神様にしっかり祈りさえすれば、願いは必ずかなうものなのかな? そして、自分の願いが実現すれば、それで本当に幸せなのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『黄金の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
正しい自己実現の基準とは、次に挙げる三カ条を満たしたものです。
一 その自己実現によって、自分だけでなく、周りの人々、世の人々をも幸せにできるか。
二 その自己実現が達成されることによって、他人を不幸にすることはないか。
三 その自己実現達成によって、自らの人格を高めることができるか。
以上の三点を満たすとき、その願いは正しい願いであり、その祈りは正しい祈りだと言うことができます。
強い念願、祈願に対しては、その種類、内容を間わず、四次元以降の実在界で、必ず感応する霊たちがおります。しかし、他人の不幸をかえりみず、自我我欲のままに祈りぱかりをやっていると、やがて、その祈りは、地獄の亡者たちに通じてしまうのです。ですから、一時期、運が好転したかに見えても、必ず地獄霊の憑依によって、なすがままの状態におかれ、病気、事業の失敗、人生のゆきづまりなどの不幸に追い込まれてしまいます。
祈りには、病気回復の祈りなどもあるでしょう。しかし、これとても、自らの過去の過ちを仏に詫び、十分に反省をし、お世話になった自分の周りの人々に感謝をしながら祈らないと、肉体さえ治れば、自分は幸せになるんだという執着となり、ますます地獄霊に憑依されて、どんどん病気が重くなっていってしまうでしょう。こういうことは、実際に、よくあることなのです。
(38~39ページ)
三カ条からなる、正しい自己実現の基準がある。
強い祈願に対しては、その種類、内容を間わず、四次元以降の実在界で感応する霊たちが必ずいる。
そして、正しくない祈りぱかりやっていると、その祈りは地獄の亡者たちに通じてしまい、不幸に追い込まれてしまう──。
どれだけ神仏を信じてるつもりであっても、だからといって、なんでもかんでも自我我欲のままに祈ってばかりではいけないってことなんだと思います。
“あるべき信仰心”とかいう話は、むずかしく感じる人も多いと思います。
でも、「正しい祈りのしかた」。
これだったら、むずかしいこと考えなくても、誰もが自分の問題として捉えて実践できる気がします。
そう考えてみると、今日ご紹介したのは、じつはちょっと凄いお教えなんじゃないかと、私は思っているのです。
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『黄金の法』
大川隆法著 |
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