平家物語・義経伝説の史跡を巡る
清盛や義経、義仲が歩いた道を辿っています
 




熊野詣は京都の下鳥羽(草津湊)から船に乗って淀川を下り、
摂津国渡辺の津(江戸時代の八軒家船着場付近)に上陸し、
九十九(くじゅうく)王子の最初の王子社、
渡辺(窪津)王子でお祓いを受けた後、
御祓筋(おはらいすじ)を南下して四天王寺から住吉へ、
それから街道筋に点々とある王子社を巡拝しながら熊野へと向いました。

天満橋の交差点から土佐堀通の南側を西に進むと、
永田屋昆布店(中央区天満橋京町2-10)前に
八軒家船着場跡の石碑が置かれています。
 八軒家船着場跡  
それを通り越し土佐堀通を西に進むとすぐ御祓筋、
御祓筋と土佐堀通との交差点に熊野街道起点碑があります。

『熊野かいどう
熊野街道は このあたり(渡辺津 窪津)を起点にして
熊野三山に至る道である
京から淀川を船でくだり 
この地で上陸 上町台地の西側脊梁(せきりょう)にあたる
御祓筋(おはらいすじ)を通行したものと考えられ
平安時代中期から鎌倉時代にかけては
「蟻の熊野詣」といわれる情景がつづいた
   また江戸時代には京 大阪間を結ぶ三十石船で賑わい
 八軒の船宿があったことから「八軒家」の地名が生まれたという
  平成二年 大阪市』

土佐堀通をさらに西に進み、北大江公園の西側、
ビルの谷間に坐摩(いかすり)神社行宮の小さな祠があります。

ここは熊野権現の分霊を祀った渡辺王子(窪津王子)社の
もとの鎮座地と伝えられています。
窪津王子はその後、四天王寺の西門近くの熊野神社に
遷座されましたが、
現在は堀越神社(天王寺区茶臼山町1-8)に
熊野第一王子之宮として合祀されています。
 坐摩神社・坐摩神社行宮(渡辺党)  



「平成21年難波宮 大阪 熊野街道連絡協議会」によって建てられた
熊野街道の石碑
(天王寺区大道1-8付近)



熊野権現礼拝石は、四天王寺南大門を入ってすぐの所にあります。



南大門には「四天王寺庚申堂参道 南大門よりまっすぐ信号を
ふたつ越えて歩いて2分」と記した案内板がたっています。

熊野権現禮拝石と彫られています。


 

西大門(極楽門)

西大門・西門石鳥居

『四天王寺縁起』に四天王寺の西門は、
極楽浄土の東門(とうもん)に通じていると書かれていたことから、
ここから西方を望むと極楽浄土に導かれるという信仰が生まれ、
藤原道長・頼通をはじめ鳥羽上皇・後白河上皇・公卿らの参詣が相次ぎ、
源頼朝も東大寺再建供養のため上洛の折、
大勢のお供を連れて参拝しています。

丹後局が所有する船を借り、鳥羽津(草津湊)より船出して
渡辺津で上陸し、そこから車に乗り、
陸路をたどって四天王寺へ参詣。
隋兵以下、供奉の人々は騎馬であったという。
(『吾妻鏡』建久6年(1195)5月20日条)

 熊野は古くから自然信仰の神々を祀る社として知られていましたが、
平安時代に神仏習合が進み、阿弥陀浄土、観音補陀落浄土として、
熊野本宮、速玉大社、那智大社の熊野三山は、
山岳修験の道場ともなっています。
院政期以降、上皇をはじめ女院や貴族の参詣があいつぎ、
鎌倉時代になると、武士や庶民へと広がりを見せ、
絶え間ない旅人の群れが熊野へ続いたのでした。

『平家物語』にも、当時の熊野信仰を背景にし、
その影響を受けた説話がみられます。
「巻1・鱸」には、熊野参詣の途中、清盛の船に出世魚の
鱸(すずき)が飛び込んでくるという吉兆が現れ、
平家一門の繁栄は熊野権現の御利益であると述べています。
「巻2・康頼祝言(のりと)」では、鬼界が島に流された3人のうち
藤原成経、平康頼の2人は熊野信仰に篤く、
島内にそれらしい所を見つけて、熊野三所権現を勧請して
赦免を祈ったという逸話が語られています。

また、「巻3・医師問答」には、父清盛の悪行に苦しみ
一門の行く末を案じていた重盛は、熊野本宮に詣で
わが命と引き換えに父の悪心を和らげてくださいと
祈ったことからその命を縮めたという話もあり、
人々はさまざまな願いをこめて熊野に参詣したのです。
住吉大社の東側を通る熊野街道 津守寺跡 津守王子(新宮社)  
『アクセス』
「八軒家船着場の跡の碑」 大阪市中央区天満橋京町2-1 
地下鉄谷町線・京阪電車「天満橋」下車西へ約100m
「坐摩社行宮」大阪市中央区石町2
京阪電車「天満橋」駅、地下鉄谷町線「天満橋」下車、徒歩約7分

「四天王寺」
大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
 tel. 06-6771-0066
地下鉄 御堂筋線・谷町線天王寺駅 から北へ徒歩約12 分
地下鉄 谷町線四天王寺前夕陽ヶ丘駅から南へ徒歩約5 分
近鉄 南大阪線阿部野橋駅から北へ徒歩約14 分
『参考資料』
 週刊古寺をゆく「四天王寺」小学館、2001年
神坂次郎「歴史の道 古熊野をたずねて」和歌山県観光連盟、2003年
現代語訳「吾妻鏡(6)」吉川弘文館、2009年




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