しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「若鷲の歌」

2021年08月14日 | 昭和の歌・映画・ドラマ
若鷲の歌は、まちがいなく当時の少年たちを大空へ駆り立てるほどの影響があったに違いない。
予科練にいったおじは
「まだ子供じゃった。入ったら隔離された塀の中で教育される。
世間の事はまったくわからない」と言っていた。
純な少年を”命惜しまぬ”少年に変えるのは、国家にとってたやすいことだったようだ。


「わが人生の歌がたり」  五木寛之  角川書店 平成19年発行

予科練の歌
私たちのような子どもでも『予科練の歌』などを聴いているうちに、いつのまにか自分たちも一日も早く少年飛行兵になりたいと考えるようになりました。
『予科練の歌』は「七つボタンは桜に錨」と勇壮ないい歌ですが、ただ元気がいいだけではなく、叙情的でセンチメンタルなところがあって、大衆の心の琴線に触れるのです。
そんなことで、国民の思想が無意識のうちにどんどん戦争の方へ向いていく。
歌の持つ力は大きいものだとつくづく思います。




(おじ=母の弟=松山予科練)



「戦争が遺した歌」 長田暁二 全音楽譜出版社 2015年発行

若鷲の歌(予科練の歌)
太平洋戦争の戦局が不利に傾き始めた昭和18年、海軍は航空隊甲種予科練習兵(通称・ヨカレン)の大募集を始めた。
戦意昴揚映画「決戦の大空へ」、その主題歌「予科練の歌」として親しまれ18年9月コロンビアから霧島昇、波平暁男の歌唱で発売した。
作曲は古関裕而で「露営の歌」「暁に祈る」とともに、古関の3大名作軍歌のひとつにあげられている。
制服が7つ釦になったのは昭和17年からで、戦後までに20万人以上の飛行兵を養成し巣立っていった。
西條は「ぼくは流行歌、軍歌の如き歌謡は、芸術品でなくとも、これらは百万人の人間を動かす力があるのだ。
そういう点で男子一生を賭ける仕事として価値がると信じたのだ」と書いている。





「昭和の戦時歌謡物語」 塩澤実信  展望社 2012年発行

若者を駆り立てた「若鷲の歌」

「若鷲の歌」は、戦時下に生まれた五指に入る傑作歌謡だった。
西条八十、古関裕而が霞ケ浦航空隊に一日入団の体験を生かしてつくったもの。

映画とその主題歌に刺激されて、甲種飛行予科練習生を志願する中学生が激増した。

若鷲の歌

若い血潮の 予科練の
七つボタンは 桜に錨
今日も飛ぶ飛ぶ 霞ヶ浦にゃ
でっかい希望の 雲が湧く

燃える元気な 予科練の
腕はくろがね 心は火玉
さっと巣立てば 荒海越えて
行くぞ敵陣 なぐり込み

仰ぐ先輩 予科練の
手柄聞くたび 血潮が疼く
ぐんと練れ練れ 攻撃精神
大和魂にゃ 敵はない

生命惜しまぬ 予科練の
意気の翼は 勝利の翼
見事轟沈した 敵艦を
母へ写真で 送りたい






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