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しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

源義経対平知盛像

2021年06月10日 | 銅像の人
場所・山口県下関市みもすそ川町   みもすそ川公園
建立・2004年(平成16年)


敗戦を悟った平知盛が、碇の綱を体に巻きつけて入水しようとする「碇潜」(いかりかずき)と、
敵の攻撃を華麗にかわす義経の「八艘飛び」のシーン。

宙に舞う義経の甲冑や、怒れる知盛の表情など、見どころ満載な銅像である。

「日本の銅像完全名鑑」







 
平知盛


見るべきほどのことは見つ

午後3時、関門海峡の潮の流れが変わった。
朝のうち、平家方有利のちに展開していた戦いは、これを境に一変する。
潮に乗って疾風のように寄せる源氏の白旗。
今や平家の敗色は明らかであった。

新中納言知盛の卿、小舟に乗って御所の御船に参り、
「世のな中、今はかうと見えて候。
見苦しからむ物ども、みな海へ入れさせたまへ」とて、
艫(ともへ)に走り回り、掃いたり、拭うたり、塵拾ひ、手づから掃除せられけり。
女房たち、
「中納言殿、戦はいかにやいかに」と口々に問ひたまえば、
「珍しき東男をこそ、御覧ぜられ候はむずらめ」とて、からからと笑ひたまえば、
「何でふのただいまの戯れぞや」とて、声々にをめき叫びたまひけり。

・・・

新中納言、
「見るべきほどのことは見つ、今は自害せむ」とて、(略)
中納言に鎧二領着せ奉り、がわ身も鎧二領着て、手を取り組んで、海へぞ入りにける。



『平家物語』巻11 先帝身投


宇治橋の合戦で、『平家物語』にはなばなしく登場した平知盛の事績は、壇ノ浦までまずか5年間にすぎない。
源平興亡の5年間を激しく生き抜いた知盛、
そして「見るべきほどのことは見つ」と叫び、関門のうず潮にのみこまれていった知盛、
この時、新中納言知盛、34歳であった。







平家滅亡

一ノ谷、屋島と、源氏に敗れた平家は、本州の最西端長門へ本拠を移した。
文治元年(1185)3月23日、長門の満珠島、干珠島の周辺は、源氏の水軍で埋まっていた。

平家は正面から戦いをいどむべく、本拠地彦島を捨てて、全船団を田ノ浦へと進めた。
源氏の軍までわずか4kmである。
安徳天皇、建礼門院はじめ、一門の女房たちが乗った唐船も、戦場へと向かった。
平家のこの戦いにかける覚悟が知られる。

『平家物語』によれば、平家随一の武将能登守教経は,数多の敵を射落とし、
義経をあと一歩まで追いつめたが逃がし、今は最後と、
源氏の兵を小わきに身を海に躍らせた。

教経に先だち、清盛の妻二位尼も、これまでと、
幼い帝を抱いて身を投じる。
建礼門院も、わが子の最後を見て海中へ。
そして多くの女房、武将が次々と海中に沈んでいった。
清盛の四男知盛は、すべての戦況を見定めたのち、鎧二領を重石がわりに、海に沈んだ。
ながて主を失った舟ばかりが、波に漂い、流れていったという。


平家滅亡のあとも、源氏の落ち武者狩りはきびしかった。
それとともに、平家ゆかりの人々は山深く散っていった。
今も平家を名のる土地は多い。


「日本史探訪6」角川書店編 角川文庫  昭和59年発行 










「日本史探訪6」角川書店編 角川文庫  昭和59年発行 
司馬遼太郎

源義経


司馬
義経というのは、まったく史上まれにみる軍事的天才です。
たとえば、
馬に乗った人間--つまり騎兵を騎兵として使った、世界史上、最初の人物といっていいですね。



壇ノ浦
源平両軍は壇ノ浦に集結し、最後の決戦に臨む。
『吾妻鏡』では源氏840余艘、平家500余艘。
『平家物語』は、源氏3.000余艘、平家1.000余艘に唐船少々としている。
戦闘開始は午前6時、平家側から。
午前8時半ごろ潮は東に流れ始めた。
午前11時半過ぎ、潮はもっとも早くなった。
源氏は追われる身となって後退の一途をたどる。
もはや勝敗は決するかに思われたが、
潮の流れは逆流をはじめたのである。
午後3時半ごろであった。≫


司馬
それまでの、普通、偉い人というのは階級や官位が高いことだったんです。
ところがそのときの義経というのは、官位はなしでしょ。源九郎というだけです。
それがある朝、目がさめれば、源義経というのは京都じゅうの子供まで知っているというような状態になる。


「おごれる人も久しからず、
ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者もつひには滅びぬ、
ひとへに風の前の塵に同じ。」
『平家物語』


司馬
義経は、ついには頼朝に追われ、奥州で最期を遂げるわけですが、
この悲劇というのは、結局、義経みずからが招いた罪だということも言えますね。




撮影日・2015年2月20日



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