさ。
 そうしたら、向こうは、そこまで言ってくるとは思わなかったので、参ったようではあるね。
 まあ、このへんが「金星」かな。つまり、幕の内に入ったばかりの人が、横綱と戦って勝ったようなことだな。
 でも、これが、まぐれでないことは、その後のわしの人生が証明しとるんであって、だから、「栴檀(せんだん)は双葉より芳し」(大成する人物は幼少時から優れていること)だ。
 君らだって一緒だよ。「年齢が来たらできる」っちゅうもんじゃない。若いころから志のある者は、ちゃんとした仕事ができると思うな。
(39~43ページ)

大隈重信の名を上げたのは、(英国公使の)パークスとの交渉で、語学的な知識と宗教論で押し返したことだった。

これがまぐれでないことは、その後の大隈重信の人生が証明している。

このように、年齢が来たらできるわけではなく、若いころから志のある者は、ちゃんとした仕事ができるものである──。

実体験から語られる大隈重信の力強い言葉は、私たち後進の者を励ましてくれます。

そして同時に、「仕事をしたいと思っているあなたには、『志』があるのか」と、厳しく問うておられるのではないかと、私は思っているのです。

大隈重信が語る「政治の心学問の心」 (公開霊言シリーズ)

『大隈重信が語る「政治の心 学問の心」』

 大川隆法著

 

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今日は、何の日か知ってる? えっと、水曜日? うんうん、そんな話じゃあなくって。

幸福の科学の大川隆法先生は、『理想国家日本の条件』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

よく知るがよい。
何ゆえに、幸福の科学という団体が、
今、死力をつくして
真理の広宣流布に起ち上がっているかを──。
これを一団体の欲得と思うか。
これを一宗一派の運動と思うか。
まかり間違っても、
大川隆法という名の個人の利益や欲得のために
やっていることではない。
私たちの、この真理の運動こそが、
地球を救う光なのだ。
(34ページ)

そう、今日は、人類救済の大願を成就するために、幸福の科学が設立された日。1986年の立宗から35回目の記念日。

幸福の科学では、全世界の支部や精舎で、この10月6日を、「立宗記念日」としてお祝いしているのです。 

理想国家日本の条件―宗教立国のすすめ (OR books)

『理想国家日本の条件』

 大川隆法著

 

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とにかく挫折だよね。人生、これ以上の苦難とか困難とか、ないんじゃないの。人生終わったよね? なーんて悩みを抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『常勝思考』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 ものごとには、短期的に見る考え方と長期的に見る考え方の両者があるのです。
 長期的にのみ考えて、現在ただいまはどうでもいいというような考え方を、決してしてはいけないと私は思います。(中略)
 ただ、みなさんが挫折するとき、みなさんが「これ以上の辛酸はない。これ以上の苦難はない。これ以上の不幸はない」と思っている時期というものは、やはり短期的なものであることが多いと思います。そして、一年間、二年間という短期的な時期をとってみて、「自分の思うとおりにならなかった」と考えるのでしょうが、こうしたときには、やはり、発想の切り替えがぜひとも必要です。
 短期的に勝利しなかったということは、みなさんに、たとえば、短距離ランナーとしての素質がない、一〇〇メートル走では決して優勝できないということを教えているのかもしれません。ただそれは、みなさんがよきランナーになれないことを意味しているわけではないのです。
 四〇〇メートルや八〇〇メートル、一五〇〇メートルの競走もあれば、あるいは四二・一九五キロのマラソンもあります。「短期だけではだめならば、長期はどうであろうか」という考え方があるわけです。これを大事にしていただきたいと思います。
 私は、もともと足はあまり速いほうではなかったのですが、高校生のころ、一度、校内のマラソンに出て、なかなかの成績を収めたことがあります。このマラソンの体験を通して、やはリペース配分というものは大切なのだということを教えてもらったと思います。
 そのとき、私は最初、自分とだいたい似たような実力の集団に見当をつけて、その団子集団に入っておこうと考えました。ところが、走っているうちに、だんだんと調子が出てきて、体が温まってくると、「もしかしたら、いけるかな」という感じがしてきました。それで、中間地点からペースを上げていくと、何かだんだん足が長くなってきたような気がしました。やがてピッチが上がって、短距離走などでは私よりずいぶん速かったような人まで抜いてしまったのです。
 短距離が得意で、筋肉質であるような人は、ペース配分を誤るとバテるのです。速く走りすぎて途中でバテてしまい、ハアハアいって休んだりします。そこに、私が後ろからタッタッタッと追いかけてくるものだから、意外な顔をして、また引き離そうとがんばるものの、いつのまにか私の後ろのほうにいってしまったりしたのです。「こんなことってあるのかな」と思って、不思議な感じがしました。
 ペース配分の大切さということをお話ししましたが、自分の持っている力を客観的に分析して、どの部分で力を出していけば、全体で見たときに、自分なりの大きな結果が出せるのか――それを工夫することは可能であると思います。
(212~215ページ)

ものごとには、短期的に見る考え方と長期的に見る考え方の両者がある。

長期的にのみ考えて、現在ただいまはどうでもいいというような考え方ではいけないが、挫折するときは、短期的なものであることが多い。

発想を切り替え、自分の持っている力を客観的に分析して、全体で見たときにどの部分で力を出していけば、自分なりの大きな結果が出せるのかを工夫することは可能である──。

うーん、なるほど、なるほど、です。

この大川隆法先生のお教えに、心素直に従っていくことだと思います。

そして、短期的に見る考え方と長期的に見る考え方の両方をみすえて、人生に勝利していきたいものだと改めて私は思っているのです。

常勝思考―人生に敗北などないのだ。 (OR books)

『常勝思考』

  大川隆法著

 

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幸福の科学には、「愛」の教えがあるんでしょ。どんな教えなの? なーんてまっすぐな疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 愛の原理のなかには、説くべきことはたくさんありますが、まず、悟りへの一転語として、「みなさんが愛だと思っていることは、実は『奪う愛』ではありませんか。人から貰うこと、人から取ることを愛だと思っていませんか。そうではないのです。貰うことを考えているから、苦しんでいるのではありませんか」ということを説いたのです。
 そういう愛は、昔、原始仏教が「愛」と呼んだ、執着としての愛です。原始仏教では、執着のことを「愛」と呼び、私が教えている「与える愛」のほうは「慈悲」と呼んでいました。当会の愛の教えは執着のほうではなく慈悲の教えなのです。慈悲とは与えきりのものです。見返りを求めない、与えきりの心が慈悲です。
「与える愛」という言い方をしていますが、これは、この世的に分かりやすくするために言った言葉です。「慈悲」と言ってもよかったのですが、言葉としては古いので、現代人にとっては理解しにくい場合もあるだろうと考え、現代的に翻訳して、「与える愛」と言っているのです。「慈悲」と言うと、ちょっと分からないかもしれませんが、「与える愛」という言葉であれば、小学生や中学生でも分かるでしょう。
 みなさんは、「愛」と言うと、ほとんどは、好きな男性から愛されること、好きな女性から愛されること、親から愛されること、子供から愛されることなど、愛を貰うことばかりを考えるでしょう。そして、充分に愛を貰えないので悩むのでしょう。これを解決しなければいけません。
 みんな、愛が欲しい人ばかりで、与える人がいなかったならば、この世には愛が不足してしまいます。したがって、まず愛の供給をしなくてはいけないのです。それぞれの人が愛の供給をすれば、世の中は愛に満ちてきます。奪うことばかりを考えてはいけないのです。
 愛不足の社会、奪う愛の社会は、たとえて言えば、ほとんどの人が、病人のように、病院のベッドで治療を受けていて、「あそこが痛い。ここが痛い。もっとよい薬をくれ。もっと楽にしてくれ」と言っているような状態なのです。みんながそのように言っているのでは困ります。もっと医者や看護師を増やさなくてはいけませんし、薬ももっと出さなくてはいけません。
 したがって、自分のできるところから愛を与えていきましょう。人のためになることをしましょう。自分が幸福になりたいと言う前に、人を幸福にしようとしてごらんなさい。そういう人が増えたら、悩みは自動的に解決していくのです。(中略)まず、できることからやりなさい。人に対して、与える愛を実践することです。そこから道が開けるでしょう。
 与える愛を実践している人は、すでに幸福への第一歩に入っています。まず、毎日が楽しいでしょう。それから、人が喜ぶ姿を見て、自分もうれしいでしょう。人が喜ぶ姿、人が幸福になる姿を見て、自分も幸福になれるようになったら、すでに天国への第一歩に入っているのと同じです。そういう人が死後に天国へ行くのです。(中略)
 第一関門の愛の原理をマスターしただけでも、天国の門は充分に開きます。
 したがって、簡単なようで、非常に奥が深いのです。
(245~250ページ)

今日は、前回の基本教義の概要に続いて、大川隆法先生が、幸福の科学の基本教義の最初の原理である「愛の原理」について、やさしく説いておられる部分を、ご紹介してみました!

幸福の法―人間を幸福にする四つの原理

『幸福の法』

  大川隆法著


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前回、若いうちは、人間としての義務を果たすことをきっちりとやっておくことが大事だって、教えてもらったと思うよ。でも、そんなのって、いやだよね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『ストロング・マインド』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人生の前半においては、どちらかというと、その反対で、「義務からは逃れたい。責任は負わずに生きたい」と思う人のほうが多いのです。それは、子供たちの姿を見れば、よく分かります。
 「義務など背負いたくはない。責任など取りたくはない。しかし、権利は、いくらでも主張したい。親の言うことはきかないが、お金は欲しい」
 このようなことは、いくらでもあります。
 権利の主張は、いくらでもしますが、義務を負わせようとしたら、すぐに逃げ出します。家から出ていったり、突如として雄弁になったりします。「自分には、それをする義務がない。それは親がやるべきことであって、自分がすることではない」ということを雄弁に語るようになります。
 これは、ある意味での自己保存欲なのです。例えば、学校や塾などで、一生懸命、勉強させると、“頭のよい子”ができますが、そういう子は、自分の“頭のよさ”を使って、自分を護ろうとするのです。
 しかし、それは、動物的な意味での自己保存欲にほかなりません。生物体としての自分を護ろうとすることのみに、その知能を使えば、必ず、他の人のほうに、しわ寄せが来ることになります。そのように、他の人を責めたり、攻撃したり、非難したりする方向に、“頭のよさ”を使い始めると、人生は何かが狂ってくるのです。
 自分の子供が、その“頭のよさ”を、ずる賢さとして使ったり、自己弁護のために使ったり、義務や責任を逃れるために使ったりする傾向が出てきたら、それは、よいことではありません。
 「人生が、トータルで見て、よいものになるかどうか」ということは、そこにかかっているのです。したがって、「目先においては、それが、よいことのように思うかもしれないが、先行きとしては、実は、つらいことになるのだ」ということを、どうか知っておいてほしいし、子供にも、そのように言ってほしいのです。
(161~163ページ)

人生の前半においては、義務からは逃れたいが責任は負わずに生きたいと思う人のほうが多く、義務を負わせようとしたら家から出ていったり、突如、雄弁になったりする。

これは、動物的な意味での自己保存欲であるが、しかし、それでは人生は何かが狂ってくる。

目先においては、それがよいことのように思うかもしれないが、先行き、実はつらいことになることを、子供たちに伝えてほしい──。

人生の達人にしてマスターである大川隆法先生による、この叡知の言葉。

これを、一人でも多くの人に聞いてほしいものだと、改めて私は思っているのです。

ストロング・マインド (OR books)

『ストロング・マインド』

 大川隆法著


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信仰の奇跡なんていうけど、ほんとなの。そんなの、どうやって立証するのよ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『不滅の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 そこで、私は、さまざまな霊言現象等を通して、“天と地をつなぐ電話”の存在を示しています。最初は、私一人だけで行っていましたが、最近は、私の弟子たちも、ある程度できるようになってきつつあります。
 原理は、それほど難しいことではなく、「仏法真理を受け入れること」なのです。
 例えば、ガラス窓に曇りがあると、光が十分に射さなくなります。それと同じように、この世で生きている間に、心の窓には、いろいろな埃や曇りが付いてきますが、反省を通して、それらを取り除き、心の透明感を高めていけば、天上界からの光が入ってくるようになるのです。
 その具体的な例証としては、守護霊あるいは指導霊といわれる人たちが降りてきて、光を与えてくれたり、霊言現象を起こしたりすることが挙げられます。今、その実証を数多く行っているところなのです。(中略)たとえ一つでも二つでも三つでも、「霊的な現象が起きる」ということを示しさえすれば、「そういう世界はない」と断定する根拠は崩れ去ります。(中略)
 結局、霊的現象においては、数学のように必ず同じ答えが出るわけではありません。
 しかし、霊的な現象を否定する人も、その根拠は、それほど強いものではなく、意外に薄弱なものです。たいていは、「自分は見たことも聞いたこともない」という程度であり、あるいは、誰かが「見た」と言っても、「自分はその場に居合わせなかった」というようなことが根拠である場合が多いのです。(中略)
 しかし、一例でも二例でも、医者が「ギブアップです。これは、絶対に治らない不治の病であり、もう死ぬしかありません」と言った病気が実際に治ってしまったならば、(中略)否定する根拠が崩れ、「宗教で病気が治る」ということが立証されるわけです。
 例えば、二〇一一年御生誕祭での私の説法(本書第5章)終了後、会場では、末期ガンが治った信者の事例が上映されましたが、それは、「教学や反省を行い、精舎等で祈ったら、ガンが消滅した」という内容でした。
 また、最近、私が受けた報告でも、ガンや大動脈瘤、肺水腫、その他、いろいろな難病が治ったり、犬に咬まれてブラブラになっていた指が元に戻ったりするなど、不思議な事例が数多くありました。宗教も、ばかにしたものではありません。
 一件でも二件でも、三件でも四件でもよいのですが、「通常はありえないことが何件か実際にあった」ということだけで、「そういうものは存在しない。すべて嘘だ」と決めつける論拠は、ガラガラと音を立てて崩れていくのです。
 私が説いている「病気が治る法則」について、「そのようなものは法則として成り立たない」と言う人もいることでしょう。もちろん、この世のルールの中では、「百パーセント、すべての人の病気が治る」と言うのは、なかなか難しいことではありますが、「信仰で病気が治った」という事例が連綿と出続けたならば、やはり、「単なる例外現象ではない」と言えると思うのです。(中略)
 したがって、そういう事例が幾つか連続して出てくることが大事なのです。
(127~132ページ)

霊的な現象を否定する人も、たいていは、自分は見たことも聞いたこともないという程度で、その根拠は意外に薄弱なものにすぎない。

霊的現象においては、数学のように必ず同じ答えが出るわけではないが、一例でも二例でも、不治の病が実際に治ってしまったならば、否定する根拠がガラガラと音を立てて崩れていく。

信仰で病気が治った事例が連綿と出続けたならば、やはり、単なる例外現象ではないと言えるから、そういう事例が幾つか連続して出てくることが大事である──。

信仰によって病気が治る典型例として、幸福の科学の精舎で祈願を受けることで、実際にガンや心臓病を初めとする不治の病が突如として治ってしまう奇跡は、一例、二例どころか、特に最近、数多く耳にします。

近年の幸福の科学においては、信仰心の高まりとともに、まさに奇跡続出といってもよい状況になっているのではないでしょうか。

私自身も、ありがたいことに、小さいものですが精舎の祈願で家族の病気が治る奇跡を、何回か体験しています。

一人でも多くの方が、仏法真理を受け入れ、天上界が許されるのであれば奇跡を体験されて、より信仰を深めていかれることを、心より祈念したいと私は思っているのです。

不滅の法―宇宙時代への目覚め (OR books)

『不滅の法』

  大川隆法著


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グレイってさ、やっぱりいるんだろうって思うんだけど、でも、その正体は、結局なんなのよ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『グレイの正体に迫る──アブダクションから身を守る方法』(幸福の科学出版)で、面前に座る「グレイ」と呼ばれる宇宙人の魂を持った人から、グレイを呼び出して、質問者(D)との対話の形で、その言葉(霊言)を、次のように伝えておられます。

D── あなたには、魂というものはあるのですか。
グレイ ですから、あれなんですよ。要するに、人間的魂が宿っている人が、まあ、支配階級なんですよ。(中略)
 それで、(中略)もとの段階では、まだ魂が宿っていないものもいるんですよ。
D── え? どういう意味ですか。それは、「動物の魂も宿っていない」ということですか。
グレイ ええ。ですから、肉体的な姿をしていて、そういう機能は持っているんですけれども、魂の宿っていないものが一定の仕事をしていると、魂を授かるんですよ。
D── ちょっと待ってください。魂が宿っていないのに、どうして動くのですか。
グレイ それはね、なかに機械が入っているんですよ。
D── 機械が入っているんですか。
グレイ ええ。それで、実績をあげたら魂が宿ってくるんですよ。
D── それはサイボーグじゃないですか。
グレイ そうですかね。でも、肉は付いているんですよ。(中略)私は、そうではなくて、「神の使いだ」と思っているんですよ。
D── いやいや。あなたは、魂が入っているかもしれませんが……。(中略)あなたは、もともと、最初に生まれたときから魂があったわけですか。
グレイ うーん、私はですね……、でも、つくられたような気はしますね。やはりつくられたのかなあ。どこでつくられたのかなあ。(中略)
D── あなたもゼータB星ですか。
グレイ うーん、そうです。あそこは、いちばん大きな工場がある所なんです。
D── 「あそこ」というのは、ゼータ星ですか、ゼータB星ですか。どちらですか。
グレイ うーん、いや、ゼータ星とゼータB星は、別の星じゃないんです。
D── 同じ星なんですか。そこに工場があるんですね。(中略)神様がつくられた工場ですか。
グレイ そう。神様が、「いろいろな人をお助けするように、神の僕になって働くように」ということで、たくさんおつくりになられて、そして、仲間の方々に貸し与えられています。
D── なるほど。実は、サイボーグがつくられていたのはゼータ星なんです。
グレイ そうなんですか。そんなことを言う人がいるんですか。
D── ええ。「宇宙の法シリーズ」として最初に出た『「宇宙の法」入門』に出ています(同書第1章参照)。(中略)これを言ったのはゼータ星から来たエンリルです。
グレイ うわっ! そんな……。そうなんですか。
D── ええ。だから、百二十センチぐらいのサイボーグなんですね。
グレイ いや、サイボーグって、あなたね。
 例えば、背骨が人工の骨になっているぐらいのことは、小さなことじゃないですか。(中略)人類も創られたものでしょう?(中略)だから、みんな創られたものであり、被造物としては一緒なんですよ。
D── いや、これは、誰もが、ものすごく知りたいところだと思うのですが、「なぜ、機械に魂が宿るのか」ということです。
グレイ だからね、肉体を求めて、魂群が彷徨っているわけですよ。
D── はい、はい。
グレイ 私たちがたくさんつくられているので、まず、私たちにいったん宿って宇宙人の練習をして、それから、それぞれの適性に合った所に転生する可能性があるんですよね。
(39~46ページ)

グレイというのは、身長120センチぐらいのサイボーグであって、ゼータ星にある大きな工場で作られている。

最初は魂が宿っていないが、実績をあげれば魂が宿って、支配階級のグレイとなる。

サイボーグなのに魂が宿るのは、肉体を求め彷徨っている魂群があって、いったんグレイに宿って練習をして、それから適性に合ったところに転生していくから──。

なんとも不思議なふしぎな、宇宙の秘密が語られています。

ネットの世界では、捕獲されたグレイの動画映像が出回ったりしているのを見たことがありますが、本日の霊言に照らしてみれば、あれはやっぱり本物なんだろうなあ、と私は改めて思っているのです。

グレイの正体に迫る (OR books)

『グレイの正体に迫る』

 大川隆法著


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