みさごの夫婦愛のような句。
芭蕉と曾良の旅は、酒田と象潟で佳境を超えた。
以後も越後・越中・加賀・越前へと旅をつづける。
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「日本の古典11松尾芭蕉」 山本健吉 世界文化社 1975年発行
波こえぬ契りありてやみさごの巣 曽良
象潟の九十九島の中に鶚(みさご)島という名の島があって、
岩上にみさごの巣がかかっていた。
鶚は、雌雄の仲が睦じい鳥といわれている。
それが高い岩上に巣を作っているのは、波も越えることのできない夫婦の堅い契があってのことだろうか、
といったのである。
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旅の場所・秋田県にかほ市象潟町象潟島 蚶満寺
旅の日・2022年7月11日
書名・奥の細道
原作者・松尾芭蕉
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「日本の古典11松尾芭蕉」 山本健吉 世界文化社 1975年発行
象潟は由利郡象潟町にかつてあった潟湖である。
文化元年(一八〇四)の地震で地面がもりあがり、緑の景観はなくなった。
昔九十九島といわれた島はほぼ残っていて、 昔の湯は水田になっている。
五月雨の季節に田に水をはって早苗を植えるころ昔の景観のいくぶんをとり戻す。
世の中はかくてもへけり象潟や あまの苫屋を我が宿にして 能因法師 (後拾遺集)
さすらふる我が身にしあれば象潟や あまのとまやにあまたたび寝む 藤原顕仲 (新古今集)
象潟の桜は波に埋もれて 花の上こぐの蜑(あま)の釣舟 宗祇(名所方角抄)
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「芭蕉物語(中)」 麻生磯次 新潮社 昭和50年発行
二十日も二十一日も快晴であった。三日に亘って続いた芭蕉、不玉、曽良の三吟歌仙はようやく完了した。
二十三日は近江屋三郎兵衛宅に招待された。
近江屋は本町二丁目に住み、三十六人衆の一人で裕福な商人であった。
俳諧の嗜みもあり、俳号を玉志といった。招待されたのは芭蕉、曽良、不玉の三人で、
納涼の興に真桑瓜が出された。
「皆さんに句を作っていただきます。もし句のできないものは、瓜は召しあがれません」
とにかくたいへんなごやかな夜会であった。
二十五日にいよいよ酒田を出発することになった。
最上川の河口にある船に乗る渡し橋まで人々が見送りに来た。
不玉父子、徳左衛門、四郎右衛門、不白、近江屋三郎兵衛、加賀屋藤右衛門(任暁)、宮部弥三郎などであった。
酒田の滞在は象潟の三日を挟んで、六月十三日から二十五日に及んでいる。
不玉をはじめとして、道志など土地のおも立った俳人や富豪などと交歓し、かなり楽しくすごすことができた。
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