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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ストレス・フリー

2013-06-04 | 人生

円熟世代の方々と接する機会が、けっこうある。
彼らは、口をそろえて言う。

残された人生、嫌なことや、自分のためにならない、無駄なこと、人は避け、
自分の嗜好や目標に向かった行動を選択し、心と体のバランスをとる、と。
その「時間」「行動」の選択が大事、と。
ストレスフリーを目指して、心身の健康を保つ。
心身セットになっていて、必ず、日常に運動を取り入れていることを心がけているのが特徴だ。

こころや、行動の面では、自己チュー、エゴでもいいそうだ。
他人の思惑や主義、嗜好に惑わされ、自分を見失うのは嫌だ、と。
信念をもって、チョイスしなければ、時間は瞬く間に経ってしまう。
貴重な時間は、能動的に生きなければ、・・・と、非常に前向きである。

そして、思うこと。
似たような人間が、目に見えない糸で手繰り寄せられ、寄り集まる。
わたしの周りには、似たような主義で生きている人々が、多い。
なぜなら、わたし自身が、そういう、能動的人生を送りたいと思っているからだ。

今まで、ずいぶん流され流され生きてきた。
自分を見失うことはないにしても、思いの通りにはいかないことも多々あった。

ただ、自分で定義しているところの「円熟世代」に、わたしは、まだ達していない。
この「円熟世代」は、年齢だけのくくりではない。
しかし、わたしが勝手に定義しているので、世の中で使われている定義とは、少しずれているかも知れない。

わたしは、まだやらなければいけない義務が、たくさんある。
なので、円熟世代ではない。
わたしの定義する「円熟世代」は、すべての義務から解放された世代である。
ただし、自治会の掃除当番、とか、そんなのは、開放されていなくてもOK。
大きな意味での、解放である。

わたしは、プレ円熟世代、順番待ち円熟世代。
一生、円熟世代になれないかも知れないが、とりあえずは、円熟世代になるであろう自分をイメージして、
それに向かって、ゆっくり歩いている。

子供の結婚、育児サポート、介護、お見送り、と、用事がまだまだ残っている。
自分が見送られる一歩手前が、円熟世代だ。
義務から解放され、心身ともに健康な、黄金の時期、これをいかに満喫するか、で、円熟世代の真価が問われる。
ぱたぱたと急ぎ足で、あの世に行ってしまう人は、それはそれで幸せかも知れない。
どのゾーンに、自分自身が長く居るか、が問題だ。
黄金ゾーン、円熟時期に、1秒でも長く居たい、留まりたいのは、誰しもが願うこと。
だが、健康を害したり、自分の意志ではどうしようもない展開があったり、予定通り、うまくいかないこともある。

円熟時期を満喫したあと、燃焼しつくしたあとは、
穏やかな、ほんとうの意味での老後が待っていることだろう。

わたしは、円熟世代に、まだ入っていないうちから、前々段階から、あれこれ想像して準備しているが、
「やること、やってからにしたら? とりあえずは、掃除からとか」
と、誰か怖いお方の声が聞こえそうだ。

 

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