友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

落胆は人生の糧?

2009年07月12日 17時51分39秒 | Weblog
 たとえば本当に神様がいて、天罰を与えるようなことがあるとするなら、天罰を与えられてもおかしくない人がいるのに、どうして幸せでなければならない人を不幸にするのだろう。神様は時々わからないことをする。おそらく神様の愛が罪人である私には理解できないのだろう。

 昨夜のNHKHVテレビでモナコ王国の王妃となったグレース・ケリーを特集していた。彼女が王妃となってからは一度も映画に出演していないと思っていたが、最後にモナコを舞台にケリーは王妃の役で出ていた映画があった。その映画の最後に「落胆することは人生の糧よ。悔やまずに前に進むことが大切よ」というセリフがあるが、それは彼女自身へのメッセージであったと解説していた。

 不自由なく暮らし幸せ一杯の人生のように思ったけれど、どんな人にも幸せと不幸はやってくるようだ。不幸ばかりが続くことはありえないのに、幸せは気がつきにくく不幸は目に付きやすいからか、どうも人は不幸には敏感な気がする。

 小林多喜二の『蟹工船』ではないけれど、嘆いてばかりいても状況は少しも変わらない。自分が何をしたいか、どうなりたいか、自分で考え自分で決めなくては結局は生きたといえないのではないだろうか。

 パソコンに向かっているそばを蚊が1匹飛び交っている。血を吸わせてあげるから、あっちに行って追い払うべきか、血を吸わせておいて叩きつぶすべきか、そんな馬鹿馬鹿しいことを考えている。蚊の方は何を考えながら身を隠し、私があきらめた頃になるとそっと飛んでくるのだろう。

 さて、今日は東京都議選挙の投票日だ。今晩遅くには当落が決まるから、勢力分布もハッキリするだろう。

 自民党の衰退はハッキリしていても、それに代わる民主党がどんな政策をどう実行してくれるのか、ここは有権者が「あきらめず、前に進むこと」だろう。決めていくのは自分たちなのだという気持ちを忘れないことだと思う。アメリカ国籍のドイツ人に言わせれば「ドウシテ、ニホンジンハ スグワスレテシマウノデスカ?」と不思議だと言う。

 昨日、私の古い友人でずっーと選挙で応援をしてくれた女性から電話をいただいた。いきなり「本当にあなたは水臭いわね」と言い出すから、またかと思って笑ってしまうと「やっぱり心当たりがあるのね」と怒り出す。前にも「市長選挙にもう一度出るんでしょう。そう聞いたわよ」と言った人だ。今回は「奥さんが出るのね。適任だとみんな言ってるわよ」と言うものだ。来年の春にはこの市の首長と市議の選挙が行われるから、もう誰かが探りを入れてきたのだろう。

 私は選挙に賭けたけれど、カミさんは何もそんなことをする必要がないと思っている。生き方が全く違う。だからやってこれたともいえる。孫娘は今朝4時半に起きて、5時半には水泳大会へ出かけていった。カミさんはゴルフの早朝練習から帰ると「病院へ行ってくるわね」と言って、長女のところへ出かけていった。「孫の面倒は見ない」と言ってはいたが、長女の生き方には賛同できなくてもやはり娘のことは気になるのだろう。

 さて、今夜は上下3軒両隣の第1回の酒宴である。
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