


カエルの写真🐸花々、春の訪れにピッタリですね。
東洋大学校友会120周年記念誌に、現在の校友会神田会長が「耕不倦」という寄稿していました。
今に通じる示唆に富んだ内容なので、以下全文を掲載させていただきます。
-------------------
学祖に学ぶ「耕不倦」
神田雄一東洋大学副学長
-------------------
常に活気に満ちていた川越キャンパス〜平成26年を以って東洋大学校友会が創設120周年を迎えられたこと、心よりお慶び申し上げます。
東洋大学が平成24年に125周年を迎えたことを考えると、校友会の歴史の重さとその存在意義を感ぜずにはいられません。
筆者が東洋大学工学部の門をくぐった昭和40年は、その前年に東海道新幹線の開通と東京オリンピックの開催と
いう一大イベントを終えた年で、日本が世界への進出を表象した年でもある。
それに先立つ昭和36年に、工学部は川越の地に設立された。わが国も高度成長へ向けてその活動に拍車をかけよ
うとした時であり、その中心となるべく機械産業への期待の大きさ故に、大学の理工系学部の設置が他大学でも進み、その志を理系学部に向けた受験生が多かった。
その中にあって東洋大学工学部は、「産学協同システムによる教育」という特異な技術者教育を目指した大学であった。
入学当時はその何たるかを理解せずに入学し、卒業後に改めてその重要性を認識した次第である。
井上円了先生は、「奮闘哲学」の中で、「向上門」と「向下門」という言葉を用いて、哲学すること(学問すること)の目的は、向上すること(真理を探究すること)である。
向上することは何のためかと問われれば、それは向下せんため(社会に役立つため)なり、と述べておられる。
このことはまさに理・工学の本質であり、工学部が「産学協同システムによる教育」を標榜したことは、大変理にかなったことと言えるであろう。
さて、在学中の川越キャンパスについて触れると、当時の川越キャンバスは、武蔵野の面影を色濃く残しており、春は黄塵が舞い、冬は10センチ近くもある霜柱を踏みながら、畑の中を通学した記憶がある。通学時に、特に印象に残っている風景としては、夕焼けにくっきりと浮かび上がった冬富士を背景に、人間川橋梁を渡る9600型蒸気機関車の姿である。
大学のなかは、常に活気に満ちていた。当時の初代工学部長大越諄教授を中心に、学共々新たな川越の理念を生
み出そうと努力しており、黎明期に見られる活気に満ち溢れていた。
時代は昭和元禄を迎えた時であったが、いわゆる大学紛争も次第に厳しさを増しており、在学当時は産学協同に対する誤った見方をする一部学生によって、批判の声もあがった。しかしながら、先生方の信念と多くの学生の支持により産学協同の思想は理解されており、白山キャンパス
における紛争とは多少趣を異にしていたと思われる。理工学の分野においては、大学と産業界の協働は当然のことであり、これからも大きな成果を期待したい。
工学部においては、各学科ともわが国産業界をリードするそうそうたる教授陣が教鞭をとっておられた。やはり大越教授や成瀬教授のご経験を踏まえた格調高い講義は、今でも忘れられない。また、諸外国からも一流の教授陣が来校され、特別講義なども行われたが、国内からもその特別講義を聴きに多数の聴講者が集まった。このようなことを催すことができる工学部を誇らしくも感じた。
工学部では産学協同による教育システムにより、3年次の夏と4年次になる春休み期間に、それぞれ2〜3週間の学外実習が必修科目として課せられていた。
〈卒業生は最大のステークホルダー〉
筆者は3年次の夏休みに、工業技術院機械試験所(現産業総合研究所)で切削関係の研究の手伝いをした。ここでの経験が極めて印象深く、その後のわが道を決めたといっても過言ではない。学部を卒業して、大学院で恩師上
原邦雄教授の下で切削加工の研究を継続し、その後、民間の研究機関で生産技術に関する仕事をした後、緑あって母校の教員として奉職し、現在に至っている。自ら学んだ学び舎で、後輩の指導をすることは大きな喜びでもあるが、同時に大きな責任をも感じている。
教員として大学運営にも関わる昨今であるが、大学として卒業生に対する関わり合いをもっと深めなければならないと、日ごろから感じている。
卒業生は大学にとって、とりわけ私立大学にとっては、最も大きなステークホルダーといっても過言ではない。にもかかわらず、大学が卒業生あるいは同窓会に対して、十分な対応がなされていないことや、卒業生の大学への帰属意識が他大学に比して希薄なとが悔やまれる。
〈今、求められる卒業生の奮闘努力〉
工学部では、各学科の同窓会は存在するものの、その活動には当然ながら差があり、大きな力とはなり得ていな
かった。そこで、当時の米山正秀工学部長の工学部サバイバル戦略の一環として、同窓会組織の強化が挙げられ、平成18年に各学科の同窓会組織を束ねた「川越キャンパス連合育成会」が発足した。
校友会は、卒業生に対する活動もさることながら、在校生に対する寄附講座の実施など、様々な活動を継続して展開されたことに対して、関係各位のご努力に敬意を表したい。
同窓会組織のひとつのモデルとして、母校への誇りを、さらに醸成させて欲しいと願っている。
平成24年、東洋大学は125周年を迎え、その式典において、竹村牧男学長は未来宣言として、次のように述べられた。
「東洋大学は、125年の歳月をかけ、創立時の哲学館から今日この日を迎えた東洋大学へと大きく変わることができました。⋯⋯(中略)⋯私たちは未来に向けてここに宣言します。
東洋大学は、「哲学すること」の教授を根本として、世界標準の教育・研究・社会貢献活動を推進するのみならず、国際的に優れた水準の大学の実現を目指し、役員・教員・職員・学生のすべてが一体となって、卒業生ともども奮闘努力してまいります。
今日、未来へ旅立つこの日を胸に刻み、創立者・井上円了先生の崇高な理想を次世代へと届けることを喜びに、地球社会の未来に貢献する大学の確立を求めて、私たちの手で新しい歴史を創出し、進化し続けていくことを誓います」。
〈「耕不倦」(耕して優ます)〉
この宣言にあるように、我々卒業生には奮闘努力することが、今さらながら強く求められている。
本拙文のタイトルとして挙げた、「耕不像(耕して倦まず)」は、大正5年に井上円了先生が揮奢された句である
が、筆者は最近事あるごとに引用させていただいている。
この句の解釈は様々であろうが、私は、「ふを耕し、常に学び続けることが大事である」と理解している。
校友会も120周年を迎え、今後益々発展し、母校との絆を一層深めるためには、卒業生が常に母校を思い続ける
ことが次の130年、150年に繋がるであろうことを信じている。