そして、完成。

 親子で作り上げた、お釈迦さまの誕生を祝う花見堂。
 おみごとでござります。
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花見堂、途中経過

今まで、夫婦で作っていた花見堂……
父は為す術もなくリポート係なりし。
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材料到着

 明日はお釈迦さまの誕生日。花祭り。
 お釈迦さまが生まれた時、ルンビーニの花が一斉に咲いたと言われる。
 それを模して作られるのが「花見堂」。

 先ほどお堂の屋根を飾る花々が到着。
 明日の準備のため、いざ、屋根飾りを。
 や~ね~、などと洒落を言っている場合ではない。
 帰ってきた長男を交えて、親子三つ巴の「あーでもない、こーでもない」の40分のスタートである。
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45ミニッツ

 昨日は、ご詠歌で毎月2回20年伺っているお寺の先代ご住職の7回忌の法事。

 お寺用語はちょっと複雑。
 法要のために本尊さまを供養するのは、導師(どうし)。普段住職一人で法事を行なえば、導師だけの法事です。

 さすがに先代の法事となると、そこに10人ほどのお経を拝む職衆(しきしゅう)と呼ばれるお坊さんが衣をつけて出てくれます。その職衆がすることを助法(じょほう)と言います。
「○○さまを導師に、ご助法いただく職衆は近隣寺院のご住職がたです」という言い方です。

 一方、その場に参列してお焼香をする人たちの中で、お坊さんのことを「随喜」(ずいき)と言います。その法要の趣旨に随(したが)って、共感するというほどの意味で、お葬式の参列の場合にも使います。

 昨日の私は、この随喜。45分間の法要の間、先代住職のことをいろいろ思いました。しかし、正直なところ、あと5分短くても良かったかもしれません。どんなお経をよんでいるか分かっていて、退屈しない筈の私でさえ、もっと短くていいかもしれないと思ったのです。

 ひるがえって密蔵院の法事は、一時間。このうち、お経は多分30分くらいでしょう。あとの30分は所々で入るお話と一緒に読むお経と真言。自分ではこれ以上は削れないと思っていますが、檀家の方はどう思っているのだろうと……。
 怖くて聞けません。あはは。
 でも、15年程前に「住職、お布施をはずむから、お経短くしてくんねぇか」と冗談で言われたことがありました。冗談だと分かっていたけれど、「意味の分からないお経をずっと聞いていることの意味」が分からないとしたら、こりゃつらいだろうと思って、分かる法事を心がけるようになったのです。

故人曰く「冗談の中にこそ、真実は有る」--この言葉、まんざら冗談ではありません。

 写真は、密蔵院の近所の都立篠崎公園の桜。山盛りの桜でした。
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