もうこんなトシなのにさ、挫折しちゃったよ。まだ若かったら、立ち直ろうって気にもなるけど、もうどうしようもないよね? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『成功の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
たとえば、六十歳を過ぎて、自分が会社を定年退職する時期が来たとしましょう。「いまさら、何の人生の希望があるか」と思うでしょう。そして、若い人を見ては、「あのように若ければ、何でもできたのに。残念だけれども、もう、こんな年齢になってしまったので、何もできない」というように考えがちでしょう。
しかし、これについても逆発想は可能であると思うのです。つまり、「六十歳から青年をやってみる」ということでもよいはずです。「六十歳から青年をやって、何がいけないのか。定年退職したときこそ、第二の青年期の始まりである。青年がやるようなことをやってみたい」と、理想に燃えて生きるときに、その人は、ほんとうに青年のごとく、はつらつとなるのではないかと私は思うのです。
「常に高い目標を掲げ、常に新たな目標を掲げて生きている人にとっては、年齢は関係がない」と言えるのではないでしょうか。
また、中堅どころのサラリーマンが、左遷をされたり、降格をされたりすることもあるでしょう。それは人生の試練のときではありますが、「こういうときこそ、自分をいちばん磨いてくれているときである」と考えてもよいと思います。
暇なセクションに回されたときには、充電期だと思って、思い切り勉強することです。忙しいところに回されたのならば、期待に応えるべく、一生懸命に頑張ってみるべきです。(中略)
要は、それぞれの苦難、困難のなかにおいて、「自分の魂を光らせるために、いちばんよいことは何であるか。いちばんよい方法は、いったい何であるか」ということを考えつづける姿勢、態度を持っていることです。そういう姿勢を持っていればこそ、どのような所にあっても、立派に漕ぎきっていくことができるのです。
したがって、いま、困難のなかにあって、「にっちもさっちもいかない」と思っている人に、私は言いたいのです。「あなたは、その問題に対して、いったい幾つ解決案を考えましたか。自分は、『これしか方法がない。これで行き止まりだ』と思っているかもしれないけれども、それ以外の方法は、ほんとうにありませんか。それ以外の発想はありませんか」と。
実は、あるのではないでしょうか。それ以外の発想がありうるにもかかわらず、「それは常識に合致していない」とか、「それは他の人が反対するであろう」とか、「それは自信がない」とか、いろいろな理由をつけ、自分で選択肢を外して、狭めているのではありませんか。おそらく、そうであろうと思います。
問題が起きたときには、「それに関して、自分は幾つ発想をつくることができるか。そして、どの発想が、いちばんスマートに、いちばん効率よく、いちばん早く成果をあげることができるか」ということを研究してみることです。
このような研究を怠らなかった人は、やがて、他の人の人生の問題に対しても、快刀乱麻を断つがごとく、解決をつけていくことができるようになるのです。
(103~107ページ)
会社を定年退職する時期が来たとしても、常に高い目標、新たな目標を掲げ、理想に燃えて生きるならば、年齢に関係なく青年のごとくはつらつと生きることができる。
左遷されたり、降格されたとしても、こういうときこそ自分が磨かれるときだと考え、充電期だと思って、思い切り勉強することである。
要は、苦難困難のなかで、「自分の魂を光らせるために、いちばんよいことは何か。いちばんよい方法は何であるか」を考えつづける姿勢、態度を持っていることである──。
なるほど、なるほど、です。
大川隆法先生の説かれる仏法真理は、青年たちにとってはもちろんのこと、壮年や中年、シルバー世代の方にとっても、ほんとうに学びの宝庫だと、改めて私は思っているのです。
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『成功の法』
大川隆法著
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