友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ドイツ生まれのアメリカ人

2009年07月09日 21時38分17秒 | Weblog
 岐阜から松阪まで4時間余りかかった。高速道路が使えない車なので一般道を走る以外にない。運転してみて感じたのは、スピードを上げると向かい風の抵抗をかなり受けるのか、車が重くなる。ナビ付きでないのに地図を持っていかなかったから、走っていてもちょっと不安なところもあった。すると助手席のドイツ生まれのアメリカ人が「ガソリンスタンドデ、キイテミマショウ」と言う。「なあに大丈夫、まっすぐいけばいいよ」と思うのだけれど、彼は私がめくらめっぽうに走っているのではないかと思っているような気がした。

 「今、どの辺ですか?」と彼は聞くけれど、私も初めて走る道なので正確に答えられない。教えられた道は「川に沿って走れ」ということであったのに、いつの間にか川から離れてしまったので、彼は私の運転をあやしく思ったのだろう。ガソリンスタンドはなかったけれど、コンビニがあったので、そこに駐車した。彼は女店員さんに「チズハ、アリマセンカ?」と聞く。売り物の地図はないけれど、女店員さんのものらしい地図を持ってきてくれた。彼は「ココハ、ドコデスカ?」と地図の上で示させる。「ワカリマシタ。アナタノイウトオリ、マッスグニイキマショウ」と安心した表情で言う。

 彼は「アナタハ センソウゴ、ソレトモ、センソウチュウノウマレ?」と聞くので、「1944」と答えると、「オオ、アニキトオナジ」と言う。そうか、老けて見えたから私と同年かあるいは年上と思っていたが、もっと若かった。私と同年の彼の兄貴は高校の歴史の先生であったそうだが、カトリックの神父になってしまったと言う。どうしてそうなったのはとても興味があったけれど、今の彼と私の距離と語学力では無理だと思った。彼のおじいさんはトンネル堀りの技師者で鉄道の社長だったそうだ。彼の父は貿易を仕事にしていたので子どもたちが、経済を学ぶことを期待していたと言う。

 兄貴は父親の期待とは違った道を進んだけれど、彼は統計学なのかよくわからないが市場調査の道に進んだ。ドイツの大学からアメリカにわたり、そして日本の上智大学へと移ってきた。そこで見初めた日本女性と結婚し、アメリカに戻り再び日本に来て20年近くになると言う。自国しか知らない人もいれば、彼のようにインターナショナルに生きてきた人もいる。彼は、「ニホンジンハ ドウシテ何ニモカモ新シクシテシマウノカ。世界デ、ニホンジンホドノキレイ好キハイナイ」と言う。

 確かに私たちは「消費は美徳」と古いものは捨てたり壊したりして、新しいものを手に入れてきた。そのおかげでお金が動き、経済が活性化した。けれでも飽和状態になる時が来るのはもっと先のことだと思っていた。今、経済は低迷に陥り、「消費は美徳」ではなかったことに気付き始めた。それでも、私たち日本人は新型ウイルスの時に顕著だったように、自分で決めるということが苦手なのだ。どうしてもみんな揃ってやらないと不安になってしまう性質がある。「消費は美徳」ではないとしても、自分だけが質素な生活をすることは出来ない。自分でどういう生活をするとよいのか考えても実際には実行できない。

 そんな、話をポツリポツリしていたら、4時間もアッという間であった。
コメント
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