しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

陽明丸とシベリア出兵⑥「シベリア出兵」より・・・1

2019年06月20日 | 大正
「シベリア出兵」麻田雅文著 2016年発行・中公新書  より転記①

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司馬遼太郎のシベリア出兵の評価は手厳しい。

前代未聞の瀆武(とくぶ)といえる。
理由もなく他国に押し入り、その国の領土を占領し、その国のひとびとを殺傷するなどというのは、まともな国のやることだろうか。
当時の日本にも言い分がないとはいえない。
日本は日露戦争のあと、ロシアの報復を恐れた。
このおびえが、帝政の自壊をさいわい無名の師をおこした、といえる。
ばかばかしい話だが。
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瀆武(とくぶ)とは、道理を外れた戦争で武威を汚すことである。
「無名の師」とは、大義名分無き戦争のことで、」後世の歴史家たちがシベリア出兵を断罪する際の常套句だ。
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司馬に言わせれば、日本のシベリア出兵は、ロシアという「恐怖心の当の相手が、やや引っ込んだように見えたから出ていった」、「実に恥ずかしい、いかがわしい」ことにはかならなかった。
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さらに司馬は、この戦争が日本の一つの転機になったことを、こう説明する。
「日本がましな国だったのは、日露戦争までだった。
とくに大正7年のシベリア出兵からはキツネに酒を飲ませて馬にのせたような国になり、太平洋戦争の敗戦でキツネの幻想は潰えた。

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