友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

昨日はどうかしていた

2009年07月22日 19時16分30秒 | Weblog
 昨日はどうかしていた。運が悪かった。3度も交通事故を起こしてしまいそうな目に遭った。1度目は全く気がつかなかったどころか注意もしていなかった。幸いスピードが出ていなかったから事故にならなかっただけのことだ。対向1車線の道路で、向こうもこちらも少し渋滞していたが、こちらは踏切が開いて、向こうは信号が変わって、車列が動き出した。私がスピードを上げた瞬間、長い髪の若い女性が目の前を銜えたタバコで歩いていた。

 「えっ!なんなの?」。ビックリして女性を見るが、彼女は全く動じることなく、ゆっくりと歩いていく。短パンツに露出度の高いブラウスを着て、長い手足が誇らしげに見せ付けていく。そのゆっくりとしたモーションにこちらが圧倒された。「あなたはもっと周囲に気を配って運転しなくてはならなかったのよ」、そんな風に言っているような歩き方であった。

 2度目は孫娘をプールへ送っていった帰り、街中の細い路地を右折する時だ。夏休みに入って子どもたちが路上で遊んでいることもあるので、左右の安全確認は欠かせない。しかし、狭いところだから車の頭を出さないと確認できない。右見て左見て、もう一度右を見ながら進もうとした瞬間にものすごく怖い顔をしたおじいさんが目の前にいた。通り過ぎるまで、じっと私をにらみつけたままだ。私の運転が横着であったわけではないのになあと思いながらも頭を下げた。

 3度目は駐車場から車を出す時だ。向かいの駐車場から車が出てきたので、車を出すのを止め、その車が走り出したことを見届けた後、左右を確認しながらバックを始めた。すると若い女性が乗った自転車が車の後を通り過ぎた。またしても、「えっ!なんなの?」の心境だった。夜になっていたけれど、確認した時点では自転車は見えなかった。逆に自転車の彼女からはライトを付けた私の車は確認できたはずだ。私はビックリしたけれど、自転車の若い女性は何事もないようにスイスイと通り過ぎていった。

 事故にはならなかったけれど、事故が起きる時はこんなものなのだろう。運転は慎重な方だと思っていたけれど、注意力が散漫になってきたのかな。月曜日はNPO『おたすけ』で井戸掘りを行なった。私は力仕事をした時の右腕が今も痛いが、私の友人はちょっと足先が何かにぶつかっただけだったのに、左足の薬指の爪が割れて、指先に折れた爪が刺さって圧迫していたそうだ。ぶつかった時は何も痛みがなかったので、「感覚が鈍くなっているのか」と言う。

 自分ではまだまだ若い時と少しも変わっていないように思っていたけれど、残念ながら肉体の衰えは必至でやってきているのだと知る。私の同年ほどの友人の多くは、とても健康に気をつけていて、毎日1万歩を早足で歩いたり、腕立て伏せや腹筋運動を行なっている。もちろんタバコは以前から吸っていない。あんなに酒を飲んでいたのに、週に2日しか酒は飲まない。自然食品や健康食品を摂取し、添加物は口にしない。そんなに健康に気を配って長生きがしたいのだろうか。

 私は今を充実して生きていきたい。贅沢をしようとは思わないけれど、健康のために何かを抑えようとは思わない。むしろ不健康でも楽しい方がいい。まことに勝手な人間であるが、自分では正直に生きていると思っている。
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