友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

今日は暑かった

2009年07月14日 21時40分41秒 | Weblog
 暑い、ちょっと動くともう汗がにじみ出てくる。部屋の中でも33度もあった。外に出ると暑さがいっそう厳しい。マンションの通路にアブラゼミが1匹、じっとしていた。子どもたちがマンションの庭で虫かごを持って蝶やセミを追い回していた。見上げると、東の空に入道雲が見えた。夏がやってきた。

 夏は苦手だ。隠れるところがない。今でこそエアコンがありクーラーがあるけれど、子どもの頃はあっても扇風機くらいだった。表に出ればジワジワと夏の太陽が照り付けるけれど、家の中は比較的涼しかったように思っている。我が家は材木屋の倉庫が立ち並ぶ、そんな倉庫の一番北側を少し改造して住めるようにしたところだった。

 だから、夏は案外涼しかったが、冬は家の中においたバケツの水が凍ってしまうほど冷たかった。材木が立てかけてある倉庫は暗くてひんやりしていた。倉庫の中は子どもたちにとっては絶好の隠れ家であり秘密の遊び場であった。汗でベタベタになった肌をつき合わせてかくれんぼをしていたけれど、今の子どもたちなら「クッセイ!」といわれてしまうだろう。

 コンクリートの建物が増え、道路もすっかり舗装され、街中を吹き抜けてくる風は生暖かいというよりは熱いような風だ。こんな暑い日に思わぬ人に出会った。20年ほど前に見たその女性は、やはりこんな暑い日だったのか、車を運転していてあまりの暑さのためにスカートを捲り上げていたのだ。たまたま、助手席側のドアが開いて、ドキッとしてしまった。白い足が異様なほど艶かしかった。

 お茶の先生で、キレイな人であったけれど、そんなお茶目な格好をする人だとは思ってもみなかったので大変に印象深く残っている。今日出会った彼女は、当たり前だが20年の年月を重ねていた。真っ白な肌の人と思っていたけれど、普通の人であったし、お茶目なところは変わらないとしても益々茶道の先生の重みが増して、色っぽかった。「お久しぶり」と言われて「お久しぶりです」と答えただけであったが、私だけが一方的に知っていることなのに、ちょっと照れくさい思いがした。

 カミさんは午後から長女の見舞いに出かけていった。やはり入院となるといろんなものが必要となるようで、娘から要請のあった品々を揃えていそいそと出かけていった。したがって今晩は久しぶりに孫娘と二人だけの食事である。何を作ってやろうかと冷蔵庫を見るが、野菜室はいただいたキュウリばかりだ。さて、そろそろ準備にかからないと孫娘が水泳の練習から帰ってくる。「腹減った。ご飯まだ?!」と言うに違いない。
コメント
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