しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「母子三人像」

2022年08月09日 | 銅像の人

場所・広島県福山市霞町 中央公園


「母子三人像」

空襲の翌日、住吉町の田んぼの中で、母親が赤ん坊を抱き、あと一人の子どもを脇にして亡くなっているのが見つかりました。
三人は池田ユキ子・進一・敏子の親子で、夫の虎夫は出征中でした。
昭和47年に福山空襲の惨禍を後世に伝えるためのシンボルとして製作された「母子三人像」は、この親子の姿を刻んだものです。





「福山の歴史(下巻)」 村上正名  歴史図書社  昭和53年発行

福山大空襲

追憶はなつかしい。
でもこのことだけは時がたつに従って暗い淋しい気持ちに追いやられてゆく。
昭和20年8月8日、この日の夜は忘れられない。
炎炎と燃えさかる城下町の明るい光に、くっきりと浮く白亜の五層の天守閣、
家に降りくる焼夷弾を一つ一つ消すごとに仰ぐひとみに力強く、たのもしく、また美しく映じて、
城はまだ落ちないぞ、屋根に散る松葉にもえうつる火の粉を、水をまきつつ防ぎ、ほっと一息二階の窓に、
赤く炎を映じた天守を仰いだ瞬間、ごうごうとひびく九機編隊のB29が上空を過ぎていった。

撮影日・2022年5月14日

 

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