夫や家族のため、家を美しく清潔に、住みやすく、居心地よく整える。
それが、主婦のつとめ。
なんですよ、ね。
国の税金で専業主婦の年金まで支払ってくれていたんだから、専業主婦としては、
せめて、国に経済的負担をしてもらった分、子供を育て、夫を家庭で慰労し、元気になっていただいて、
労働の再生産のモトとなるパワーを家でチャージさせ、
彼らが外で労働し、得た報酬から、税金を払って社会へ還元していただかなければ、ね。
専業主婦は、外でお金を稼がない分、家族に稼いでもらって、国からいただいたお金、
せめて少しでも国にお返ししないと。
逆に言えば、家族が納めている税金を堂々と使っているだけか。
これって、家族のためだけにある、家庭内労働は、非生産的であると思われがちではあるが、
間接的に、まわりまわって社会へ貢献していることになるのかな。
家族は、社会のもっとも小さいコミュニティー。
じゃあ、いま、増え続けている、おひとりさまは、単体でも、コミュニティーなの?
どちらにしても、
遊びほうけていては、いけません、ね。
夫を大事に扱わないといけません、ね。
でも、おひとりさまも、いいかもしれません、ね。
とまあ、わたしは、理屈はよくわかっている。
正しい理想を述べるだけなら、超・優等生。
しかし実践となると、劣等生の落ちこぼれ。奈落の底に、まっさかさま。
専業主婦か、そうでないかで、事情は大きく違ってくる。
今どき、専業主婦を丸抱えできる夫って、かなり高収入の人でないと無理。
妻は、働けないのか、働かないのか、
はたまた、働かないとやっていけないのかによっても、違ってくる。
そして、働くにしても、
「ちょっとだけ、わたしだって働いてるのよ」という補佐的働き方と、
「家計の大黒柱が2本あるような、男性と肩を並べて働いている働き方」や、
「1本の大黒柱として黙々と働く」働き方とでは、ずいぶん違ってくる。
ほんの少し働いて、ほんの少しお給料をいただいて、
「わたしも働いているんだから」と五分五分の顔をし、家事も五分五分をめいっぱい主張するのは、いかがなるものか。
もし主張したとしても、実際に家事を五分五分にやってくれる夫は、どれだけ存在するのか?
わたしの夫は、いまになって、後悔しているはず。
結婚相手としては、五分五分に権利を主張する、カシコイ同級生パートナーは、敬遠し、
かわりに、自分よりうんと劣る女性と結婚し、生涯、優位を保つ予定だった。
が、年月が経ち、あほなくせに、主張だけは一人前、みたいな嫁に変貌していた。
同じ偉そうにされるなら、自分と同じぐらい、もしくはもっと稼ぐ、社会的にも立派な女性と結婚していればよかった、と。
こんなはずじゃなかった・・・後悔、先に立たず。計算が、狂った。
最初に、楽をしようとしたのが、まちがいのモト。
(わたしにも、言えます・・・)
ちんぷんかんぷん「まいにちフランス語」のラジオ講座を毎日、(成果もないのに)聞いているが、
そのなかで、フランスと日本の違いみたいなことを語る新企画が始まった。
フランスでは、子供を持つ母親は、ほとんどが働いているそうだ。
結婚か仕事か、という二者択一を迫られるのではなく、
人生の選択肢が柔軟に広く確保されているとか。
日本では、まだまだ生き方を選べる有利な環境が整っていない。
日本人にとっては、結婚は人生の一大事で、カップルの生活に重きを置くのではなく、
なにより大事にしているのは、「家庭」だと、フランス人に評されている。
確かにそのとおりです、ね。
育児休暇。
これが取れる職場と、取りにくい職場がある。
理想を言えば、きりがない。
小さな規模の職場では、育児休暇を取られている間、残された人は、かなり仕事に支障をきたす。
その間だけの短期間では、補充要員は雇えない(求職者は、臨時期間だけの就労を望まない)
なので、職場内で、育児休暇を取っている人の分まで必死で、他の人が負担を強いられる。
次から次から、育児休暇を取られると、
他の人の負担はどんどん増え、肉体的にも精神的にも耐えられなくなってくる。
その仕事の辛さ、しんどさを家庭にぶつける。
家庭内は、ピリピリ。
深刻な状況。
子供を産み育てるため、国の人口を増やすため、
目に見えないところで、縁の下の力持ちたちの負担の上で、育児休暇は成り立っている。
夫は、職場で耐え、主婦は、家で耐え、みんな耐えている。
育児休暇は、当然の権利だと声高に叫ぶのは、とてもよくわかる。
でも、じっと耐えている人々が支えている、そういう背景もあるんです、ってことも、知ってほしい。
みんなで協力し合わないと、国の少子化は益々進むから。
だから、頑張って、耐えているんです。
でも、無関係な人にとって、そこまで考えて、家で耐えている人は、いるんだろうか?
理屈や理想は、現実とは、ちょっと違うんです、よ、ね。
世の中のことが、よくわかっていない人って、ある意味、羨ましい。
自分だけのシェルターに閉じこもっていればいいんだから。
自分に影響や被害が及んできてはじめて、世の中との接点を見出すことになる。
対岸の火事だと思っていたことが、実際に火の粉が身に迫ってきて、熱く感じる。
どっちにしても、みんな、なんらかのかたちで、つながっているということ。
ぐるぐるぐる。スパイラル。
経済で言えば、今、日本は、マイナスのスパイラル。
生活、暮らし全般も、このスパイラルに影響を受け、マインドも負のスパイラルに陥らないようにしなければ。
なんだか、まとまりがなくなってきた。
わたしのブログも、おさまりどころのない、スパイラル。
トップ画像は、あるところで、昨日、お見かけした、アレンジフラワー作品。
色合いがちょっとシブめですね。
ピンぼけを、アート・フォト・フレーム加工にして、ごまかそうとしたけれど、ピンぼけは、ピンぼけ。