八月号だからか、他にも、
「桑の実を含めば焼夷弾の空 池添怜子」
「疎開の記憶は車窓の白ハンカチ 遠藤玲子」
があった。ゆるぎない恐さを放って詠まれた戦争体験者の実録である。第二次世界大戦の終戦は昭和20年。そのたった8年後に私は生まれ、物心がついた頃には平和であった。その年月を不思議に思うことがある。伝え聞く戦争は、もっともっと遠い昔のような感覚がいつもある。そして思う。直接、伝え聞くことが出来る世代であることの責任のようなものを・・・。「防空壕」「焼夷弾」「疎開」。知らなければならない戦争。もう未来永劫あってはならない戦争なのである。(博子)
「桑の実を含めば焼夷弾の空 池添怜子」
「疎開の記憶は車窓の白ハンカチ 遠藤玲子」
があった。ゆるぎない恐さを放って詠まれた戦争体験者の実録である。第二次世界大戦の終戦は昭和20年。そのたった8年後に私は生まれ、物心がついた頃には平和であった。その年月を不思議に思うことがある。伝え聞く戦争は、もっともっと遠い昔のような感覚がいつもある。そして思う。直接、伝え聞くことが出来る世代であることの責任のようなものを・・・。「防空壕」「焼夷弾」「疎開」。知らなければならない戦争。もう未来永劫あってはならない戦争なのである。(博子)