平家物語・義経伝説の史跡を巡る
清盛や義経、義仲が歩いた道を辿っています
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八軒家船着場跡
大阪府
/
2008-07-26
<
京阪天満橋駅で電車を降り、土佐堀通に出ると、
永田屋昆布本店前に「八軒家船着場の跡」の石碑があります。
この地は江戸時代には八軒家と称し、淀川を上り下りの
三十石舟の発着場として、
さらに古くは渡辺といい
紀州熊野詣の旅人の上陸地として栄えました。
大江山の鬼退治で知られる渡辺綱は、
この地を支配した摂津源氏一族の出身です。
また文覚上人(遠藤盛遠)が袈裟御前を見初めたのは、
渡辺橋(現在の天満橋辺)の橋供養の時のことと伝えています。
八軒家船着場跡の石碑を通り越し、土佐堀通を西に進むとすぐ御祓筋です。
御祓筋と土佐堀通との交差点に熊野街道起点碑が建っています。
ここが熊野街道のスタート地点です。
平安時代に盛んだった熊野詣、住吉社・四天王寺詣に
京から行く人々は、草津湊(下鳥羽)から淀川を船で下り、
この地で
上陸して陸路をとりました。
八軒家の名は、江戸時代に八軒の船宿や飛脚屋があったことから
つけられたといわれています。
現在はアクアライナー(水上バス)が
八軒浜船着場(京阪電車天満橋駅すぐ)に就航し、昔を偲ばせています。
「渡辺党」
嵯峨源氏・源融より出た渡辺(源)綱を先祖とし摂津国渡辺の津
(現在の大阪市東区の天満橋と天神橋の南側、八軒家辺)を
拠点とした武士団で、弓矢に優れ滝口の武士となって天皇に仕える人が多く、
保元の乱・平治の乱や宇治川合戦では源頼政に従って戦い活躍しています。
「渡辺一文字名輩」といわれ、代々一字の名をつけました。
渡辺綱が頼光に仕えた頃から摂津源氏と渡辺党の主従関係が生じ、
「省」(はぶく)「授」(さづく)「競」(きおう)
「唱」(となう)などが頼政に就いて活躍しました。
綱は養母が攝津渡辺の人だったので、「渡辺」をその氏にしたといわれています。
『平家物語』にも登場し源頼朝に挙兵を勧めた藤原氏系の文覚上人(遠藤盛遠)も
渡辺党の出身で、源氏姓の渡辺氏、遠藤姓渡辺氏を総称して渡辺党といいます。
「滝口の武士」とは、天皇の私的な護衛兵の性格が強い内裏警護の武士のことで、
清涼殿東庭にあった御溝水
(みかわみず)
が滝のように落ちる所に
詰所があったので「滝口」と呼ばれました。
御溝水とは、宮中の殿舎の軒下を流れる遣水。
『アクセス』
「八軒家船着場の跡の石碑」大阪市中央区天満橋京町2-10
京阪電車天満橋駅下車 徒歩約3分
『参考資料』
「平安時代史事典」角川書店 「歴史を読みなおす」(武士とは何だろうか)朝日新聞社
コメント (
3
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祇園祭浄妙山...
競が事(渡辺競)
»
コメント
訪ね直さないといけない所ばかり(笑)
(
yukariko
)
2008-07-26 22:38:16
「渉成園・枳穀邸(きこくてい)」も10数年前に東本願寺を見学し、その時に門跡による売却問題で話題に上った枳穀邸も見学しておこうと寺務所で入場許可を貰って散策しました。
急に思い立った為、歴史の知識を持たないままで、それほどの感慨も持ちませんでした。
3枚の写真を見て『こんな所だったかしら?』
もう一度行って、見直したい所がどんどん増えますね(笑)
…東本願寺の風が通る広い畳敷きに座り込んでお喋りしたから真夏でしたが、行き当たりばったりの散策でもったいないことばかりしています(笑)
写真、ガラスに桜が写りこんだいい構図ですね!
清和源氏・摂津源氏・河内源氏と渡辺党が複雑で、どこで分岐してゆくかをインターネットで追跡してようやく納得!
子孫の末が征夷大将軍ですものね。
先日、尼崎の近松公園横の近松菩提寺・広済寺を訪ねましたが、このお寺も一帯を支配していた多田満仲が日本初の北辰星を祀ったことに始まるとありました。
本拠地の川西市・多田神社の事は以前hiroanさんが地元と書かれていましたね。
源氏の系図は複雑ですね!
(
sakura
)
2008-07-27 12:04:51
源氏というと誰もが源頼朝、義経を思い出しますが、
清和源氏のほか嵯峨源氏、宇多源氏、醍醐源氏、村上源氏等もあり
清和源氏から摂津源氏、大和源氏、河内源氏と分かれていきます。
河内源氏から源頼朝、義経へと繋がり一族から足利尊氏、新田氏も出てきます。
河内源氏については頼朝が登場するとき、河内三代の写真から見て頂こうと思っています。
徳川家康も(自称)源氏一族とかで、六孫王神社(燈籠)、多田神社など源氏ゆかりの神社に寄進しています。
広済寺は一帯を支配していた多田満仲が日本初の北辰星を祀ったことに始まるそうですが、
一度たづねた位ではすっかり忘れています。
たづねた所でもこの調子ですから、はじめから何もかも分かってなんか行けませんね。
枳穀邸の源融ゆかりの塔がある庭は宇治の塔の島の景色を模してつくられ、
塩釜、塩釜の手水鉢など融の伝承に基づいた物などが置かれています。
インターネットで系図を調べていただいたようですが、
そこまでして記事を読んでくださるのでありがたいことと思っています。
なるべく分かりやすくするよう心がけます。
追記
(
sakura
)
2008-07-27 12:22:33
hiroannさんは川西方面のご出身だそうです。
多田神社をたづねた頃は写真といっても、
2、3枚撮影しただけ、またたずねたいと思っています。
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急に思い立った為、歴史の知識を持たないままで、それほどの感慨も持ちませんでした。
3枚の写真を見て『こんな所だったかしら?』
もう一度行って、見直したい所がどんどん増えますね(笑)
…東本願寺の風が通る広い畳敷きに座り込んでお喋りしたから真夏でしたが、行き当たりばったりの散策でもったいないことばかりしています(笑)
写真、ガラスに桜が写りこんだいい構図ですね!
清和源氏・摂津源氏・河内源氏と渡辺党が複雑で、どこで分岐してゆくかをインターネットで追跡してようやく納得!
子孫の末が征夷大将軍ですものね。
先日、尼崎の近松公園横の近松菩提寺・広済寺を訪ねましたが、このお寺も一帯を支配していた多田満仲が日本初の北辰星を祀ったことに始まるとありました。
本拠地の川西市・多田神社の事は以前hiroanさんが地元と書かれていましたね。
清和源氏のほか嵯峨源氏、宇多源氏、醍醐源氏、村上源氏等もあり
清和源氏から摂津源氏、大和源氏、河内源氏と分かれていきます。
河内源氏から源頼朝、義経へと繋がり一族から足利尊氏、新田氏も出てきます。
河内源氏については頼朝が登場するとき、河内三代の写真から見て頂こうと思っています。
徳川家康も(自称)源氏一族とかで、六孫王神社(燈籠)、多田神社など源氏ゆかりの神社に寄進しています。
広済寺は一帯を支配していた多田満仲が日本初の北辰星を祀ったことに始まるそうですが、
一度たづねた位ではすっかり忘れています。
たづねた所でもこの調子ですから、はじめから何もかも分かってなんか行けませんね。
枳穀邸の源融ゆかりの塔がある庭は宇治の塔の島の景色を模してつくられ、
塩釜、塩釜の手水鉢など融の伝承に基づいた物などが置かれています。
インターネットで系図を調べていただいたようですが、
そこまでして記事を読んでくださるのでありがたいことと思っています。
なるべく分かりやすくするよう心がけます。
多田神社をたづねた頃は写真といっても、
2、3枚撮影しただけ、またたずねたいと思っています。