「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

虫の音にほどかれてゆく楡大樹 石母田星人

2019-11-06 19:42:06 | 日記
楡(にれ)は本当に大きな樹だ。写真集や雑誌やカタログなどにその姿は空を背景に写し取られ、すっくと美しいが、真っ直ぐなはずの樹形は「ほどかれてゆく」と、現在はもつれているのだがその姿は想像できない。それは本来の姿ではないと読めばいいのだろうか。自然災害の跡形だろうか・・・、今は「一本」という真っ直ぐを失っている状態にある楡は作者の心の象徴としてあるのだろうか。私にとって楡は、人の機微を受け止めてくれるようなイメージがある。例えば中原中也の「木陰」の一節「神社の鳥居が光をうけて/楡の葉が小さく揺すれる。/夏の昼の青々した木陰は/私の後悔を宥めてくれる」などを思い出す。だが「楡」という漢字のつくりの部分は「くりぬく」という意味を持つ舟と刀から成り立っていて、木の芯が朽ちやすいため、このような漢字を書くようになったそうであるから、芯を心と置き換えれば決して強くはないありようを思ったりした。楡には虫の音が心地よく聞こえているのだろう。真っ暗な野原に鳴く虫は、ギリシャ神話の「オルフェウスとニレの木」で、妻を亡くしたオルフェウスが悲しみを和らげようと奏でる竪琴のように優しく、楡に寄り添っているのかもしれない。(博子)