蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

凍てつく冬に、のんきな春の風

2011-01-30 | 

義母(=姑)と、わたしは、よくしゃべる。
ぺらぺらぺら、と、女中・年季奉公期間中でも、夜中まででも話しまくる。
実母とは、小さいころから、そんなに話してこなかったし、今も、それほど話さない。
なぜなんだろう?

実母は、仕事をしていて、やたら忙しく、
子供たち(=わたしたち)と、ゆっくりした時間を取ることはあまりなかったように思う。
姉は、わたしの知らないことをよく母と話していたようなので、
わたしが、ぼーーとしていて、話を聞き洩らしているか、興味がなかったか、
理解できなかっただけかも知れないが。

わたしが、出産のために実家に帰っていたとき、
リビングで、母と話したり、のんびり、くつろいでいたら、1時間も経つと母は、
「こんなことして遊んでたら、なんにもできない。用事、してこよう。」
と、仕事場に出かけてしまう。
くつろぐ時間は、ある程度の時間で十分で、それ以上の非生産的な時間を過ごさないタイプだ。

それにひきかえ、わたしは、いつまでも、ずっとずっと、ぼーーーっとできる。
これは、怠けものなのか? 
脳の血流が悪いのかも知れない。


学生時代、ちゃきちゃきした、活発で有能な友人がいた。
業界第一位の大手ゼネコンを志望し、受けたが、
女子学生は当時、ほとんど受からず、彼女も例にもれず落ちた。
自分の実力を正当に評価されていない、と、かなり悔しがって、落ち込んでいた。

わたしといっしょに居て、くつろいだあと、
「さあ、オアソビは、これぐらいにして。
いつまでもスローさんといたら、なんにもできなくて、ダメになってしまう。」
みたいなかんじで、とっとと、活動拠点に戻り、頑張っていた。

わたしは、相変わらず、ぼーーーーっとしている。
仕事場や、持ち場では、動きのトロイ、たんなる「イイひと」。
ひとには、適材適所があるっていうか・・・わたし、仕事の能力、かなり低いです。


で、話は、戻るが、
義母は、専業主婦ではあるが、
家政科という、いまは、なき、お嫁さん専門学校(=女子大)を卒業して
家庭運営の実践的なことも理論も、バリバリ。
家事は、まったく落ち度がなく、完璧だ。
もし、時代が違っていて、外で仕事をしていれば、有能な仕事人になっていたことだろう。

その義母と、子供が小さいころ、深夜までよくしゃべったわけだが、
彼女の話す内容は、自分の興味があること。(当たり前だ)

当時のわたしの年齢(30歳ぐらい)からすると、まったく興味がなくても、
どんどんしゃべる。
年金、健康、夫の定年、
そういった、いまのわたしなら興味のあることだが、
子供を産んだばかりのわたしには、まったく、ぴんと来なかった。

「退職すれば、ただのひと」。

このフレーズは、何度も聞いた。
役職がぴかりと輝く、社会的には、お偉いさんだった親戚の、
退職したあとの生活を見た、義母の感想だ。
義父は、70歳まで働いたので、
「ただのひと」になってからは、あまり長い時間を経ず、この世を去った。

年金。
夫の実家(=義母の嫁ぎ先)の隣町に嫁入りした、義母の姉の例をたとえに出したり、
半径数キロメートル範囲内の身近な人の例やら、あれこれ、
30歳のわたしには、「はあ、そうなんですか・・・」と、まったく、ぽけーーっ。

健康。
あれこれ、健康に関すること、ずらり。
わたしは、病気知らずで、健康だけが取り柄だったので、これまた、
「はあ・・そうなんですかあ」と、聞くのみ。

信仰、宗教、気学、四柱推命。
占いというふうにしか、わたしには映らなかった。
いまなら、風水みたいなもの?
この分野では、当時から、生活をも左右されるほど、わたしはかなり苦労した。

あとは、嫁姑といえば、これ。
ふたりをつなぐ、強力なライン。
親戚、イエ、実家、近所、その他、血筋がらみのこと。
これは、ふたりの共通点でもあるので、延々と続いた。
お互い、同じイエに嫁いだ身、外から入って、血をつなぐ役割にあった。
姑は、嫁であるわたしの一代先輩ではあるが、当時は姑にも、まだ姑がいたので、
中間管理職ではあるものの、お役目ポジションとしては、同じ。
(姑が嫁いだ当時は、姑の姑の姑がまだ健在だった。これも、わたしと同じ。)

軍国色たっぷりの時代に育った、戦前教育を受けた義母と、
高度成長期に育ったわたしとでは、
教育内容も、家庭環境も違うので、教育や家庭から受ける価値観や感覚は、まったく違うのだが、
ケンカになるということはなく、いつも義母は、こう言った。

「おばあちゃん(姑の姑)は、えらかったなあ。
わたし(姑)みたいな、わけのわからん青い嫁を、怒りもせずに、大事に育ててくれた。
いまになって、感謝するわ。」

口だけ、めいっぱいの青いわたしを見て、当時の自分と重なり、姑は、
姑の姑に感謝し、こんどは、育てる順番が回ってきたと感じたことだろう。


いつも思う。
義母は、北風政策ではなく、太陽政策だと。
でも、その春うららの楽園で育った息子は、マザコン夫になってしまったわけなので、
やはり、太陽だけではよくない。

ほんと、教育は、大事だ。

わたしも、のほほん、はるかぜさん、で、今日まで来てしまった。
春のまま、一生を終えられるひとなど、いない。

しかし、この、のほほん性格、変えられるのか?

まあ、とりあえず、明日から、頑張ろう。

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と、いつも、問題を先送り。


トップ画像は、結婚式の日、うちで撮った写真です。
なわけないですが、こんな写真ばっかり眺めて、ぼーーーっとしてます。

冬には冬の、春には春の、風が吹く、
てことで、今日はとりあえず、のんびりと。



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