しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「生きている兵隊」③その後

2020年05月19日 | 盧溝橋事件と歩兵10連隊(台児荘~漢口)
「戦争と検閲」河原理子著 2015年発行 岩波新書 より転記する。

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1937年~1938年の曲がり角
いまふりかえると、「生きている兵隊」事件は、日本の曲がり角で起きた。
日中全面戦争を機に、さまざまな統制が一気に強められる渦中に起きた。
中央公論3月号に「生きている兵隊」発禁処分と、「国家総動員法」の記事とが載っていた。

1938年武漢へ再従軍
執行猶予付き有罪判決後すぐ、中央公論社の特派員として再従軍。
武漢攻略戦を取材した。(1938.9.12~11.20)
今度は注意深く書き、作家としての命脈をつないだ。

1942年シンガポールへ
海軍報道班としてベトナム、シンガポールへ渡った。
短編を発表したが印象に残る作品でなかった。


高見順「敗戦日記」
昭和20年9月30日
マッカーサー司令部が新聞並びに言論の自由に対する新措置の指令を下した。
 これでもう何でも自由に書けるのである!
 これでもう何でも自由に出版できるのである!
生まれて初めての自由!
 自国の政府により当然国民に与えられるべきであった自由が与えられずに、自国を占領した他国の軍隊によって初めて自由が与えられるとは、
--かえりみて羞恥の感なきを得ない。


「生きている兵隊」発行
昭和20年秋、河出書房から発行が決まる
初めて一般の人たちの目に触れることになった。
「部隊」は、大隊や小隊等になった。
抜けていた文字、兵や死体も直された。
伏字は埋められた。

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