友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

古賀選対委員長の辞任

2009年07月15日 20時55分18秒 | Weblog
 今日も暑い。ひょっとしたら、昨日よりも暑いのかもしれない。こんなに滅茶苦茶暑い日は人恋しくなる。そう書いて、いや、滅茶苦茶寒い日も、青い空がどこまでも続く日も、雨の日も、いつも人恋しくなるじゃーないかと気が付いた。こんなに暑いと冷静な判断ができないのか、自民党の総務会は荒れたようだ。都議選の結果について責任は誰にあるのかとの追求を受けて、古賀選対委員長が「責任は自分にある」と委員長の辞任を申し出た。

 古賀さんは宮崎県の東国原知事に出馬を要請し、逆に東国原知事から「総裁候補とする」条件を突きつけられ、そのことが自民党内では「自民党を馬鹿にした行為」とか「誰にも相談せずに勝手にやった」とか、不満と不信が渦巻いていたようだ。総務会でこの点を質され、古賀さんは「東国原氏の件はよかれと思ってやった。自分の浅はかな知恵で迷惑をかけた。辞めさせてもらう」と感情を爆発させたと中日新聞は報じていた。

 今朝のテレビ報道では、そういう面は確かにあるけれど、麻生首相が表明した「8月18日告示、30日投開票」という案は古賀さんに相談がなかったことや、古賀さんが「(衆議選挙は)都議選との同日選挙の方が有利」という提案を麻生首相が受け入れなかったことなど、麻生首相とのズレから、「もうやってられない」となったと解説する評論家もいた。さらに、その評論家は「麻生自民党が壊滅した場合、『だからいち早く見切りをつけたのだ』と(古賀さんは)言える。そこまで考えている」と解説していた。

 何のために、どんな社会を目指すのか、政治の目的が全く欠落してしまっている。どう動くことが自分が生き残る方策か、そのことばかりが先に立っている。自民党内の反麻生の急先鋒といわれる中川さんや武部さんは「都議選の責任を明確にせよ」とか「人心を一新しなければ衆議選挙に勝てない」と発言するけれど、じゃあ、新しい首相に誰を据えるのか、具体的な人材を明らかにできない。麻生さんに代わってこの人なら勝てるという人物が実はいないのだ。いないのに吠えているものだから、説得力はない。

 私の友人も「今度の(衆議院の)選挙で、自民党は100議席に及ばないだろう」と言っている。私は週刊誌を読まないのでそうした予想を立てることができないが、そんなに民主党が躍進する気がしない。自民党政治はもうダメだと思っていても、その思いが即民主党への投票になることには懐疑的だ。まだ、自民党は郡部で議席を確保するだろう、そう思う。

 私が危惧するのは、政権を取った民主党が自民党化することだ。今でも思想的にはもちろん政策的にも民主と自民とにそんなに大きな差はない。民主が政権を取ることでどんどん自民党的な体質になっていくことはないだろうか。かつて社会党が村山さんを首相に担がれ、自衛隊や君が代・日の丸を認めていって社会党は消滅した。民主も同じ轍を踏むことはないか、心配している。

 自民や民主などの既成政党に代わる政党の誕生が求められるところだけれど、今はその動きはない。日本ではヨーロッパのように「緑の党」は生まれないのか。まだ先のことなのか。
コメント
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