しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

松根油作戦

2019年06月24日 | 昭和20年(終戦まで)

昭和史7太平洋戦争(後期)研秀出版 平成7年発行より転記③

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太平洋戦争が末期的症状を呈しはじめた昭和19年秋から、全国津々浦々で松の根っこ堀り風景が展開した。
代用航空機燃料として見直された松根油(しょうこんゆ)を緊急に増産するためだった。
 昭和19年に入ると日本の石油保有は底をついてきた。南方占領地にはあり余る産油が確保されていたが、制海・制空権を失い、米潜水艦で油送船はかたっぱしから沈められていた。
この年後半には海上輸送は完全に崩壊、軍需生産はマヒ状態になり、特に石油関係の燃料問題は深刻だった。
軍は代用航空機燃料さがしに躍起となった。
砂糖を原料とするエチルアルコールの生産が、全国酒造工場を動員して行われたが砂糖も南方から入手できなくなった。
 そこで純国産原料、松の古根株から乾留してとれる松根油が登場した。
昭和19年10月23日、「松根油緊急増産・・要綱」が決定され、直ちに全国へ指示された。
農業団体を主体に、必要とあれば学徒、非農家も動員して、総力をあげて松根油を増産することとなった。
昭和20年6月、目標30万キロリットルの松根油生産が達成された。しかし、折角の松根油も、精製装置も、連日の米軍の本土空襲で次々と炎上し、結局日本の飛行機に使用されるまでに終戦となった。
 全国各地にわずかに残った松根油は、漁船の焼玉エンジンの燃料として、終戦後の食糧補給に一役かうことになったのである。


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日本海軍、レーダーに完封される

2019年06月24日 | 昭和16年~19年
日本海軍、レーダーに完封される

昭和史7太平洋戦争(後期)研秀出版 平成7年発行より転記②

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日本海軍の伝統戦法は夜戦であった。
日清・日露の戦役でも、夜戦によって大きな戦果をあげた。
海上戦においては、如何にして早く敵艦影を発見するかに勝負がかかっていた。
日本海軍では、見張り,特に夜間遠距離にある敵影を発見する見張りの猛訓練を続けた。
その結果、
見張り員たちは暗夜8000から10.000m先の艦影を発見できるという抜群の能力をもつことができた。
しかし、
日本海軍18番の夜戦が完封される日がきた。
昭和17年11月、ガダルカナル沖サボ島14km付近を航行中、暗黒の海面に艦影を発見、敵か味方か判断しようとした一瞬、猛烈な一斉砲撃を受けた。
敵艦隊は探照灯による照射も行わず、正確な命中弾を集中してきた。
敵はレーダーによって我が艦隊を先に発見、さらにレーダーにより遠距離から正確な無照射射撃を行った。
以後、
日本海軍の夜戦は完封されたのである。

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VT信管

2019年06月24日 | 昭和16年~19年

昭和史7太平洋戦争(後期)研秀出版 平成7年発行より転記①

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昭和史対談 阿川弘之 秦郁彦

秦 
日本の高射砲が当たらないんですよね。陸軍も海軍も。
ところがアメリカ海軍の高角砲はよく当たる。
とくにVT信管ができてくると、命中しなくても近くを通っただけで日本機がどんどん落とされる。
阿川
館山の砲術学校が、何発に一発命中するものか、数理的に計算してみると、だいたい4.000発に1発という答えが出た。
VT信管は一種の感応信管で、ある程度の距離を通れば自然に爆破する、非常に有効な、革命的なものです。
アメリカは極秘中の極秘にしてイギリスにも渡さなかった。

敗けたのは、
原爆、暗号解読、レーダー、もうひとつVT信管ですね。
阿川
アメリカ側ではVT信管だったと言ってる人があります。

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