蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

スケスケ

2013-06-17 | 暮らし

なんタイプか、書き出しの文章を書いてみて、消した。
ちがう、なんか、ちがうのだ。

わたしはブログで「現実と虚構の間を文字で埋めている」と、書いた。
この表現は、わたしのブログを評した、ある方のパクリなのだが、わたしは気に入っている。
ブログ散歩をしてみると、似たようなテーマで、意見や感想が書かれていた。

本人はどうであれ、読んでいて面白ければいいんじゃないか?
あるいは、本人が満足なら、それでいいんじゃないか?
真偽のほどなんて、裁判じゃあるまいし、詰めてみても意味のないこと。
そもそも、実名のfacebookではないのだから、匿名色の強いブログ。

嘘八百を書いて楽しい人は楽しいだろうし、楽しくない人は楽しくない。
リアル日記を読んで、面白い人は面白いだろうし、面白くない人は面白くない。

文字によらず、視覚に訴えるものもある。
写真にも、いろんな表現がある。
リアル実写を追究するもの、現場のナマの臨場感を伝えるもの、
自然美でも、くっきりはっきり系と、霞(かすみ)、靄(もや)のかかったもの系、
イメージ寄りのもの、・・・いろいろだ。

もちろん、動画、映像になると、視聴覚に訴える。
さらに、水しぶきや、振動、ニオイなども加えられたりすると、より、明確なものが伝わる。
美味しいものや、楽しいもの、・・・などなど、快楽なら体感もいいが、
痛みを訴えるものだと、受け手側は苦痛だろうなあ・・・

・・・・と、話が明らかに逸れている。


今朝のわたしは、透明だ。
光りの透け具合について、あるブロガーさんが、とてもうまい表現をしていた。
薄ものをまとっても、品格のある人が着ると絹に見えて、中身の薄い人が着ると、化繊に見えると。
とても素晴らしい表現。
わたしの透けスケスケは、内蔵が見えるか?
小さな金魚の、ぱんぱんに膨らんだお腹みたいか?

薄くベールをかけたり、薄明かりにしたり、そういう工夫、智恵も大事かも知れない。
ほどよい透け感。

人生を愉しむには、いろんな挑戦、試行錯誤が必要だと感じる、今日この頃。

 

 

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