友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

皆既日食

2009年07月23日 19時13分20秒 | Weblog
 46年ぶりの皆既日食が見られるというので、各テレビ局が日食の様子を生中継していた。46年前といえば20歳の頃だが、全く覚えていない。おそらくそういうことに特別に関心がなかったのだろう。太陽の周りを地球が回り、地球の周りを月が回っているのだから、皆既日食という現象がいつか起きるのは当然のことだ。だからといってそれが何なのというくらいにしか受け止められない。

 たとえば、皆既日食の時に恋を告白すれば必ず永遠に結ばれるなどという言い伝えでもあれば、そんな努力もしたかも知れない。でも、日食と恋の成就は結びつかない。永久不滅の太陽が欠けていくのだ。そして全部欠けてしまうけれど、その時は不思議なリングが見える。いやまてよ、リングが見える時ばかりとは限らないから、たとえ真っ暗闇になっても、また少しずつ光を増していくが、それは元に戻ったというだけのことだ。実際にテレビ中継でその様子を見ていると、確かに神秘的で荘厳な気持ちになるし、美しいと思う。

 皆既日食と物語が重なるような小説はあるのだろうけれど、なんとなく推理小説っぽいような気がする。まあ、そんなことはどうでもいいけれど、それにしても昨日のテレビ各局の報道はすごかった。おかげでキレイな皆既日食を何度も見ることが出来た。太陽が欠け始めた時は、丁度友人が来ていて、カミさんはハシャギまくって「ホラ、見えるでしょう!」と雲の中の太陽を指差して何度も言う。確かに雲が厚いと太陽の欠けていく様子がよく見えた。

 「直接太陽を見てはいけません」とか「下敷きやサングラスは危険です」とか、テレビで言っていたけれど、小学生の頃にも日食があって、みんなで見たように思う。ガラスの破片を拾ってきて、ろうそくの炎の上に差し出し、ガラスに黒く煤がついたもので太陽を見た。あれ以来、日本人の目は悪くなったのかも知れないと勝手なことを思った。それから黒い下敷きで見た記憶もあるが、あれは何時のことだったのだろう。

 日食は太陽のような完全無欠と思われるものですら、(実際に欠けるわけではないが)力を失っていくように感じる。しかし強い太陽は自力で元の姿に回復する。それは私たちに、いつか失うことがあるかもしれないが、それは一時のことで必ず復活するという希望を与えてくれたのだろう。今は不幸でも何時か必ず幸せになれる時が来る。たとえ、今は実現できなくても何時か必ず実現できる。そんな夢を抱くことができたのではないだろうか。日食を悪いことの前触れと考えてきた人々もいるし、「蘇る」強烈なイメージと考えた人々もいる。

 多くの人たちはこの宇宙が作り出した偶然に一喜一憂したけれど、確かに人々を魅了する不思議な現象であった。もう一度見たいと思う人が多いこともうなずける。それでも冷ややかに、必ず元に戻ると知っているからそんな風に驚喜できるのではないのだろうかと思う。人はこの先どうなるかわからないことには意外に弱い。今はダメでも必ずよくなると思えるから生きていける。

 後5分我慢すれば、後1週間我慢すれば、後3年我慢すれば、そんな目標があれば人は耐えることができるものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする