哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

意見

2011-12-19 00:11:00 | 哲学
池田晶子さんは、意見を持たないと何度も書いている。


「私は、政治や経済や、広くは世の中一般の出来事について、「意見」というものをもったことがない。正確には、もつことができないのである。「御意見を」と訊かれると、いつもほとんど絶句する。
これはどうしてかというと、私は、考えているからである。そのことについて意見を言うより先に、そのことについて考えているからである。考えるとは、知ることである。そのことの何であるかを知るより先に、そのことについて言うことはできないのは道理であろう。」(『私とは何か』「「意見」を言うということ」より)


個人の意見を述べたところで、それが正しいものであるためには、万人にとっても正しいものでなくては、正しい意見とはいえない。つまり、正しい意見を言うためには、まず対象をしっかり考えたうえで、正しいことを知らなければならないわけだ。
そうすると民主主義のこの時代、政策を選んで自らの意見を選挙で表明するには、まずは民衆一人一人がしっかり考えて知らなければ、正しい選択ができない。しかし、国家機能は複雑高度化しており、政策の元となる情報を全て判断して選挙の票を投じることがどこまでできるだろうか。
すると、前回引用した項の別の箇所に、次のような文章があった。


「私は、「哲学的には」、「個人の意見」を無意味とみなすが、政治的には、様々な個人の意見があって然るべきだと思っている。」(『知ることより考えること』「絶叫首相とその時代」より)


政治であれば様々な意見があっていいというのは、池田さんの最初の文章からすると、少し後退した印象もあるが、民衆が行政上の全ての情報を得て正しい政策を選択するというのは不可能であろう。しかし、民主主義である以上、自らの責任で選挙に投票し、自分たちの決めたことには責任を負わなくてはならない。よって、結局は少ない情報でも、それを元に意見をもって選択しなければならないということになる。選挙だから、結局は言っていることに信頼を持てる政治家を選ぶということだろうか。政治家の言葉が重要になる所以か。