昭和史7太平洋戦争(後期)研秀出版 平成7年発行より転記③
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太平洋戦争が末期的症状を呈しはじめた昭和19年秋から、全国津々浦々で松の根っこ堀り風景が展開した。
代用航空機燃料として見直された松根油(しょうこんゆ)を緊急に増産するためだった。
昭和19年に入ると日本の石油保有は底をついてきた。南方占領地にはあり余る産油が確保されていたが、制海・制空権を失い、米潜水艦で油送船はかたっぱしから沈められていた。
この年後半には海上輸送は完全に崩壊、軍需生産はマヒ状態になり、特に石油関係の燃料問題は深刻だった。
軍は代用航空機燃料さがしに躍起となった。
砂糖を原料とするエチルアルコールの生産が、全国酒造工場を動員して行われたが砂糖も南方から入手できなくなった。
そこで純国産原料、松の古根株から乾留してとれる松根油が登場した。
昭和19年10月23日、「松根油緊急増産・・要綱」が決定され、直ちに全国へ指示された。
農業団体を主体に、必要とあれば学徒、非農家も動員して、総力をあげて松根油を増産することとなった。
昭和20年6月、目標30万キロリットルの松根油生産が達成された。しかし、折角の松根油も、精製装置も、連日の米軍の本土空襲で次々と炎上し、結局日本の飛行機に使用されるまでに終戦となった。
全国各地にわずかに残った松根油は、漁船の焼玉エンジンの燃料として、終戦後の食糧補給に一役かうことになったのである。