友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

孫娘の名前は?その3

2009年07月20日 21時32分05秒 | Weblog
 長女のダンナから長いメールが届いた。赤ちゃんの名前についてである。余り長いので、適当にカットしてここに勝手に掲載する。

 「まず春駒という言葉を知ったのは、かねてから伝えている通り、郡上踊りの春駒(はるごま)という曲名からです。まず歌を聴き、感銘を受け曲名を知り、春駒という単語に対する愛着が自然と備わりました。出張の際、カーステレオで繰り返し聴き、拍と合いの手の法則性を理解出来たとき、うれしさの余りMさんに電話をした事を覚えています。富山からの帰り道、まだ飛騨トンネルが開通しておらず、国道41号線を南下し高山へ向かう道中の事と記憶しています。(略)
 
 春駒という響きは、非常に古風であり伝統的であり、尚且つかわいらしく女性の名前にぴったりな言葉であると感じました。Mさんに、僕たちがもし結婚できて、もし女の子ができたならば名は春駒(はるこま)にしたい、と話しました。Mさんは快く賛同してくれました。

 こうして二人で口にすることで、春駒という架空の女の子は二人の中で生き始め、二人の目標となり、いつしか二人のその後の行方を示す座標となってゆきます。そしてMさんは本当に女児を身ごもり、僕たちは本当に結婚できました。二人で一つの夢を目指し、そしてその夢が現実のものとなったのです。『春駒に会えますように』。昨年の七夕様の短冊に書いた、二人のお願いです。

 これが簡単な経緯です。並々ならぬ強い思い入れが二人にあることが、稚拙な文章なりにご理解いただけましたでしょうか?「春駒」が居たからこそ今の自分たちがあると言っても過言ではありません。また一風変わった名前であることは承知していますし、ずいぶん時間がありましたから、悪い意味合いを持たない言葉であることももちろん確認しました。

 春駒という字面そのものは、どちらもごく一般的な漢字です。読み方も全く奇抜ではなく辞書にも載っている単語でありますから、最近多くみられる奇をてらっただけの奇妙な名前とは一線を画します。伝統的であり古典的です。伝統芸能にも使われるように古い言葉ですので、軽薄さを感じさせず、また重すぎず。その伝統的な部分が“粋”と感じさせるように思います。かわいらしく女性的です。ご指摘のとおり、芸者に使われるほどのネーミングですので、偶像的なイメージ名であり、かわいらしく思うのも当然と言えます。尚且つ偶像的でありながら、現代とは少し遠い時代のネーミングなので、直接的なギラギラしたステロタイプ感は感じさせません。つまり皆様の心配は杞憂に過ぎないと言ってしまっても過言ではないでしょう。この小さな子が自立し自分の人生を謳歌しだす頃には、この子を取り巻く社会の感性が、春駒という名前を純粋にステキな名前だなとうらやむ様になっているはずです。

 当然ですが、僕は生まれてきたこの子の幸せを願ってやみません。心からステキな名前だと信じています。」

 ここまで言われて、反対する親は阿呆であろう。再考した結果について意見を言ったなら泥沼になってしまう。そんな思い入れがあるのであれば、それはそれでよいと思う。これからが大変な毎日となるのだろうが、それもまた人生。自分が納得できるように生きればよい。23日からは次女が長女の見舞いのために帰国する。明るくなるが、騒がしくもなる。これも姉妹の絆なのだろう。
コメント
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