ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



法律の勉強が必要なんて言う人がいるけど、宗教者に法律なんて、関係ないでしょ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「特定秘密保護法」をどう考えるべきか』――藤木英雄・元東大法学部教授の緊急スピリチュアルメッセージ(幸福の科学出版)で、藤木英雄・元東大法学部教授の霊の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 いやあ、意外にねえ、「刑法」を知りたかったら、「宗教」を勉強しなきゃ駄目だよ。やっぱり、善悪のもとは「宗教」ですよ。つまり、「宗教」が分からないと、「刑法」は無理です。刑法で善悪を決めても、恣意的に流れますので。
 だから、「人間の多数決だけで決めればいい。それで善悪が決まる」という考えは間違いです。こういう「機械的に数が多ければ、過半数を超える人が支持したものは正しくて、少数は間違い」ということはないですよ。歴史を見れば、そんなことは全然ないです。正反対なんか、いくらでもある。少数者のほうが正しいことなんか、いくらでもある。正しい人が一人しかいないことなんか、いくらでもある。
 ソクラテスは、「悪法でも法だ」と言って、要するに、毒杯を仰いで死んだんでしょうけども、あれは、「神を冒涜する罪」「青年を惑わす罪」ということで、当時の刑法でしょうが、「神を冒涜する罪」というよりは、イエスと同じでしょうね。(中略)
 だから、「正義というのは、この世的な常識と、多数決だけでは決まらないものだ」ということで、やっぱり宗教は大事ですよ。根本的には、そこまでたどらないとね。「宗教」あるいは「哲学の根本」まで行かないと、「法の淵源」にあるもの、「根源」にあるもののところまで探究しないと、駄目です。
 だから、宗教系の大学が、そういう法律や刑法とかをやることは、非常に大事なことですよ。(中略)
 だから、「なぜなのか。なぜ正しいのか。なぜ間違っているのか。これがなぜ間違いとされるのか。これはなぜ正しいのか」ということです。(中略)
 善悪といっても、総合的な判断もあるけども、その奥にあるのは、道徳的なものだし、道徳律と倫理の奥にあるものは、最終的には宗教だし、哲学です。まあ、「宗教と哲学はどちらが上か」という争いはあるのかもしれないけども、現代の哲学は、やっぱり駄目ですから。
 ただ、昔の哲学は、宗教に代替できるようなものだったのかもしれないけども、現代の哲学は数学の親戚みたいになっている。これじゃ、善悪は、全然、分かりませんね。「記号論理学」みたいになっているから、これじゃ、もう分からない。
 やっぱり、私は、「宗教家が法律をやる」というのは、実にいいことだと思いますね。これをやらなければいけない。本当は宗教家の意見が要るんですよ。
(110~114ページ)

善悪のもとは「宗教」であるから、「刑法」を知りたかったら「宗教」を勉強しなくてはならない。

少数者のほうが正しいことはいくらでもあって、人間の多数決で善悪が決まるという考えは間違いである。

だから、法律の研究には本当は宗教家の意見が要るのであって、宗教系の大学が法律を扱うのは非常に大事なことである――。

天上界に還った刑法学者である藤木先生は、刑法を勉強するには、宗教も勉強しなくてはならないし、だからこそ、宗教家が刑法や法律を講じるのは、とてもいいことだと考えておられるようです。

要は、正義であるとか、ものごとの善悪というのは、宗教から離れては本当に明らかにすることはできない、ということではないかと思えます。

2015年に開学された「ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ(HSU)」には、法学部というのはありませんが、翌年に創設された未来創造学部が、その流れをくむ学部とされているようです。

将来的には、ここでもっと専門的に法律を勉強できるようになることを期待しつつ。

今日のところは、いま法律を勉強しているみなさんや、法律を使った仕事をしているみなさんに、宗教を学ぶことの大切さをお伝えすることができたらと、改めて私は思っているのです。
 

『「特定秘密保護法」をどう考えるべきか』

 大川隆法著


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