哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫)

2009-09-05 12:34:56 | 
あの姜尚中氏が薦めている表題の本は、はるか昔の学生時代くらいに一度読んだきりでほとんど覚えていなかったから、今回再度一通り読んでみた。

姜尚中氏は、ある新聞でこの本の凄さを「近代資本主義の起源を論じながら、その行く末を、ある意味ではマルクスよりもシビアに見据えていることである」としている。「もはや勝利を遂げた資本主義的営利は、・・まるでスポーツかゲームのような性格しか持ちえなくなっている」というのだ。

表題の本の大まかな流れは、キリスト教的な禁欲の精神が、まさに神の意思を具現するものとして、仕事に励む職業倫理となり、低賃金でも懸命に働く大衆と、営利に励む資本家を作っていったというものだ。所々にユダヤ人が経済的に成功している訳に触れられている部分も納得感がある。

そして姜氏が指摘している資本主義の行く末については、最後の方に出てくる。


「今日営利のもっとも自由な地方であるアメリカ合衆国では、営利活動は宗教的・倫理的な意味をとりさられているために、純粋な競争の感情に結びつく傾向があり、その結果スポーツの性格をおびる・・。・・この巨大な発展がおわるときには、まったく新しい預言者たちが現れるのか、或いはかつての思想や理想の力強い復活がおこるのか、それとも、一種異常な尊大さでもって粉飾された機械的化石化がおこるのか、それはまだ誰にもわからない。それはそれとして、こうした文化発展の「最後の人々」にとっては、次の言葉が真理となるであろう。「精神のない専門人、心情のない享楽人。この無のものは、かつて達せられたことのない人間性の段階にまですでに登りつめた、と自惚れるのだ」と。」(旧版・下巻より)


まったく姜氏のいう通り、卓越した予見ではないか。


池田晶子さんも同じようなことをこう書いている。

「何のために金を儲けるのかというと、金を儲けるために、金を儲ける。金を儲けるという以外に、金を儲ける動機も目的も存在しない。完全に金儲けのための人生である。人生以外のところに人生の目的が存在する人生である。・・「何のための人生か」。考えずに生きられる人生は、善い人生ではあり得ない。」(『知ることより考えること』より)