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民謡/梅若朝雲(駅前仙人)の徒然日記2007.1.28~

民謡&三味線の師範・釣り・料理など多趣味。

Day.2290 虚無僧

2013-05-06 01:07:00 | 蘊蓄ちくちく
先日、土曜日の続きである。
托鉢の話し続きで「虚無僧」の話。
天蓋(深編笠)を着て(冠って)壬山師は実際に虚無僧の行脚をすると言う。
話しは聞いていたが、少しコピーを・・・

*****
普化宗は中国の普化を祖とし、日本には臨済宗の僧・心地覚心が中国に渡り、
普化の法系の張参に竹管吹簫の奥義を受け、張参の弟子「宝伏」ら4人の居士を伴い、
1254年(建長6年)に帰国し紀伊由良の興国寺に普化庵を設けて住まわせたことに始まる。

古くは、『こもそう(薦僧)』ということが多く、坐臥用のこもを腰に巻いていたところからという。
虚無僧の様相については、「尺八を吹き喜捨を請いながら諸国を行脚修行した有髪の僧」とされており、
多く小袖に袈裟を掛け、深編笠をかぶり刀を帯した。

虚無僧・・・はじめは普通の編笠をかぶり、白衣を着ていたが、
江戸時代になって徳川幕府によって以下のように規定された。

托鉢の際には藍色または鼠色の無紋の服に、男帯をまえに結び、腰に袋にいれた予備の尺八をつける。
首には袋を、背中には袈裟を掛け、頭には「天蓋」と呼ばれる深編笠をかぶる。
足には5枚重ねの草履を履き、手に尺八を持つ。

旅行時には藍色の綿服、脚袢、甲掛、わらじ履きとされた。
なお、よく時代劇で用いられる「明暗」と書かれた偈箱(げばこ)は、
明治末頃から見受けられるようになったもので、虚無僧の姿を真似た門付芸人が用いたものである。
江戸時代には、天皇家の裏紋である円に五三の桐の紋が入っており、「明暗」などと書かれてはいなかった。
江戸期においても偽の虚無僧が横行していたが、偽虚無僧も皇室の裏紋を用いていたようである。
*****


坐臥とは、座る・寝るの事。
師は「菰僧」と言う字もありだと話してくれた・・・上の記述からも読み取れる。
要は、戦乱がなくなって多く生まれた浪人に活路を与える政策の一環であった・・・とも。

越後の瞽女(ごぜ)・・・津軽の門付け(かどづけ)等も特に許された職業と言って良いかも知れない。
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