しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

尊徳先生とお別れ (金次郎像その4)

2015年01月30日 | 昭和21年~25年
山陽新聞の前身、合同新聞の記事。
新聞社が戦争体制を支え、加担した一端が読み取れる。


以下全文、
”岡山県における二宮金次郎像の実態調査 森元辰昭”借用



昭和16年10月29日合同新聞
尊徳先生とお別れ
銅像供出の「金次郎像」阿哲郡新見町思誠国民学校



わが国を挙って一億一心”勝たねばならぬ戦ひ”のために臨戦体制は一層強化されつつある。

視よ、
ここに1500の学童たちから日々”僕たちの二宮金次郎先生”と親しみ懐かしまれ、
無言のうちに教訓を説く尊徳二宮金次郎先生の銅像も金属動員令に率先して勇躍応召することになったのである。

純真と崇拝のこころをもって”僕らの金次郎先生”と仰ぎ、
つねに敬服と感謝の念を捧げてきたものだけに、この度の意義深い献納は、より深い時局への認識と強い感動を学童の胸に与えるものがある。

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