友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

名演『ハーヴィーの贈り物』

2009年07月16日 21時30分04秒 | Weblog
 不思議な演劇だった。笑えるし、でも泣けるし、えっ結局なんだった?と尋ねたくなる演劇だった。家に帰って、名演の『たより』を読み返してみた。「これはちょっと不思議な、心あたたまるコメディーです」とある。名演7月例会は劇団NLTのよる『ハーヴィーからの贈り物』。「ハーヴィー」とは身長が1m80何cmかある巨大な白ウサギで、ヨーロッパでは「プーカ」と呼ばれるポピュラーな妖精だそうだ。

 主人公のエルウッドは名家に生まれた心優しい紳士だ。義兄が亡くなり、姉とその娘が彼の家で生活している。親の財産を受け継いだ彼は何不自由なく暮らしているが、ハーヴィーという名の不思議な親友ができた。裸の王様の話を思い出させるように、主人公のエルウッドには見えるハーヴィーは他の誰の目にも見えない。姉は弟のエルウッドを精神病院に入れようとする。その病院で診察した医師は姉こそが患者だと早合点する。病院長はエルウッドと話す内に、ハーヴィーの存在を信じるようになる。こんなストーリーだ。

 院長は信じるようになると書いたけれど、それは権威ある精神科の医者としてではなく、人間のあるいは男のエゴが働いたものだというところが、滑稽である。院長はハーヴィーを手に入れれば、避暑地で若い女性とのアバンチュールができると夢見ている。おそらくここがこの演劇の一番のコメディーな部分かもしれない。名演の『たより』には「心をオープンにして客席で座ってください。深く論理的に考えることをやめて、大人の世界を遊んで欲しいと思います」とある。

 「論理的に考えちゃいけません。訳がわからなくなります。芝居を観ながら後戻りをしないで。『あれは何だったんだろう?』などと思わず、先に進んでいってくださいね」ともある。確かに人はともすると理屈で物事を捉えようとしてしまう。そうしないと安心できないようなところがあるからだ。けれども私たちは理屈どおりには生きていない。恨んだり妬んだり、怒ったり羨ましく思ったり、愚かなことばかり繰り返している。

 主人公のエルウッドは誰とでもすぐに友だちになってしまう。彼は友だちを大事にする。一緒に飲みに行こうと誘い、家に遊びに来ないかと呼びかける。彼の死んだ母親は「この世で生きていくためには、賢くなるか優しくなるかのどちらかよ」と言い聞かせたそうだ。そこで彼はずっと「賢い人を目指してきたが、今は優しい人がいい」と言う。彼は決して怒ったり妬んだりしない。彼は誰をも愛してしまう。皆が彼を好きになるし、彼は皆を受け入れる。

 いかん、いかん。論理的に考えない方がいいのだ。エルウッドになろうとしない方がいいのだ。凡人である私はこのコメディーの登場人物のように、恋に恋したり、戸惑ったり間違ったり、怒ったり悲しんだり、不安と絶望と希望と安心と一喜一憂しながら、ああでもこうでもと生きていくのだろう。「ハーヴィーは見たことはあるかって?残念ながら見たことはない。強がりかも知れないけれど、見たいとも思わない」。じゃあね、ハーヴィー。
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