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「カノン」中原清一郎著を読んで(下)

2014年07月08日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」

最終の3回目は、煙草に関する以外の記述で、私が「いいなぁ!」と思った部分を抜き書きさせていただきました。自分のつたないコメントなど、さしはさめる余地はなく、そのままでも何かを感じとっていただけると信じます。それで、すべてを読みたくなったら、ぜひ本屋さんに立ち寄りお買い求めください。

163ページ
紗希は鼻先で笑って、おどおどする歌音の肩を軽く叩いた。
「母親だったら、誰でも経験するわ。そうやって、子どもとぶつかり合って、火花を散らして、へとへとになって、ようやく母親と子どもが出会うのよ。初めから母性のある女なんていないんだから。女の母性って、後悔と涙の結晶したクリスタルみたいなもんよ。透明で頑丈に見えるけれど、脆くって、すぐに壊れ、鋭い割れ目が指先を傷つける。でも、何度壊れたって、図太くまた結晶を積み重ねていくしかないのよ」

164ページ
子どもを、子ども扱いしない? 歌音は不思議そうに、その言葉を口の中で反芻した。でも、だったら、大人のとして扱えってことなの? 歌音の疑問を先取りして、紗希が畳み込んだ。
「子どもは、子ども。もちろん、まだ知識も経験もないに等しいから、大人とは違う。でも、はなから子ども扱いすると、子どもは本能的に反発する。どんなときでも、全力でぶつかってきてほしいのよ、子どもって。だから、怒るときも、甘やかすときも、抱くときも、全身全霊をこめてぶつかるの。恥も外聞もなく、真剣に向き合う。そうやって我を忘れる母親に、子どもは抱きしめられていたいのよ」

166ページ
「そう、鉄の腕。馬って、初対面のときに、乗り手の技量を試すね。手綱の先に轡があって、それを馬にハミで銜えさせている。手綱を引き絞ると、それが合図で馬は止まるの。ところが、馬ははじめ、頭でイヤイヤをして、手綱の動きに逆らおうとする。それを無理に引っ張ると、馬は痛がって暴れまわる。手綱を緩めると、乗り手を馬鹿にして、いうことを聞かなくなる。そういうときは、馬が左に引っ張ったら左の手綱を緩め、右を引っ張ったら、右を緩める。馬は、どんな姿勢をとっても、手綱がいつも同じ力で、鉄の腕のように安定していることを知って、乗り手のいうこと聞くようになる。そうなれば、ちょっと手綱を絞るだけで、馬がいうことを聞くのね。そんなふうに、達ちゃんを育てるんだ、っていっていたわ」
「でも、それって、子どもを馬扱いにすることなりません? 自分の思うように操縦するなんて」
「でもね、歌音のいう意味は違った。子どもって、いつか親の目の届かないところで遊ぶようになるでしょう。そんなときは、自分で自分を守るしかない。その日のために、危険を危険とわかり、本能的に自分の身を守るようにさせる。それが「鉄の腕」よ。どんな場合にも、守らなくてはいけない鉄則がある。子どもがそれを理解するまで、歌音は達ちゃんがどんなに泣き喚いても、妥協しなかった。達ちゃんが床を転げまわって駄々をこねても、歌音、1時間以上、平気で腕を組んで、微笑んでいたわ。周りの人が驚いても、全然平気。あの人、強いから」

248ページ
母親だって父親だって、子どもに言葉で伝えられることは、たかが知れている。言葉で覚えた知識は、別の言葉でたやすく置き換えられていく。まして親の言葉と裏腹の行動とっていれば、そのギャップは偽善として、すぐに子どもに見透かされる。親ができることは、子どもをある状況に置いて、自ら何かを察知させること、気づかせることだけなのかもしれない。

262ページ
「怒りを否定するな。その向きを変えよ」
「ーーー怒りはコントロールをしようと思ってもできない。ちょっと向きを変えて、エネルギーを解き放つしかない。しかしコツさえ呑み込めば、さほど難しいことではありません。向きを変えるのは造作ないことです」

326ページ
「ひとつの小さな命を育むには、それと命を引き換えにしてもいいような、全身のエネルギーを注ぐ大人が周りに必要なのね。そうでないと、小さな命は、たちまち萎れてて、枯れてしまうか、歪なかたちで固まってしまう。わたしね、達ちゃんを見守る歌音の姿をみていて、そう教えられた。わたしが58歳の男とか、32歳の女か、こだわっていたら、達ちゃんのことを守れない。わたしたちは、ただ命を擦り減らし、へとへとになって、その小さな命を育て、朽ちていく。そのために与えられた命なんじゃないかしら」

342ページ
「達也のために------引き延ばされた10年なのね?」
「そう、それで歌音は決めたの。あの子も、あなたも、遅かれ早かれ、お終いに向かって進む針。私だってそうなの。さ、湯あたりしちゃう。早く出ましょう」
和子はそういって立ち上がり、汗の雫を痩せた全身に滴らせて湯船を出た。

359~360ページ
「ーーーもしかすると十数年後に、達也はまだ老いるには早い母親が、物忘れが多くなり、すぐ前の記憶もなくしていくことに、おろおろするかもしれない。彼はきっと泣くでしょう。でもそのときに泣けるのは、彼が愛情に包まれ、そのことに気づくことすらないまま、10数年を過ごした証なのです。
笑うこと、泣くこと。そんなことですら、どんなに周囲の愛情が注がれた結果なのかに、気づくだけでいいのです。ーーー」
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