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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ぼろぼろ

2012-09-21 | 趣味

さて、
決して見てはいけない禁断のブログ村ポイント、
ああ、降下の一途を辿り、どんどんランクは落ちていく。
まあ、いまに、始まったことではないのだが、やはり、秋の風。ひゅ~~。

気にすまい、気にならないぞ、へーき、へーき・・・でも、なあ・・・。
不特定多数の行きすがりの皆様方、・・・そう、行きずり・・・なんです。

そんなことは、とっくに卒業し、
いまでは、眉のひとつもぴくりともせず、なんの感情も動かないんじゃなかったの?
そんなことは、どうでもいいことでありまして、(きゅっと襟を正す)
わたしは、わたしの道を進んでいくことにします。

それにしても、この日本、平和であると実感するとともに、この平和は揺るぎないのかどうか、
いささかの不安も感じる、今日この頃。

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話は、ごろりと打って変わって・・・

わたしが、ダンスパーティに行き始めた最初の頃(今年の2月終わり~)、よく踊っていた人がいる。
わたしは、他の人とも踊りたかったのだが、その人は、ずっとわたしばかりと踊るので、困っていた。
「僕には、パートナー(女性のダンスの相方)がいるけれど、飽きてきた。
でも、パートナーシップを解消するわけにもいかない」と、言っていた。

その人は、踊りも、正式にはあまり深めておらず、我流のようで、クセがある。
踊っていて、わたしが気分よく心地よく汗が流せる踊りではない。
わたしの正統派・私的コーチが言うには、「お腹を突き出しすぎ」と、踊りの評価は低い。
今、思えば、わたしが、パーティ初心者だったから、こりゃいい、とばかりに、自分流を押し付けていたように思う。
一昨日、久しぶりに踊ってみて、さらに実感したが、彼は、踊りにくい。
よく、あんな踊りの人と、ある一定期間、踊り続けていたなあ・・・と、そんな踊りをしていた自分が不思議だった。

わたしは、しかたなく、その後、その人を避けるため、彼の出没しないパーティ会場を選んで行くようになった。
たまたま会場で会っても、わたしは、逃げの一手ではあったが、
「あなたとは踊りたくない」というメッセージは、どうにか伝わったようだった。

○○会場以外では、その人は、毎回、踊る相手を特定せず、踊っている。
各会場ごとに、別の特定の相手がいると、聞いたこともある。

そうこうしているうちに、その人は、特定の踊る相手を見つけたようだ。
○○会場では、必ず、△△さん(名前は知らないが)と、いつも、ずっと踊っている。
その女性の踊り方は、何度見ても印象に残らない。
(ドレスは、いろいろ、凝ったものをとっかえひっかえ、お持ちだが)
必死で、評価しようと目を皿のようにして見ても、やはり、ぜんぜん、わからない。
すごくヘタでもない、すごく上手でもない、すごく個性的でもない、ごくごく普通の踊りなのだろう。
しかしまあ、なにがよくて、あの男性の相手を務めているのだろう。
世の中、いろんな人がいるから、成り立っているんだと、しみじみ思う。


少なくとも、わたしは、この半年ちょっとで、変わった。
たった、7ヶ月間のことではあるが、大きく大変化を遂げた。
最初は、おどおど、踊る相手の一挙一動に、一喜一憂していたが、
いまでは、なんのその。
まったく、非常識な、ひどい態度の男性に当たると、砕けるどころか、
「まあなんと、こんな最悪な男性もよく存在したものだ。
相手の女性は、なにがよくて、こんな男性と組んでいるんだろう」
と、不思議を通り越して、同情を通り越して、理解不能になっている。

パーティでその場限りで踊るだけなら、
たんに、パーティ馴れした、適当に不特定多数の人をあしらう、すれっからし、のようなもの。
末期医療、回避のために、寝たきりゼロを目指し、健康維持を図る老人の溜まり場と化するパーティ会場においては、
今のわたしは、明らかに、目的が違っている。
ただただ現状維持と、気晴らし、時間つぶしのために、身体を動かしている方々とは、
目的が違うという自負がある。
今は、日々、トレーニング、精進を重ねる時期だと決めている。
ここ1年~2年が、山場だととらえている。
一気に攻めなければ、上達への階段が遠のくだろう。
そのためには、個人レッスン、団体レッスン、両方を積み重ね、技術の鍛錬に励んでいる。
パーティ会場に出没する、多くの素人・教え魔もいるが、教え魔レベルも、ピンキリで、だいたいわかってきた。
わたしの個人レッスンの先生である、競技ダンス現役プロのT先生に、優る人はいない。


今後の目標は、相手に頼りきらない踊り、自立した踊りをする、ということだ。
そのためには、もっとも、不得意なシャドウ(一人で踊ること)と、カウントを自分で取れるようにすること。
これまでは、相手に頼りきっていたので、すべてお任せで、なにも考えず、ついていくだけ、
好きだということと、勘とノリだけできたツケを、いよいよ精算し、自分の足で立っていかなければならない。

これは、今までの自分と決別するぐらい、大変なことで、楽しいばかりのダンスとは趣がちがってくる。
教えられるだけ、導かれるだけではできないことで、自分から能動的に取り組まなければ、身につかない。
わたしの長所は、相手に合わせることだったが、
逆に、いちばんキライで苦手な、自分で覚え、考えなければいけない。
受身から能動へ。守りから、攻めへ。相手に合わすダンスから、積極的に発信するダンスへ。
基本に帰り、一から踊りそのものを見直し、土台、芯となるものを作りなおさなければいけない。
そういう、新たな課題、方向性が見えてきた。
長所を生かすのは楽しいが、それはそれとして、短所を克服するという、すごく困難、イバラの道だ。


ちなみに、
踊りがダメな人ほど、威圧的。子型犬は、鳴き声が、甲高い。
自分の非、不出来を決して認めない。相手のせいにする。
これは、不動の鉄則として、ひしひしと感じる。

しかし、一昨日、突然ではあるが、
ほんとうに、突然、ダンスに、気持ちが動かなくなった。
なにがどう嫌になった、という、ハッキリした原因があるわけではないのだが、
すぽっと空洞に落ち込むかのごとく、
あんなに張り切って、楽しみにしていたことが、なんの熱も放たず、ひや~っと温度が下がった。
どうしてだろう。

こんなこともあるのか。
おそらく、緊張の糸が、ぷつんと切れたのだろう。
糸が劣化、磨耗したのかも知れない。
急にやる気が消滅し、昨日も眠気が襲い、ジムも、さぼってしまった。

今夜から明日にかけての、おっちゃん軍団の、我が家へのステイが、無事終わり、
翌日、彼岸の墓参りがすむと、ひと段落しようと思う。
ここずっと、頑張りすぎていたが、本人には無意識だったのかも知れない。
そういうと、頑張らないことが、わたしのモットーだと常日頃からブログに書いていることと、
大きく矛盾する。

ああ、わたしのブログ。
なんで、こう、いつも、ころころ違うことを書いているんだろう。
いつもいつも、同じことを書いていて、うんざりすることもあるのに。

雨の日も、晴れの日も、いろんな日があるっていうことだ。
完璧なものでなければアップしない、などという方針とは程遠い、わたしのブログ。

ぼろぼろだ。

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