友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

松阪市議選挙に勝利を!

2009年07月19日 22時35分33秒 | Weblog
 今朝は5時20分に起きた。孫娘を6時30分までにプールに送っていかなくてはならなくなったので、そのまま車で松阪まで出かけた。何時に着けるのか心配だったけれど、午前8時には彼の事務所に着くことができた。今日は松阪市議選挙の告示だ。これまで2回、選挙を戦っているが、告示の出発式に出席してくれる人は驚くほど少なかった。「大丈夫、必ず勝てます」と言ってきた私としては、「出発式の参加者数などは気にすることはない」と言い聞かせる以外なかった。

 ところが、6年間の地道な努力は必ず実を結び、今日の出発式には60人を越える皆さんが集まってくれた。それが逆に候補者に必ず勝てるという意識を与えていないか、心配になる。私たち、「無党派・市民派自治体議員と市民のネットワーク」は無党派だから当然政党の支援はない。政党の支持母体のような団体からの応援もない。全く誰が支持し応援してくれているのかわからない。つまり票読みなどできない。

 無党派層といわれる人々は、組織や地域からのシバリがないだけに、誰に投票するかはその時々の雰囲気で決まっていく。私たちはこういう人々に対して、皆さんが新しい政治の形を作るのですと訴えてきた。しがらみのない人々こそがその地域のパイロットになる。民主主義の本来あるべき姿を形成できる人々である。私たちはこういう人々の支持と応援なくしては存在できない。

 私が無党派にこだわるのは、既成政党に信頼できる政党がないからだ。自民党はもはや自民党型政治の限界であるが故に自滅していくであろう。公明党は宗教政党であるがために初めから限界がある政党だ。民主党や社民党や国民新党がどれほどの政党であるかは、これからの楽しみであるけれど、限界がすでに見え隠れしている。けれども本当は、どのような政治を実現するかは主権者たる私たちである。

 選挙がどんな結果になるかは、候補者である本人がどれだけ努力をしてきたかに尽きる。地道な努力を積み重ねてきたなら必ず報われるであろう。ひとりよがりな行為であったなら、残念な結果となる。今、有権者は口先だけでいいことを言う人かどうかを見分けている。本当に自分たちのためになる人なのか、いやもっと言えばそんな小さな世界ではなく、自治体のためあるいはこれからの社会のために、考え行動しているか、見極めてようとしている。

 張ったりや金や力で政治を進める時代は終わったし、終わらせなくてはならない。張ったりが出来ない正直者の議員こそ、これから本当に必要な政治家である。口からのでまかせを言う人や、恐喝まがいが得意な人を当選させてはならない。私たちが「無党派」とともに掲げている「市民派」の規定は、市民の目線で見る政治ということだ。主権者たる市民が主役となる政治こそが私たちが目指すものだ。

 それにしても孫娘のために車で出かけてしまったけれど、土・日曜日や祝日は車で行くものではないと痛感した。往きはまだよかったけれど、帰りは35キロの大渋滞に巻き込まれ、電車なら1時間そこそこで帰れるところが2時間半もかかってしまった。九州や東北のナンバーの車も多かった。麻生首相のおかげかもしれないが、皮肉なものだ。
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