平家物語・義経伝説の史跡を巡る
清盛や義経、義仲が歩いた道を辿っています
 



八十島(やそしま)祭は、即位大嘗会(だいじょうえ)が行わわれた
翌年、勅使が難波の海に遣わされ催行される宮廷儀式です。
新天皇の乳母で内侍(ないし)に任命された者が
祭使(まつりのつかい)になり、
生島巫(いくしまのみかんなぎ)や神祗官(しんぎかん)の
役人とともに難波を訪れ、大八洲(日本国土)の霊である
生島の神と足島(たるしま)の神それに住吉の神、
大依羅(おおよさみ)の神、海(わだつみ)の神などを祀るものです。

時代が下るにつれて禊(みそぎ)・祓(はらい)の要素が
強くなっていきますが、本来は海辺に祭壇を設け、
祭使が持参した天皇の御衣を納めた箱を開いて、
神祇官の弾く琴に合わせて海に向かって御衣を揺り動かし、
最後に祭物を海に投じるというものです。古代、
この淀川河口に浮かぶ島や中洲のことを八十島とよびました。
万物に精霊が宿っていたと信じている時代ですから、
その八十島を国土に見立て、島々の神霊を
新しく即位した天皇の体内に遷すという呪術的な祭祀です。

八十島祭は奈良時代には、天皇自身が難波津に赴き
挙行していたともいわれていますが、記録に残っているのは、
文徳天皇の嘉祥3年(850)の記事からで、
鎌倉時代に入って武家が勃興すると
公家は貧窮し断絶しました。

最初は祭場を「熊河尻(くまかわじり)」に置いていましたが、
長暦元年(1037)以後は住吉大社神主の申し出により、
住吉大社に近い「住吉代家浜」に変更して祀られたという。
(『平記』長暦元年9月25日条)
住吉の浜は大和川の付替え以降、土砂が堆積しさらに明治以降
行われた埋立開発事業・港湾整備によって海岸線は遠ざかり
現在、「住吉代家浜」は存在しません。

平安時代も半ばなると、住吉大社は多くの社領・荘園を持ち、
八十島祭の費用なども負担して
いつしか祭神も神威が高い住吉の神となっていったようです。

当初、この八十島祭の行われた熊河尻については淀川の
支流と考えられていますが、その所在地は
定かではありません。

永暦元年(1160)12月15日、二条天皇の八十島祭が行われました。
この時、典侍(てんじないしのすけ)を務めたのは清盛の妻時子です。

「時子が乳母になった時期は不明だが、
おそらくは平治の乱後であろう。」(『平清盛福原の夢』)

八十島典侍の賞として時子は、永暦元年12月24日に
従三位に叙されています。(『山槐記』同日条)

祭使の一行は、京を牛車を連ねて出発し淀から船に乗り換え、
難波津に至るのが通例でした。
神宝を入れた韓櫃(からびつ)2個、
勅使とその随行、次に平家一門の殿上人、地下人13人。
清盛の異母弟尾張守頼盛、常陸介教盛、伊賀守経盛のほかに、
時子の弟の右少弁時忠、異母弟蔵人大夫親宗(ちかむね)
それに14歳の息子淡路兵衛介宗盛がつき従います。
この日、美しく着飾った時子は唐車の左右につく8人の従者に
守られて車に乗り、騎馬で伊予守重盛が供奉し、
清盛腹心の郎党検非違使平貞能(さだよし)がそれに従います。
さらに6両の女房車が続き、警備のための衛府の武者が93人、
大型の長持4個等々という参加人数のきわめて多い華美な行列でした。
この豪奢な儀式には莫大な費用がかかりますが、
それを支えたのは平家一門の財力でした。
このことから清盛が後白河院の院司である一方、
二条天皇の有力な後盾であったことが明らかとなります。

ちなみに後白河上皇の皇子安徳天皇が即位した時には、
八十島祭の典侍に任命されたのは
重盛の妻経子(藤原成親の妹)でした。

後白河天皇の第1皇子の守仁親王(二条天皇)は、母が早世したため
美福門院得子(鳥羽院の皇后)の養子になっていました。
崇徳天皇が鳥羽院によって譲位させられ、
わずか3歳の近衛天皇が即位しましたが、この天皇が
跡継ぎのないまま若くして亡くなったため、鳥羽院や
美福門院らが次の天皇にと選んだのは聡明な守仁親王でした。
しかし、父の雅仁(まさひと)親王を差し置いて実現できず、
中継ぎとしてひとまず後白河天皇が即位したのでした。

その後、後白河天皇は退位し、二条天皇を即位させ
院政を開始しましたが、自分で政治を行おうとする二条天皇との
間には当初、政治の覇権を争う激しい対立がありました。
清盛は「あなたこなた」して、
すなわち「状況を見ながら双方に気配りをして
どちらにもいい顔をしていた」と『愚管抄』は伝えています。
こうしてその対立をうまく利用しながら清盛は出世していきました。
『参考資料』
田中卓「神社と祭祀 (八十島祭の祭場と祭神)」国書刊行会、平成6年
梅原忠治郎「八十島祭綱要」プリント社、昭和9年
三善貞司編「大阪史蹟辞典(八十島祭)」清文堂、昭和61年
「大阪府の地名」平凡社、2001年
高橋昌明「平清盛福原の夢」講談社、2007年
大阪市史編纂所編「大阪市の歴史」創元社、1999年
元木泰雄「平清盛と後白河院」角川選書、平成24年



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